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人付き合いの条件

わたし、自分で言うのも変な話ですけど、割と世界の「きれいなところ」で生きてきた人間だと思います。
川でいうところの、ものすごくきれいな上流の、ぜんぜん濁りのないところで生きてきたんです。湖面だったら、上澄みというか。
ピュアだとか、透明感がすごいとか、よく言われます。それは決して見た目や雰囲気のことではなくて、精神のことなんだろうなといつも感じます。「あおこの周りは空気が浄化されてる」「空気清浄機」って言われたりします。笑
(そのことを、「育ちが良い」っていう人もいますが。経済的に裕福だったとかそういうことではなくて、精神的に濁りのない場所で生きてきたんだと思います。本当に)

だから、自然ときれいごとみたいなこと言っちゃうこと、割とあると思います。多分。人の心はきれいだって、信じている節があると思います。
きっと幸福なんでしょうね、わたしって。(ありがとう、神さま。存在するかは知りませんが)

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そんな、上澄みで生きている、人の心はきれいだと思っているわたしですが、一つ痛感していることがあります。

それは、付き合う人は選ぶべきだ、ということです。

「みんなと仲良くしましょうね」とは、まったく思いません。
上澄みだ上流だ、って話をしたから、「下流や湖底の人とは付き合ってはいけません」とかそういう話に展開するように見えるかもしれませんが笑、決してそういうことではありません。別に、どこに住んでいる人と仲良くしてもよいです。自分と全然違う世界の人と交流するのは、とっても楽しい。武勇伝みたいなのがわんさか出てくるし、フィクションの中にしかないと思っていたような人生が、普通にある。そういうところで生きている人たちの話の力強さとか、メンタルやフィジカルの強さとか。人生観とか。学ぶこともたくさんあるし、単純に魅入ってしまったりします。

だから、出自や生育環境はあんまり関係なくて。
ただ一つだけ、人付き合いの条件があるとしたら。
それは、「その人と一緒にいるときの自分のことを、好きでいられるかどうか」だと思います。

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自分を素でいさせてくれる人。
自分をリラックスさせてくれる人。
自分を引き上げてくれる人。
自分のモチベーションを上げてくれる人。
何か気付きをくれる人。
世界を広げてくれる人。

いろいろな友人知人がいると思います。
他人って、自分に対してさまざまな役割を負ってくれるんですよね。知らない世界を見せてくれたり、連れて行ってくれたりする。

でも、中にはたまにあるんです。
その人と一緒にいると、自分が「嫌な自分」になってしまうっていうこと。

一緒にいるときは同調していて気が付かないんですが、何かに引っ張られるようにして、自分ではない自分に寄っていっている気がする。
新しい世界を発見するとかそういうポジティブなことじゃないんです。
別れて一人になったあと、すごく落ち込むんです。ショックを受けるんです。自分自身に対して。
あんな言葉を使うのか、わたしは。あんな心になるのか、わたしは。そういうショックを感じる人付き合いっていうのが、たまにあるんです。

そういう人とは、距離を置いたほうがいいんだなと、直感的に思います。
もう、これはきれいごとじゃない。相性が悪いんです。

一緒にいるとどんどん自分が嫌になっていく相手とは、距離をとるべきです。相手が悪いんではなく、自分が悪いんでもなく、ただ相性が悪い。

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意外といるんですよ。
同じコミュニティのなかにも。意外と近い場所にも。
みんなでいるとわからなくても、二人になるとそうなってしまう人が。

「ちょうどいい距離」っていうのが必ずある。
多少遠め、かもしれないし。悲しいことに、「まったく顔も見えないくらい」がいいこともある。

それはしょうがないんですね。相性ってものがあるから。ものごとには必ず。誰も悪くないです。

相手のこと自体も大切だけど、相手と一緒にいる自分も同じくらい、大切なんです。
一緒にいると自分のことが好きになれるような、そんなすてきな相性の人も、世界にはいるんです。もしそういう人と出会えているなら、そういう人とこそ一緒にいたい。いたほうがいい。

「相手のこと、好きか嫌いか」はわかりやすいけど、それよりも大事なのは「相手と一緒にいる自分のこと、好きか嫌いか」なんです。たぶん。


人生は有限だからね。少しでも自分を好きでいられるほうが、幸せなんじゃないかなと思います。
自分をあえて傷つける必要はないから。

最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡