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NO.59 山田太一が語る小津安二郎の『東京物語』に就いて

12月1日に山田太一さんの逝去の報を聞いて以来、山田さんの本を少しずつ読み返しているからか、何を見聞きしても「山田太一ならどう思うだろう。どのように書くだろう…」と自問自答してしまうようだ。

先日、江戸城を眺めながら小津安二郎の映画『東京物語』のことを考えていた時も、頭のどこかに山田太一さんの言葉が浮かんでいたような気がする。

昨夜、山田さんのエッセイ『夕暮れの時間に』を読んでいたら、まさに『東京物語』について書かれた「小津の戦争」というタイトルの文章に出会った。

こんな文章で始まる。

「長いこと「東京物語」の瑕瑾のように思っていた台詞がある。周吉(笠智衆)が紀子(原節子)に、もう戦死した息子のことは忘れてくれ、「ええとこ」があったら、いつでもお嫁に行っておくれというと、紀子が「私ずるいんです」という。そんな「いい人間じゃない」という。「いつも昌二さん(亡夫)のことばっかり考えているわけじゃありません」「思いださない日さえあるんです。忘れている日が多いんです」と。それを「ずるい」というように自分から三度もいうのである」

その後、原節子は手に顔をうずめるようにして激しく慟哭するのだけれど、そのシーンは僕も初めて観た時から、この映画のクライマックスとして強く記憶に残っている。

映画では慟哭する紀子に周吉が「いやあ、ずるうはない」「あんたはええ人じゃよ。正直で」と応ずる…

この映画を観た多くの人が、この一見静かで穏やかな映画の均衡を破るような激しい原節子の慟哭に心を揺さぶられ、忘れることはできないだろう、と思っていた。

しかし、山田太一さんは、こんな風に書く。

「しかし、紀子は正直だろうか。本当に自分を「ずるい」と思っているだろうか。死んで八年もたてば亡夫が遠くなるのは当然と思いながら、綺麗な口をきいたのでなないだろうか。紀子はあきらかに小津の肯定的人物なのだから、こんな疑わしいやりとりはしない方がいい、と名作のこのシーンだけは浮いているような気がしてならなかった」

いかにも山田太一さんらしいペシミスティックな意見だとも思えるけれど、この文章には更に先がある。

「それがある日、小津の軍服の写真を見ていて、紀子が自分を「ずるい」と感じる気持を突然理解した。
 亡夫は戦死をしたのであった。紀子は-そして小津は-ただ亡夫を忘れかけていることを「ずるい」と言ったのではなかった。八年前までの戦争でおびただしい数の日本人が死んだことを、半ば忘れかけている自分を-小津を、「ずるい」といったのだった」

山田さんは最後に

「小津は生き残った自分を責める気持ちを紀子に託したのだと、みるみる瑕瑾が消える思いをしたが、どんなものだろうか」

と書いている。

僕は、先日録画した『東京物語』(リマスター版)を見直さなければならないと、思ったのだ。

※写真、映画『東京物語』より

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