最期の訪問客
卵焼きと山椒
馬場さん夫妻は再婚同士。60代も半ばだろうか。お二人で営業している小料理屋「なかや」は同じビルの1階にあった。ご主人は京都の有名高級料亭のご子息で、小さい頃は乳母やお手伝いさんに育てられたという。
おそらくサラリーマン時代は部長職でもしていたに違いないと思わせる、頭の良さそうな、でもかなりな頑固者という風貌だ。挨拶をしても気分で返してくれることはあるが、無視されることもしょっちゅうだった。そんなところから変わっているなとは思っていた。
ある日、それを決定付ける出来事があった。多摩花賣所の昔からの客でもあり、友人でもある小林くんことコバちゃんが、仕事帰りに多摩花にやってきて、「一度行ってみたかったんだ」となかやに誘ってくれたのである。近所なのに一度も行かないのもなんだからと二人で暖簾をくぐった。
なかやは、インテリアから器まで洒落た大人の雰囲気で気分を良くしてくれた。聞けば京都まで買い付けに行き、欲しいものは何年待ってでも手に入れるというこだわりようだった。
コバちゃんが卵焼きを注文し、食べる前に「山椒はありますか」と言ったら、ご主人は山椒を出してくれたものの、それから声をかけてもなかなか応えてくれず、なんだか不機嫌になってしまった。
翌日女将さんが店に来て、
「昨日はどうも。またとんでもない客人を連れてきはって」
驚いた。昨日はありがとうございましたと言われるならまだしも、とんでもない客人を連れてきはってとは穏やかではない。
「あの客人、卵焼きに文句つけたんですって?」
「文句なんてとんでもない。彼の奥さんは京都の方で、卵焼きにはいつも山椒をつけてくれるらしく、もし山椒があったらいただけますかと聞いただけなんですよ」
「俺の料理にケチつけたと、主人はあのあと出ていってしまって、忙しいのにほんまに困ったわ」
そんなこととは知る由もなく、またそれをわざわざ言いにきた女将さんにも驚いてしまった。そしてそれ以来ご主人からの挨拶はまったくしてもらえなくなってしまったのである。
ある日のこと、店にとても美しい桜が入荷した。箒桜(ほうきざくら)といい、たまたま処分する為に伐採されたもので、二度と手に入らないとわかったのはその後のことだった。木肌に光沢があり、美しい曲がり枝の先に、柔肌色の透けるような優しい桜が寄せ合って咲いていて、楚々として、品が良く、未だにあれ以上の美しい桜には出会っていない。
女将さんは毎週店に飾る花を買いに見えていた。一輪挿しだったりちょっとした花瓶用だったり。その日、店に入ってその箒桜を見つけるなり
「これはいいわねぇ、いくら?」
「1本2000円です」
「1本はいらないわ。ここの枝のところだけでいいんだけど安くならない?」
そこは一番良い枝ぶりでそこを切り落としたら、あとは二足三文というところ。
「ここが一番良いところ、お目が高いですね。でもこの枝のところだけというのは、う〜む、困りました。では大サービスの1200円でいかがでしょう?」
「まさか、何言ってるの?ここをほんのちょっとだけでいいのよ」
「いえ、この枝がなくなると残りは売物にならなくなってしまうので、勘弁して下さい」
「とりあえずいいからここ切って。じゃあここにお金置くから。ほな」
そそくさとテーブルに小銭を置いて行ってしまった。
え?300円!!
いくらなんでもそれはない。嫌な客だ。もう、ご夫婦揃ってありえない。そんな人だったのかとご近所の誼みで今まで好意的に接してきたけれど、これにはとてもがっかりしてしまった。そう心の中で思ったら、神様が見ていたのか、不思議なものでそれっきり本当に来なくなってしまった。
3年振りの来店
それから3年の月日が流れ、多摩花賣所はビルの3階から隣りのビルの1階に引っ越しをした。すると驚いたことに女将さんが再び花を買いに来始めたのである。内心また嫌な思いをするんじゃないかと来る度に身構えたが、どうやら取り越し苦労のようだった。先方も今度はきちんと買おうという気持ちが垣間見えて、私達の関係は良好だった。
そんなある日、近所の方から「なかやのご主人が癌になって闘病中なのよ」と聞かされた。女将さんからは滅多にご主人のことは言い出さなかったので、こちらからも敢えて何かを尋ねるようなことはしなかった。
そのご主人が年末に亡くなったと聞いたのは年が明けてからだった。
年明けにいつものように花を買いに見えたので、何も知らない私は
「暇なので今日は活けに行きましょうか」
と言うと
「そぉお~お願~い」
と、軽いノリで店を訪ねると、さっきとは別人の、まるで力の抜けたような女将さんがぬぼ〜っと立っていた。
「主人がね‥亡くなったのよ」
と泣き崩れた。
ご主人がこだわった置物や花瓶に囲まれたその部屋の壁に、喪中なのに紅白の水引だけで作られたシンプルな正月飾りが下がっていた。それはたしかご主人が京都で作らせたものだった。その部屋でしばし二人で泣いた。
「主人がいないでどうやって店をやるのか途方に暮れたのよ。でもね、店を続けてくれって。この店を守ってくれって。それが遺言だったから。だからできる範囲で頑張ってみようかと思う」
花にはこだわりがあって、季節感をとても大事にする人で、明るくてしっかり者の京美人、少々の毒舌振りが憎めない女将さん。
まさか...まさかわずか半年後にあとを追うように亡くなるなんて誰が想像しただろうか。親族の方も死因については一切触れない。ただ常日頃仏壇に向かって、
「お父さん、待っててね。すぐそっちへいくからね」
としょっちゅう言っていたという。きちんと身辺整理をして、誰にも迷惑をかけず突然消えてしまった女将さん。ご主人のあとを追われたのだろうか。口にこそ出さないが、皆が疑いなくそう思っていた。
でもそれは違ったのだ。なかやの仕事を終え、夜帰宅して洗濯物を取り込み、夕飯を食べ終えて洗い物をしようとした矢先に倒れたらしい。くも膜下出血だったそうだ。
翌日に友達と旅行に行く約束をしていたのに、現れないのを心配し、その方が息子さんに連絡を入れたそうだ。2日後の昼間に息子さんに発見された時には、電気が煌々と付いていて、台所の洗い物が途中のままになっていたと説明してくれた。
最後の「なかや」を営業します
葬儀の場で息子さん夫婦から
「今夜最後のなかやを営業いたします。皆さんをご招待いたしますので、最後の思い出話をしに来て下さい」
私は女将さんの好きそうな花を見繕って少し早めの夕方になかやを訪ねた。
「最後のお花を活けさせて下さい」
お二人の思い出話をしながら掛け花を活けさせていただきました。
「最後にお会いしたのは金曜日の日で、他のお客様の接客中だったので、女将さんと話せなかったことが悔やまれます」
と言うと
「え?それは違うでしょう?母が亡くなったのは水曜日の夜ですよ」
そんなまさか。え、だって…。頭の中で整理しなくてはと思うが、息子さんの話が間違っているとは思えない。
発見されたのは31日の金曜日、司法解剖の結果、死亡推定時刻は29日の夜中から未明。死亡推定時刻は胃の内容物や、腐敗状況からみて間違いないという。なんだか狐につままれたような話で、それなら私が呆けたのかとなんだか腑に落ちないで店に戻った。
「ねぇ、女将さんが亡くなったのは水曜日だって。私達が最期に女将さんに会ったのは火曜日だったのね」
と言うとスタッフの結衣ちゃんが
「店長何言ってるんですか、あの日は全員揃っていたじゃないですか。仕入れの日なのは間違いないですよ」
上田さんまで
「私は火曜日はお休みしていましたから間違いなく金曜日です」
みんなでもう一度冷静に時間を遡ることにした。間違いない。女将さんが最後に多摩花賣所に顔を出したのは31日午後2時~3時の間だ。
そう....ありえないことが起こった。
亡くなったはずの人が店にやってきたのだ。
そんなことがあるんだろうか。
いやあったのだ。
4人も目撃し、会話までしているから間違いない。
その日は月末で忙しく、バタバタしているところに女将さんはやってきた。
「忙しそうじゃない?」
いつもと違う格好に中国人スタッフのショーチンはまず応えた。
「なかやさん、真っ赤って珍しいですね。なんていう?えーとなんていう?(と日本語の誉め言葉を探していると)」
「わかってるわよー」
「あ、そうオニアイですね」
「そーでしょー」
ダークトーンの落ち着いた色合わせの洋服しか着ない女将さんがこの日は真っ赤なパンツを穿いていた。それはあり得ない組み合わせだった。そしていつもなら店を出て左へ行くのにこの日は右へ行ったので、
「今日はそっちへ行かれるんですか?」
とスタッフの上田さんが珍しいなと思いながら、後ろ姿を見送っている。多摩花スタッフ4人が女将さんとこの日会っているのだ。
なかやでの最後の晩に、多摩花に女将さんが来た話をすると、馬場さんのご家族も、なかやにいらしたお客様達も口々に、
「最後の挨拶に行ったんだね」
と言われた。
この信じられない衝撃的な事実をうちのスタッフ達も私も俄かには信じることができずにいた。ただ…もしこれが本当に事実であるなら、いや事実以外の何ものでもないけれど。
女将さん、最期に多摩花賣所にお越しいただきありがとうございました。嬉しかったです。あの時の300円はもうとっくに許してますよ。
「またお会いしましょう」
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