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去年も同じストレスのもとにいた

朝は三時半すぎか五時半すぎには起きておく。
「子の刻」一回分は、つごう五時間から三時間費やして書いている、ということになる。

午前八時すぎから十時半ごろまでに、主治医から電話がある。

いちばんきつい状況で、すぐ病院に行かなければならなかったときは、朝八時十六分に電話をいただいた。明け方を持ちこたえた、いつ来てくださってもだいたい昼間は安定しているはず、というときは、十時半ごろ電話をいただいた。

だいたい、そのぐらいの、「コトの浮き沈み」の中で先週・今週をたどっている。


「子の刻」に一生懸命になっているより先に、自治会の回覧とか、PTAの引継ぎ資料のチェックとか、いただいて滞っている仕事は多数あるのだが、それにはギリギリにならないと、手がでない。もう、作業が億劫というかわいい状態を通り越して、軽い抑うつで手がでないのではないか、と思う。

僕にとって「子の刻」を書く、そのためにさまざま調べる、というのは、次郎吉にとってのばくちや酒と同じ、脳の不快回路に微電流が流れてしまう現実から逃げおおせて、脳の快回路に一定レベルの強さの微電流を流し続ける(三時間から五時間なら、十分な ”フロー” だといえる)ことなのだ。新型うつのメカニズムと似た図式になっている部分は、皆無ではない。

パパさんが白血病の診断をもらったのが、2019年の1月なかばだ。
あわてて駆けつけて、紹介状を書いてもらった病院に同行したのがその日。いきなり姪甥の世話と親戚の看病がはじまって、その年の五月にはもう、僕はへろへろになっていた。

これが昨年のちょうど五月五日だったことには、さきほど驚いたばかりだ。
今日と同じように、夜中に寝られないで書き始めている。

去年のこどもの日、弟君にどんなお祝いをしたっけ?
さかのぼって去年の桃の節句、おねえちゃんにどんなお祝いをしたっけ?

節句らしく、つつましくてもきちんとしたご飯を食べようとしたり、おやつを少しだけ特別にしたりしたはずなのだが、記憶がない。

記録がないことをたどるすべがないのだ。


新型コロナウィルスが、無症状感染の見えない恐怖と強烈な急変症状とで、ここまで多くの人を苦しみに巻き込んでいるときに、僕の親戚が白血病であまりにも多くの医療資源をひとりじめしていることについては、少し申し訳ないと感じてはいる。

一方で、三月十七日にパパさんが再入院したとき、

(助かった)

と思ったのも確かだ。

というのは、一週間に一回、二回の通院ですまず
「毎日通院」

という場面もあって、

タクシー代片道五千円。タクシーの予約(だいたい、朝になって電話しなおしてみないとつかまらない、というのが三割)。紙おむつやらパッド・シートやら、らくのみやら、刻々と症状が変わるのであれを買ってあてがいこれを買ってあてがい、の連続。
高額医療費しばりのどこをどう計算違いしたのか、病院の会計窓口で合計九万円以上を二週間の間に取られてきたパパさんに「それ、ぜったいおかしいから!」と僕は声を荒げてしまった日もあった。再計算ー返金処理ではなくて、後でふしぎな0円請求領収書を連続でもらってきたり。

という出費と負担の積み重なりが、とんでもなく続いていた。

「このまま頻回に通院してたんじゃ、ぜったいどっかで新型コロナウィルスかインフルエンザかほかの感染症もらって、やられる」

という、パパさんは恐怖を感じていたとしてもあれこれ言わないので、むしろ僕のほうがひりひりと気をもんでいた状況下で、それは続いていた。


もともと白血病は、免疫システムをやられる病気だ。
骨髄移植後も、頂いた他人の骨髄が自分の細胞と折り合いをつけるまでは、不意にそして長期に、肺や腸管などにおいて、激しい症状を出し続ける。

パパさんはさらに、去年の夏秋、肺の自力呼吸が非常に難しいところまで追いつめられて、「もうこれで最大量です、あとがありません」というところまでステロイドの大量投与をやって、感染リスクが上がるだけ上がってしまっている。

「万が一院内感染が起きてしまったら、もう僕はもって瞑すべし、と思うだろう。だからこの高負荷すぎる通院は勘弁してくれ!」

~という状態が、三月中旬すぎまで続いていたのだ。そして状態が急変しすぎて入院、となったとき、表現は悪いが、ようやく一息つくことができた。

PTAの仕事。自治会の仕事。こっちが急場をしのぐためにかけつけた親戚で、すでにオーバーフローしているってのに、こういう仕事を「もちまわりだから」とか「みんなやってるから」とかもちかけてきた察しの悪い人たちに対しては、正直、よい印象がない。想像力が欠けすぎてる彼らに、まったく同じレベルの負担を味わわせてやりたいものだ。と、不穏な話だけれど、それが正直な気持ち。
「見てみろよ、今年度機能してないじゃないか。不要不急のがらくた仕事だったじゃないか!ざまみろ」と、こっそり悪態をついてみた日が、じっさい何日かある。内緒ですが。


僕は仕事を変えた。父の死に目にも会えなかった。母との間が奇妙にぎくしゃくとしている。経済的にも複数の親戚が、多額の持ち出しをしてくれている。がんの中で白血病治療費は最も高額なのだ。

次は何をさしだせばいい。もう十分耐えがたきを耐えた。
ここまでさしだしたのだ。多大すぎる埋没費用にめんじて、パパさんを助けてやってくれ。……

俯瞰するとぜったい耐えられないので、目の前の一歩しか見ないことにしている。

いつか……いつか、笑い話になるといい。

「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!