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クラシック音楽と本(時々ドラマや映画も)を友とする日常を書いていきたいと思います。

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最近の記事

デジタルデトックスに伴いnoteでの発信をお休みします

3月末で会社を卒業するにあたり、少しデジタルデトックスをしたいと思います。 具体的には、発信については •ブログ •Facebook •Threads に限定し •Instagram •note •旧Twitter での発信は終了したいと思います。 これまで閲覧いただきありがとうございました。 尚、今後は下記発信予定のURLは下記になります。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。 https://www.facebook.com/share/p/vKh2

    • NO.106 ジャズピアノの歴史をたどる旅

      少し前から、毎朝少しずつマイク・モラスキーの『ジャズピアノ』を読んでいる。 これは岩波書店から出ている、上下二冊の大作。 主に1920年代~60年代のジャスピアニストを系統的に論じている。 名盤ガイド、演奏家の伝記、文化史研究、文芸的エッセイなどの要素を含みながら、ジャズ特有の「音」や「演奏手法」を詳細に描いていてとても読みごたえがある。 僕はジャズについては、学生時代からビル・エヴァンスのアルバムを何枚か愛聴してきたくらいのいわば素人だから、所々技術的な説明はわから

      • NO.105 13年目の3.11のために

        かつて8月15日が近づくと死者の魂の気配を感じて心が重たくなった。 2011年3月11日以降は、毎年3.11前後は気持ちが沈むようだ。 昨年から今年にかけては、昭和という時代を象徴するような有名人の訃報が続いた… 大江健三郎、坂本龍一、谷村新司、八代亜紀、小澤征爾… 最近では鳥山明とちびまる子ちゃん役の声優の訃報に接して言葉を失った…… それはもちろんこちらの年齢がそれなりの年齢になったからかも知れないけれど、それにしてもこんなに短期間に…という気持ちがぬぐえない…

        • NO.104 「白か黒か」ではない思考に就いて

          学生時代、僕が所属していた大学のサークルであるレコード鑑賞会の先輩の一人に朴さんという女性がいた。 彼女はいつも穏やかに微笑んでいて、いつもその周りには柔らかい光が射し込込んでいるような印象があった… だから、少し前になるけれど著書『帝国の慰安婦』が日韓で大きな論争を巻き起こした時、友人から、日本文学研究者でその本の著者である朴裕河(パク ユハ)氏が、僕が所属していたサークルの先輩の一人である朴さんと同一人物だったと聞いた時には、にわかには信じられなかった。 僕はまだ朴

        デジタルデトックスに伴いnoteでの発信をお休みします

          NO.103 「体験的アイドル史−松田聖子から河合優実まで−」

          僕がまだ大学生だった頃、まだデビュー前の松田聖子が蒲池法子という本名でラジオの番組に出ていた。 初めて彼女の声を聴いた時、僕は「彼女は絶対にスターになる」と確信し、周りの友人達に話したけれど反応は薄かった。 その後、松田聖子は1980年に資生堂のエクボのCMソング「裸足の季節」でデビュー、2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒットしてあっという間に昭和を代表するアイドルになる… そんなおじさんの昔ばなしを始めたのは、宮藤官九郎脚本によるドラマ「不適切にもほどがある」(第6話)で、

          NO.103 「体験的アイドル史−松田聖子から河合優実まで−」

          NO.102 「好きは因数分解出来ない」ということ

          友人と飲んでいると、時折「お、今良いこと言ったよね」と二人で合点して、それを友人がメモしてくれる。 後からそのメモを友人がLINEで送ってくれて、もちろん覚えていることもあるけれど、中には「ちょっと何言ってるかわからない」ような言葉もあって、酔っ払いの思考回路や飲んでいる「場」のエネルギーの可笑しみを痛感する。 先日、一人で飲んでいる時にふと 「好きは因数分解出来ない」 という言葉が頭に浮かびメモしていた。 どういう文脈でその言葉が思いついたのか定かではないけれど、

          NO.102 「好きは因数分解出来ない」ということ

          NO.101 寒い夜、イングリット・ヘブラーの弾く温かみに溢れたバッハを聴くこと

          今日は気温も低く激しい風も吹き荒れる寒い一日だった。 そんな一日の終わりに、ふと、イングリット・ヘブラーの弾くピアノの音色が聴きたくなった。 イングリット・ヘブラーと言えばやはりモーツァルトという事になるので、そのモーツァルトピアノ・ソナタ全集は僕も車の中で時々聴いている。 基本的に端正なテンポながら、その音色には気品と微かな哀しみが漂う。 今夜は、そんなヘブラーが弾いたバッハの《フランス組曲》(1980年)のアルバムがあると知り聴いてみた。 優しい光に包まれるよう

          NO.101 寒い夜、イングリット・ヘブラーの弾く温かみに溢れたバッハを聴くこと

          NO.100 島田雅彦のエッセイ『散歩哲学』について

          島田雅彦の新刊エッセイ『散歩哲学』(ハヤカワ新書)を読んだ。 軽いエッセイだけど、随所に島田雅彦らしい視点が垣間見えて楽しい。 例えば川島雄三の映画『須崎パラダイス 赤信号』について、こんな風に書く。 「『須崎パラダイス 赤信号』は埋め立て地の近くに栄えた労働者向け歓楽街入口にある小料理屋が舞台になっている。橋の下で途方に暮れていた流れ者の男女がバスに飛び乗り、そこに流れ着くところから物語が始まる。川べりの貸しボート屋を兼ねるその店にはこれから歓楽街に女を買いに行く男た

          NO.100 島田雅彦のエッセイ『散歩哲学』について

          NO.99 雪の降る休日の朝、はじめてのR&Bを聴くこと

          ずいぶん朝から冷えていると思っていたら雪が降りだした。 そんな休日の朝、昨日入手した『MUSIC MAGAZINE』「21世紀のヴォーカル・アルバム」のR&B部門で紹介されていたJhene Aiko (ジェネイ・アイコ)のアルバム『Chilombo』(2020年発表)を聴きはじめた。 アルバムタイトルの『Chilombo』は(日本人の血もひく)彼女のフルネームであるJhene Aiko Efuru Chilomboから名付けられている。 とても素晴らしいアルバムだ。

          NO.99 雪の降る休日の朝、はじめてのR&Bを聴くこと

          NO.98 日曜の夕方、映画『ちょっと思い出しただけ』を観ること

          今日の夕方、家人が美容室に出かけたので、友人お勧めの映画『ちょっと思い出しただけ』(2021年)をNetflixで観る。 池松壮亮と伊藤沙莉の、演技とは思えない自然体の芝居が良い。 今、上手な役者は数多いけれど、この二人はやはり天才だと改めて思った。 物語は池松壮亮の誕生日の一日を年代を遡る形で描く。 幸福だったからこそひりひりするような思い出になった瞬間をフィルムに定着した名作だ。 ドラマ『不適切にもほどがある』で阿部サダヲ演じる主人公の娘の純子を好演している河合

          NO.98 日曜の夕方、映画『ちょっと思い出しただけ』を観ること

          NO.97 「毎日ベートーヴェンばかり聴いてちゃ駄目ですか?」

          ベートーヴェンの音楽を平野昭氏が作曲年順に紹介する「おやすみベートーヴェン」というサイト(2020年に完結)で、ベートーヴェンの音楽を毎日聴く生活が続いている。 毎日2,3日分の音楽をまとめて聴いているけれど、聴き始めて1週間経過して、ようやくピアノ協奏曲第1番までたどり着いた。 作曲されたのはベートーヴェンが1793年〜1800年(ベートーヴェン23歳〜30歳)にかけて。 楽譜は1801年に出版されている。 ここまで初期の作品も随分聴いてきて、それはそれでとても面白

          NO.97 「毎日ベートーヴェンばかり聴いてちゃ駄目ですか?」

          NO.96 芥川賞受賞作『東京都同情塔』とドラマ『不適切にもほどがある』の間にあるもの

          第170回芥川賞受賞作である九段理江による『東京都同情塔』を読んだ。 僕にはとても面白い小説だった。 タイトルの「東京都同情塔」(トーキョートドージョートー)という名前で呼ばれるそのタワーは刑務所である。 この刑務所(正式名称「シンパシータワートーキョー」)が国立競技場を見おろして建つのは、都心の一等地、新宿御苑があった場所で、奇しくも僕が社会人となって最初に赴任した代々木のオフィスの直ぐ近くだ。 受賞時の著書の言葉から「AIで書かれた小説」というイメージばかりが先行

          NO.96 芥川賞受賞作『東京都同情塔』とドラマ『不適切にもほどがある』の間にあるもの

          NO.95 「ベートーヴェンによるアイルランドの歌」に出会った朝

          今朝Spotifyでクラシック音楽のニューアルバムのアンソロジーを聴いていて、「ベートーヴェンによるアイルランドの歌」というアルバムの中の一曲が流れてきた。 僕は寡聞にしてベートーヴェンがアイルランド民謡を数多くの歌曲に編曲しているということを知らなかった。 少し調べてみて、音楽史家でベートーヴェンについての著書も数多く出している平野昭氏のこんな文章を見つけた。 「ベートーヴェンは1806年ころから20年ころまでに、180曲ちかい民謡編曲を行っている。その中心をなすのは

          NO.95 「ベートーヴェンによるアイルランドの歌」に出会った朝

          NO.94 小澤征爾、武満徹、そして大江健三郎のことなど

          昨夜、小澤征爾の逝去の報に接した。 僕は小澤征爾の音楽の良い聴き手とは言えなかったけれど、武満徹の音楽を演奏したアルバムは時折聴いてきた 昨夜は小澤さんを偲んで武満徹の初期の代表作『弦楽のためのレクイエム』を聴いた 。 この曲を作曲したのは武満徹が1955年過ぎ、20歳半ばの頃。 当時、結核を患っていた武満が、親交のあった作曲家早坂文雄の死を悼むとともに自らの死を意識して作曲した作品との事。 小澤征爾とサイトウ・キネンオーケストラによる『弦楽のためのレクイエム』の演

          NO.94 小澤征爾、武満徹、そして大江健三郎のことなど

          NO.93 八代亜紀の「舟唄」を聴き、失ったものの大きさを知る春の夜

          昨夜、NHKの「うたコン」という番組で、昨年亡くなった八代亜紀の歌う映像がいくつか流れた。 八代亜紀は僕が中学生位の頃から毎年紅白の常連だったから、何気なく見ていたけれど、昨夜改めて八代亜紀さんの当時の映像を見ていて(若い時には迂闊にも気がつかなかったけれど)何と美しい人だったのだろう…としみじみと思ってしまった… 番組では、石川さゆりが八代亜紀の代表曲作の「舟唄」を歌い、涙をこらえて歌う姿にこちらも思わずもらい泣きしそうになった… そして、いかに石川さゆりが歌が上手い

          NO.93 八代亜紀の「舟唄」を聴き、失ったものの大きさを知る春の夜

          NO.92 春の雪とシューベルト

          昨日から降り始めた雪はもう雨に変わったのだろうか。 春分を過ぎて降る雪のことを「春の雪」と呼ぶそう。 そう言えば、三島由紀夫の『豊饒の海』の第一巻は「春の雪」というタイトルだった。 あの、夢とうつつの間を彷徨うような小説にいかにもふさわしいタイトルだ。 窓外に積もった雪の気配を感じて目覚め、久しぶりにシューベルトの音楽が聴きたいと思い、鶴澤奏の弾くシューベルトのアルバムから「3つのピアノ曲 D946」を聴き始めた。 隅々まで静けさに満たされた慎ましい響きがとても好ま

          NO.92 春の雪とシューベルト