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誠実さっていうのは、「なんでも隠さず話す」ことではない。

むかしは、なんでも隠さずに話すことが誠実なんだと思っていました。
でもね、いまは秘めておくこともまた誠実さの一つである、と思います。

嘘をつく必要はないんです。ただ秘めておけばいい。
相手になんでもかんでも自分のことを背負わせる必要はないから。

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人と関わるうえで、その人と仲良くなっていくうえで、一定以上の自己開示は必要だと思います。もちろん。
自分を何も見せずに相手のことだけ見せてもらおうっていうのは、それはあんまり誠実じゃないと思うし、ちょっと難しい。自己開示が全くない人のこと、信用したいとはなかなか思えないですからね。

不器用だったころ、まあ今でも器用とは到底言えないですが笑、その匙加減が難しくて、0か100か、みたいなところがありました。
心を許せば100開示してしまう、心を許さなければ全く開示しない、みたいな。

でもその開示って何なのだろう、って思ったときに、たぶんすごく利己的な開示だったんですよね。何が利己的かって、「開示して全部受け止めてほしい」っていう、そういう気持ちがあった。
「わたしのことわかってほしい、知ってほしい、そのうえで受け止めて、しかも好いていてほしい」っていう。文字にするとすごい圧になっていますが。笑

なぜかそんな状況であるにもかかわらず、「全部開示するのが誠実だ」って思っていた、不思議なあのころのわたし。
もちろん、自分の心理的負担はあるけれども。開示するってちょっと勇気がいるけれども。でもそれ以上にね、自分が開示するのをためらうような情報って、受け取るほうの心理的負担もあるんですよね。特に閉鎖的でプライベートな関係性だったら特に、開示されたら受け取らないわけにはいかないですから。どんなものを開示されるかわからない状況で、受け取らなければならない。

誠実である、というのは、その相手の心理的負担まで冷静に考えてから、開示するか秘めておくか決めることじゃないかなと思うんです。
それでもわたしたちの関係性を考えたら開示したほうがいい、と思ったのなら、それなりの配慮やフォローを添えて行うし、時と場所や相手のコンディションも考慮する。伝え方も考える。

自分のことを開示するって、自分ばっかり勇気がいるような気がしてしまうんですよね。だから、取扱注意の割れ物を「えいや!!!!」って目をつぶって投げちゃうことが結構多いんです。笑
でもね、本当に相手に誠実でありたいのなら、相手が受け取る姿勢になってるときに、割れないようにきちんと梱包して、ゆっくりと大切に手渡しすべきなんですよね。

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そしてね、やっぱり「わたしのこと全部わかって受け止めてほしい」っていう気持ちで開示するのは、相手への誠実性とはちょっと違うなって思います。
相手に自分を背負わせるための開示っていうのは、別に誠実とか関係なくて、ただ自分がちょこっと楽になるんです。相手がどうとかじゃなくて、自分が楽になる。
「きみが背負ってるものを自分も背負いたい」って仮に相手が思ってくれているとしても、そんな感じのことを言ってくれたとしても、慎重にならないといけない。その言葉をそっくりそのまま鵜呑みにして、全身全霊で寄りかかったらだめですし、荷物を背負ったままおんぶしてもらおうとするのもダメです。笑
だって相手には見えてないから。自分が今の時点で何を背負っているのか。


「自分たちの関係性を顧みて、これからの関係のために、開示する」
「相手に安心してもらうために、開示する」

誠実性のある開示というのは、こういうことだと思う。
もちろん日常の、他愛ない開示もあった上でね。関係性を顧みて、っていうところもとっても大事で。そのうえで、これからの関係のために、っていうところ。

これからも一緒にいるために。これからも一緒にやっていくために。
自分のためじゃなくて、二人のためであるように。または、相手のため、であるように。

開示するか、秘めておくか。
一呼吸おいて、自分の胸に手を当てて考えたいですね。

相手はどんな顔をするだろうか、とか。
冷静に話せて重苦しくならない言葉はどれだろうか、とか。


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吐けば楽になることは、たしかにある。
相手のそれは受け止めたいなって、わたしも結構思うタイプなんですが。
でもね、わたしは、相手を掃き溜め場にはしたくないなって思うんですよね。笑

相手が受け止めてくれるからって、相手を感情のごみ箱にしてはいけない。
相手に対して誠実でありたいならね。



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