さすらいが終わった日のこと。--高橋照美の「小人閑居」(2)

noteにたどりついた前後のことを、記しておこうと思う。

友人が「HPに”無人野菜直売所”みたいの、置けないかなあ」と言うので、
かわりに探したのが発端。

「田舎道を歩いてると設置してあるアレ。ほのぼのしたやつ。野菜の代わりにびんにお金入れるやつ。ああいうのがいい……」

オンライン講座のテキストやワークシートで「申し込みメール → 入金確認 → ダウンロードURLを送り」と続く、ひと昔前のやりとりが、もうイヤなのだと。
「つまり、リストを取って見込み客を囲い込む業務プロセスに、げんなりしているのだな?」と確認すると
友人は「あああー」と、同意とも嘆きともつかぬ声を出した。

お察しする。

出口戦略は「限りなくシンプル」なほうがいい。参入障壁が高く(=余人をもって代えがたく)、撤退障壁が低い(=いつでも「やーめた」ができる)ビジネスは美しい。やめるにやめられないビジネスは、提供者に負荷がかかり、せつない。期待に応えて清原でいつづけようとした清原みたいなせつなさ、とでも言おうか。物議をかもす一文かもしれないが、でもそういうせつなさだ。

そこで友人にnoteを紹介しようとして、はたと困った。
使ってもいないものを「いいぞいいぞ」と勧めるほど、無責任にはなれない。いやむしろ、奴はIT音痴である。同じくIT音痴2号のこちらに、
「無人野菜直売所にこのファイル置いてーー」

と、頼んでくるに違いない。先に使ってみよう。

で、夜中に起きるに至る。

利用規約を読んだ。よく考え抜いてあった、何度も改訂してあった。しかも「当該契約に際し万一トラブルが生じた際には、ユーザーとクリエイターとの間で解決していただくことになります。ただしPOCは当事者間のトラブルに関し、その解決に向け最大限努力します。」のくだり、まっすぐな心がにじみでている表現だ。この人たちは「通じる・伝わる」言葉を自分たちが持ちうる、と思っている……! どれほど研鑽したろう。

あたたかい表現をする人たちが運営している、と思った。長期滞在をするホテルの避難経路を確認していたら、ホテルの人に会うような。
そういうとき、一瞬でそのホテルを好きになる。

登録した。テキストを打ち始めてみた。エディタ(テキスト編集ツール。「編集者」とまぎらわしいので、以下アウトラインプロセッサという表記にしておく)を相当研究している人が作ったとみた。自動保存がdropbox並みにひんぱんに走る。しかし保存がキー入力の反映を遅くするようなもったり現象は起きない。「enter」で一行あき、「shift+enter」でただの改行。~という操作をマスターしたのは、使い始めて二十分後だ。

案の定一本目の書きものは、途中で ”どっかへ行っ” た。ファンクションキーやらendキーやら押しすぎたせいだ。直感的なアウトラインプロセッサ使いは、こういう乱暴なことをやる、取説読まない(ヘルプも探さない)。
”どっかへ行っ”たあと文を思い出しながら三十行ぐらい打ち直すのに慣れっこの身には、ファイルを探し出せて、しかも文が全部残っているのは”僥倖”だ。

しかもそのとき、ほっこりしたものを見た。

「1フォロー」

公式を自動フォローするしくみだ。

「書く」という行為において、国語の授業以外に「待っていてくれる、見ていてくれる、一緒にいてくれる存在」をリアルタイムで経験したことがない。徹夜で読んでくれる読者はいる。それはとてもありがたいことだ。でも書く間、考える間を一緒にいてくれる人が(ネットワークの向こうにだが)いてくれる幸せを、味わったことがない。

たとえ自動のフォロー表示であっても、「1」という数字は明確に幸せだ。

長くさすらったな。ここにいよう。
……そんな感慨を持った。

noteを作った人たちにお礼を言いたいと思う。
ありがとうございます。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!