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星野富弘さんの作品と生き方に励まされて

星野富弘さんの訃報が入ってきた。幾度となく星野さんの作品や生き方に励まされ続けてきたので、その想いをここに少しばかり残したいと思う。

手足の自由を失いながら、口に絵筆をくわえて制作に取り組んだ詩画作家、星野富弘(ほしの・とみひろ)さんが28日午後6時32分、呼吸不全のため、群馬県みどり市内の病院で死去した。78歳。自宅は桐生市新里町。四季の草花を題材とした絵、命や人生、母子の絆などへの思いをつづった詩を数多く生み出した。

 星野さんは1946年、旧勢多東村(現みどり市)生まれ。群馬大教育学部体育科卒。中学校教諭になるが、70年にクラブ活動の指導中の事故で頸髄を損傷。入院中に口に筆をくわえて文や絵を書き始めた。79年に初の作品展を前橋市で開催。退院後は精力的に創作活動を展開した。91年に故郷に富弘美術館が開館。2006年に名誉県民の称号を贈られた。

上毛新聞2024年5月1日
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/456432

星野さんがクリスチャンであることから、クリスチャンになられた経緯や創作活動については以前から知っていた。

星野富弘さんは中学の先生となりますが、クラブ活動の指導中に頸椎を損傷し手足が動かなくなった。入院中に口に筆を加えて文や絵を描くことを始めた。また、その後にキリスト教との出会いがありクリスチャンとなった。

昨年、星野富弘美術館に行ったことがきっかけで、さらに深く知るようになった。その時のことを思い出しながら、当時印象的だったいくつか心に残ったことをここに記す。


レンタカーで美術館まで着くと、まず広大な駐車場が道路を挟んで両側にあった。美術館前は障害者の方専用になっていた。一般の方は道路の反対側に停められるようになっていたので、そこに停めた。

チケットを買って中に入ると、案内してくれたステキな男性がいた。首から下げているものを見ると、「耳が聞こえません」と書いてあった。

そして、中を順番にぐるっと見てまわった。詩の一つ一つが心に迫ってきた。絵もステキだったが、詩がとても気に入った。

詩の内容は生活のこと、心の内側を書いたもの、神さまのことを書いたことなど、多岐にわたっていた。その作品は相当な数だった。

私のお気に入りの詩は「いわし」。

いわしを 食べようと くちをあければ
いわしも くちを あけていた
いわしを 私の口に運ぶのは母
見れば その母の くちも
アーン と大きく 開いていた

いわしは 水から 干されたため
私は それを 食べるため
母は 子を思う心から

たえまなく 咀嚼を続ける
“時”という くちのまっただ中で
二人と二匹の いわしが精一杯 
くちを 開いている
ささやかな 昼めし時

いわし 星野富弘

家に帰っても興奮は冷めず、さっそく詩集をネットで探した。詩集だけのものは美術館のショップでは販売されていなかっなので、ネットで注文をした。


その日以来、ちょこちょこと詩集を開いては読んでいる。星野富弘さんの生涯を知っているからこそ、数々の作品を見て、励まされ、また生き方に想いを馳せながら励まされ続けている。

天に帰られた星野富弘さん、安らかに眠りにつかれますようにとお祈りをいたします。そして、これからも作品を通して出会う方が励まされ続けますように。

▼編集後記として
生き方が人を励ませることを、教えてくださった方が星野富弘さんだ。それ以来、一生懸命生きようと思い、その日一日を神の前に目一杯生きることを目指すようになった。今年もいっぱい働こうと思う。
2024年5月1日

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