見出し画像

一瞬を追い求めるって、なんか麻薬みたいだね。

むかし、当たり前のように思っていたことは、「何かを得れば満足する」ということ。当たり前のように持っていた欲求は、「何かを得たい」という欲求。

大人になるまでは、現象として何かを得るっていう体験がとても多かった。多かったというか、絶妙に適切なタイミングで「得る」が起こるように、いろいろなものが配置されていました。
例えば、試験とか。運動会とか。成績表とか。結果、という形でいろいろなものを得る体験がある。それから、子供のうちはわりと強制的な環境の変化もたくさんある。つまり強制的に「得るために失くす」しくみができている。子どもから大人になる、というその過程のなかに、「得る」という体験がものすごくたくさん配置されている。

まあ、人生のレールって、誰しも学校を卒業するくらいまでは敷かれているものです。会社に入ってもそれが続く人ももちろんいるかもしれないです。きちんと定期的に何かを「得て」、一つを得たら次の得るべきものが出現して、またそれを得たら次の得るべきものが出現して。

***

なんだか満たされない、という気持ちになったとき、手っ取り早くそれを埋めようとして「何かを得る」という行動に出ることは、とても多いと思います。何かを得るという体験が自分を満たすことを、大人になるまでの20年くらいで覚えてきたから。

でも、これってすごい落とし穴なんですよね。笑
体験的にわかっている人も多いと思う。
だって、得るっていうのは「一瞬」だから。一瞬で終わっちゃうから。
終わっちゃうとね、また得たくなる。その快楽を味わいたくなる。麻薬みたい。笑
もちろん、適切に目標を管理して、一生適切な位置に「得る」を据え続けられる人はそもそもものすごく能力が高いので、そういう生き方もありだと思います。常に計画を立てて、「得る」ために邁進し続ける。それはね、もはやすごい精神力。でもわたしみたいな飽き性のぽやぽや人間にはちょっと、難易度が高いです。笑

これはすごく大切なことだと思うんですが、人生において「現象として何かを得る」っていう一瞬の体験はどれも「副産物」なんです。
人生は、自分が得たもので構成されるのではない。人生で得たものっていうのはすべて、副産物。
じゃあ人生の主産物は何かっていうと、ずっと続くもの。すなわち、自分がどう「在る」かっていうこと。どういう自分でいるか、っていうこと。

***

考えてみればすごく自然なことなんです。
現象として何かを得るっていう体験は、自分がなにがしかの状態で在った延長線上にある。

例えば、全国模試で一位を取ったとする。
その通底には「勉強をしていた自分」がいる。絶対にいる。
ただね、その通底の「勉強をしていた自分」っていうのは、全国模試で一位を取るために毎日必死に苦行のように勉強していた自分なのか、それとも勉強が好きで気付くと勉強していた自分なのか。

前者が味わえるハッピーっていうのは、模試の後の一瞬。その模試が終わったらまた苦行が始まる。次の模試のために。
後者が味わえるハッピーっていうのは、ずっと。しかも一位っていうご褒美までたまたま降ってきちゃった。


満たされ上手って、きっと、ぽっと現れる「現象として得る」に満ち足りた何かを感じるのではなくて、ずーっと通底にある「なにがしかの状態で在る自分」というところに満ち足りた何かを感じているんだと思うんです。
だってね、一瞬のために通底で苦労するって、すごく大変じゃないですか。相当努力家じゃないと……わたしだったら嫌になっちゃいます。笑
通底が満たされていたらそれだけでうれしくて、さらに副産物でなにかうれしい現象が起きちゃったら、それは二重にハッピーじゃないですか。

***

世の中にはいろんな人がいて、それでもやっぱり副産物を得るのが幸せな人がいます。というか、通底で苦労したい人がいます。頑張り屋でM気質の人たち。笑
何かのためにすっごく苦労して苦労してやっと手に入れる、というそのプロセス自体が病みつきになっていて、それこそが高揚感につながるタイプの人。何かを渇望することが、幸せの一部になっている人。そういうタイプもたしかにいる。

でもね、わたしはあんまり努力家じゃないから。笑
そういうわたしみたいな人は、麻薬に手を出すのをやめて、毎日の食事に幸せを感じられるようになったら、すごくしっくりくるんだと思う。


***


ちなみにね、他人には努力に見えても、自分ではぜんぜん努力と思ってないようなこと、ありますよね。
それこそが本当に、その人のやるべきことなんだと思います。それはその人にとって麻薬なんかじゃなくて、毎日の食事。

全国模試で一位を取ったのはわたしの話なんですが、あのころは勉強が楽しすぎて一位でもなんでもよかった。もちろんうれしかったけども。
あれはね、努力してたんじゃなくて、ただ遊んでただけ。勉強で。

それから月日が経って、得るっていう機会もすごく多くて、得たものを称賛されて、どんどんそれが気持ちよくなっていって、わたしも「現象として得る」ばっかり欲しがるようになって。その通底になにがあるのかっていうのを忘れた時期がすごく長かったです。

でも、忘れちゃいけない。通底には、つねに「なにかしらの状態である自分」がいるんだから。その自分を、見ててあげないと。
現象は一瞬だけど、自分はずっといる。つねにいる。



最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡