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「頑張ればできちゃう自分」は本当に自分なのか?<見栄っ張り症候群>

わたしは実家暮らしですが夕飯づくりを担当していて、毎食結構な量の食事を作っています。(父が大食いなのです)
昨日、両親が旅行に出掛けていて、兄とわたしの二人分だけ食事を作ったのですが、そのなんとラクチンなこと。いつもの半分の時間で終わりました。

二人分ってこんなに楽なんだなぁ~、ということは同棲とか結婚とかのほうが実家より楽なんだなぁ、なんて思ったんですよね。
しかし次の瞬間、「あ、きっとわたし、見栄はっちゃうから、もっと頑張っちゃうだろうな。しれーっと、『ワタクシはデフォルトがこれなんですわよ~』って顔しながら、頑張りメシを出し続けるんだろうな」って思い至りました。そうそう、わたし、見栄っ張りなのでした。

頑張ればできちゃうんですよね。小器用だから、しれーっと頑張ればできちゃう。頑張ればできちゃうんだからそれも自分のスキルの一つなんだろうか。でも若干無理してるんじゃなかろうか。無理ってどこからが無理なのかしら。。?
同じようなことを、以前働いていた会社でやっていたような気もします。頑張ればできちゃって、しかも「優秀なのがデフォルト」って思われたくて、顔には出さずに頑張り続けちゃった記憶がありますね。(そして社長がとってもいい人だったから、いつも「あおちゃんは本当に優秀だから~~」って周りにも自慢しまくって褒めそやして伸ばしまくってくれたんですよね。感謝。笑)

みんな、そういう経験あると思います。人間ってちょっと背伸びしたがりますよね。したがりません?

頑張ればできちゃうことって、果たしてデフォルトの自分なんでしょうか?
頑張ってもできないことっていうのは明確なのでどうでもいいんですけども、問題は「頑張ればできちゃう」の方なんですよね。
だってできちゃうんだもの。わたしの能力の一部といってもいいじゃないですか。(見栄を張りたい)

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なんだか最近「自分の『できない』を認める勇気」みたいなことを記事で書いていたような気もしますが、『できない』ってどこからを指すんだろう?というのがなかなか難しい。

例えば、掃除機。あの掃除機のコード、頑張って引っ張って使って「ここまでいける!」って使ってるじゃないですか。わたしは使ってますね。階段の掃除とか。もうちょっと行きたいなーと思って恐る恐る引っ張って使ってます。
でも、引っ張ってずっと使っていたら、いつか断線します。断線したら、掃除機って使えなくなっちゃうんですよね。つまり、掃除機のコードってそういう使い方を前提としていない。引っ張って使う前提じゃないわけです。

デフォルトの自分っていうのも同じで、若干コードに余裕のある自分のことなんじゃないかなと思いますね。
本当に能力のある人って、まず、7~8割くらいの力で結果だせるんです。余裕がある。しゃかりきに11割の力をだすことが必ずしも最善の結果になるとは限らないことを知っている感もある。余裕があるから、広い視野・広い技術の中から「どの部分の7~8割使えば最適か」までわかるという、そんな感じがします。世の中にはいるんですよね~、本当に優秀な人って。

だから、2~3割を余力に残しておけない時点で、そこまで優秀じゃないと認める必要があるのかもしれませんね。笑

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見栄を張る前に、自分の現在のキャパシティーを把握して、キャパシティーの中でうまくやりくりするスキルを身に付ける。もしくはキャパシティーを広げる訓練をする。

無意識に自分を自分以上に見せようとするから、コードが断線するんですよね。できなくたっていいじゃない。いいのよ。謙虚に身の丈を知りたいと思います(*'ω'*)!!!

最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました! 意識低めなので、いただいたサポートは書籍代などにはならず、おいしいケーキや紅茶に消えると思います……(*´ω`*)♡