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ヒトサラのセンス・オブ・ワンダー

「心が健康になっていく気がする」

僕は普段、若者支援の現場で働いているのだけど、その仕事のうちに施設を利用している若者たちへの食事の提供がある。
施設を訪れる若者たちの背景は様々だが、その多くが「家に居たくない」「家に居られない」事情を抱えて僕らのもとを訪れる。
十分な食事を家で摂れていない子も中にはいるので、そのお腹を満たしてあげることは僕にとって重要なミッションだ。


それは2023年を迎えて少し日が経ったある日のこと。
一人の若者が夕飯を食べ終えると、冒頭の言葉を溢した。囁くような、自分に言い聞かせるような、そんな口調で。

僕は職務上料理を作ることは多いが、別に料理のプロというわけではなく、技術もよくいえば中の上程度。
特段学んだこともなく、あるとすれば居酒屋やカフェのバイト経験くらい。
そんな僕の作った料理ですら、誰かの心に届きうるのだと教えられたようだった。

安心できる空間で、温かく、美味しいご飯を誰かと一緒に食べる。
「美味しい」や「ごちそうさまでした」のたった一言でも、作り手としては本当に嬉しく、料理を通して確かな繋がりを感じられるのだけど、 今回の若者は食べながら「幸せを感じる」とも言ってくれて、たった一度の食事が誰かの幸せにも繋がることを実感させてもらった。

思い返せば、その時の一皿はかなり思考を巡らせて作ったように思う。
疲れの色の見えるその顔にどうやったら笑顔を咲かせられるか。美味しいと思ってもらえるか。苦しい日々の状況の中で、どんな一皿なら微かに光を灯せるか。
その思案が結実した瞬間は何にも変え難い喜びだった。


その時に提供した食事。
クラシルで見つけた中村シェフの茄子ミートチーズ。

人は、食べたものでできている。

まさにその通りで、僕らは日々口にするものを地肉に、活力に変えながら日々を乗り越えている。
目まぐるしく変わる世の中、決して楽ではない暮らしの中で、美味しいと心から感じられる瞬間はどのくらいあるだろうか。
そしてその瞬間というものは、どれだけ尊いものだろう。
それが当たり前ではないことを、どれだけ意識してこれただろう。

社会人になって間もない頃、心身ともに忙殺されて疲れ果てていた時、朝ごはんからは味を感じなかった。食欲すらわかず、何も食べない日も多かったような気がする。
逆に、充実した日々に食べる朝ごはんはいつもよりなんだか美味しく感じられた記憶が確かにある。
朝ごはんを美味しく食べられた時、僕の近くには確かに幸せと、それを感じられるだけの余白があったのかもしれない。

その幸せに気が付く一瞬を、一皿の料理を通じて若者たちに提供したいと今は強く思う。
しんどい時や、悩みが頭から離れない時は、どうしても食事などが疎かになってしまいがち。加えて僕らが関わっている若者たちは、食事を通じて人の温もりを感じられるような環境にいない子もいる。

そんな若者たちがいつか「生きていてよかった」と歓べる日につながる糧となるような食事を、これからも作り続けていきたい。
見た目の楽しさだけでなく、食感や味のリズム、一緒に食べる友人たちとの空気感も含めて、一皿の上に表現できるように。それを食べる若者たちが、そこに一時の余白と幸福を感じられるように。

一皿の上にセンス・オブ・ワンダーを。
そのワクワクと美味しさは、心にも届きうるのだと信じて。

#元気をもらったあの食事

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