見出し画像

「パパとしての清志郎」忌野清志郎の言葉。

(忌野清志郎の言葉33)

忌野清志郎は、1988年父親となった。
こどもの誕生は、清志郎にとって
世界観が変わるほどの大きな出来事だったようだ。
ライブや創作活動において子煩悩ぶりを発揮。
過激なロックンローラーより、
やさしいパパというイメージの方が強くなった。
それを象徴するのが「パパの歌」だ。
作曲:忌野清志郎、作詞:糸井重里。
清水建設のCMソングで、そのCMにも出演している。
そんな言動を見て、
あんなのロックじゃない、清志郎は終わってしまった、
と離れていったファンもいた。

「RCのツアーではギターの裏面に石井さん(妻)が抱く竜平くんの写真を
貼って、わざと裏返してファンに一瞬見せたり、ステージに抱いて登場したり、
年賀状が子どもの写真になったり、ほほ笑ましい子煩悩な面が一気に表れました」

出典:元マネが語る 忌野清志郎との日々

子どもができたことで、「別に、かっこいい反骨のロックを歌わなくてもいい。何を歌ってもいいんだ」って開き直った。それが結果的に「パパの歌」みたいな曲にもつながったんです。(忌野清志郎)

出典「婦人公論」2000年10月7日号 情報元:文春オンライン

パパの歌 作詞:糸井重里

家のなかでは トドみたいでさ
ゴロゴロしてて あくびして

出典:uta-net歌詞全文はこちら


こどもが生まれて、清志郎は変わってしまったのか?
ロックではなくなったのか?
それは少し違うんじゃないかと感じる。
そもそも清志郎の音楽はロックという枠に入りきらない。
過激な歌もあるが、熱いラブソング、クスッと笑えるコミカルなものもある。

綺麗事は歌わない。いま感じること、いま歌いたいことを、
表現するという、清志郎のその姿勢はデビューしてからずっと
変わることがなかったと思う。

今では男の育児はあたりまえ。しかし、当時は
「イクメン」なんて言葉もなかった。
そんな時代に、こどもとの時間をなによりも大切にし、
そのかわいさを表現したバンドマンなんて他にいただろうか?
ある意味、そっちの方がロックじゃないか。

俺は息子が可愛くて仕方がなかった。
今までのどんな恋人よりも、くらべものにならないくらい可愛かった。
どこへ行くのにもいっしょだった。ステージにいっしょに出た時もあった。
そんな俺を人々は親バカと言ったり、「あいつはもう終わった」と言った。
ふざけんな。俺はやっと始まったんだ。始まったばかりさ。
(忌野清志郎)

出典:瀕死の双六問屋 第三十二話


海外にも、似たようなパパがいた。
ハウスハズバンド(主夫)宣言をし、丸5年も育児と家事に専念した
ジョン・レノンだ。

自分の子どもを、
清志郎はラッキーボーイ、
ジョンレノンはビューティフルボーイと表現した。

ラッキー・ボーイ 作詞:忌野清志郎

ほら大丈夫 平気平気
ちょっとやそっとじゃへこたれない

出典uta-net歌詞全文はこちら

Beautiful boy  作詞:ジョンレノン

Close your eyes
Have no fear

出典j-lyricnet歌詞全文はこちら

YouTube忌野清志郎オフィシャルチャンネル「ラッキーボーイ」


YouTube John lennonオフィシャルチャンネル「beautiful boy」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?