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命には、かえてもらわなくてもいいです。ーー成長小説・秋の月、風の夜(99)

宮垣は四郎に話しかけた。
「なあ、飯を食おう。そしてなあ、酒はもしかして、経費でなく自腹か?」

「はい。あっ、うん」四郎は恥ずかしそうに笑った。本人の様子で判別してしまうようだ。
「銀座の女の子にもってくプレゼント以外は、経費で落としちまえ。集団で大きな利益を出すために法人格を作って使っているんだから、お前がもらった給料から俺への手土産を持ってきちゃあ、おかしいんだよ。伝票を経理に回してごらん。会社には自分や所属する人を損させないための手続きやルールがあるから、次から事前に聞いてごらん」

まずい。どう説明したらややこしくならないか、見当がつかない。
四郎は満代の顔を思い浮かべた。「血がまず」くてご先祖さまがしゃーしゃー怒るので、短い時間必死で抑えながら話すのが精いっぱいなのだ。

「どうした、仕合う時には出さないたぐいの対人緊張が、ぶわあーっと出るじゃないか」
宮垣は四郎の息のひそめ具合や、気鬱なようすをながめ、おもしろそうにたずねた。

四郎はつとめて深く息を吐きながら、ご先祖さまにとって「血がまずい」タイプの女性のこと、事務手続きの話を必要最小限にしかできないことを打ち明ける。

「へええ。不摂生不養生なんで、中のやつらが不快がって、拒否反応が激しいんだな! 個人的にはお前のご先祖さまたちの趣味に賛成だぁな、自分の体をいじめすぎてることに気がつかねえオンナは、いわば、見て見ぬふりでクラスの自分いじめに自ら加担してるようなもんだからな」宮垣はつぶやいた。

「いいかい四郎。仮に、自分をおとしめて何かに復讐してるような人間がいたとしても、そこに反応することなく知らん顔でいてやれる距離感がわかれば、こっちも向こうも楽なんだ。

晩飯のあと調整してみてやろう。

過去の人物たちの感覚のとどこおりを、ぜんぶ体から外してしまえば楽にいくはずだ。ご先祖さまたちが、騒がんでもいいことを騒いでるだけだからな!」

竹の子飯をよそいながら、宮垣は言った。
「ご先祖自作自演の縄だから、自分で切っちまうんだぞ。今、我慢してることは、隠さずぜんぶ教えなよ」

味噌汁、たくあん、竹の子飯。日本酒は棚に飾っておく。飲まずに済ますわけではなく、流しの下から半分あいた一升瓶を出してきた。
宮垣は上機嫌だった。もう子供も自分の家を構えてしまい、一人暮らしなのだった。

「かみさんが案外、早く死んでな。くらわんでもいいダメージが寿命に影響したんじゃないかなという部分があってナ。朝早く味噌汁作ってくれては、俺が寝てるとこをうっかり起こしに来て、こっちが熟睡して相手の分別がついてねえから、何度か飛び蹴りをくらわせっちまったが起こすのをやめない。ばかな女だぁナ、一度で懲りりゃあいいのに」

四郎は黙ってきいていた。こういうときどう答えていいかを知らない。
限りなく表情が沈んでいく四郎の顔を見て、宮垣はたずねた。「どうした、そんな悲しそうな顔でさ」
「俺、こういう話聞いて、どういうふうに答えてええかわからん」

「そうか」宮垣は笑った。「今のお前みたいに、黙って聞いてくれれば、それで十分誠実だよ。気のきいたこと言おうと悩むな」
「あっ」四郎は、ハッとした顔をした。「俺、自分がどうしたらええかてって考えとる、宮垣先生の気持ちやのうて」
「そんなのはいいんだよ、うわの空で聞けばいい話なんだ。一生懸命に聞きすぎたり一緒に深刻になったり、人の話を真に受けすぎたりすると、同調してしまって、体を壊しちまうんだぞ。そういうことこそ避けないとな」

四郎はおずおずとうなずいた。宮垣は四郎の顔を見ながら、話をしめた。

「かみさんが死んでから、一緒に寝てるやつを絞めたり蹴りをくらわせたりするクセがやんだ」

自分は大丈夫かと四郎は気になった。今のところ高橋を絞めたりはしていない。もしかするとぎゅうぎゅう抑制しているから助かっているだけで、油断したらどうなるかわからない。危険だ。奈々瀬と……奈々瀬ともっと親しくなる前につきとめなければ。

「俺も反射で攻撃してまうやろうか」
「心底リラックスしたらば、まちがいなくやるな。体に叩きこまれてる」
「どうしようしらん」
「寝ぼけたり恐怖で誤認したりするのを極力そいでみような。まあ、それでもクセが残ったらば、外に愛人でも作って、一緒に住まんことだ。それも面倒がなくていい」
そんな。それはいやだ。四郎はげっそりした。

話題を変えた。
「手や立ち姿の分厚さは、どんな鍛錬しやーたんやね。下半身が整うと、分厚さが出るんかね」
やっと、孫が爺さんになつくような言葉に、少しずつ慣れてきた。

「どっちもだなー。呼吸と体の柔らかさは大事だ。余分に気を回さんこともな」杯ではなく丼で酒をちびちびやりながら、宮垣は右手のひらを見る。

「指で人の体を押すと、不全な臓器の上は、弾力なくべこっと沈むだろ。手を当てて心をしずめていると、あ、今朝けんかをしたな、とか、ペットが死んだらしいとか、そんなことが心で取れるとき、俺の手のほうは、温度やざらつきや粘り気みたいな、手ざわりのようなもので、感情にふれているな」

「手で触れる情報は、体の中に入れんとおくんかね」ふと四郎は質問した。
「その通り! いい質問だ。施術者が “受ける” だの “もらう” だの、まるで患者が汚染されてるような言いっぷりを二年も三年も続ける。あれは施術者の点検工夫の未熟じゃあないのかという話だ。外科医が手袋も消毒もせんで、 “肝炎がうつった” “患者から感染症もらった” 言いつづけるなんぞ、ありえんだろ? 

それと同じ準備のなさはないか。もらわんかどうか、ちゃんと自分のあり方を点検、訓練するもんじゃあないか。そりゃあ初学者は波動の干渉や共鳴を知らんから、いろいろ起こるだろうさ。そこから真剣にやるんだ」

「先生……」四郎は腰を浮かせた。「からだ九章六節の記述が、そこまで踏み込んでおられんもんで、あそこの意味が……俺中途半端に理解しとった。読み手に不明瞭なまま、俺、放り出してあります。ちょっとメモします、食事中ごめんして」

宮垣は目をむいた。「ああもう、メシ食うときぐらい仕事のインデックス、はずしとけ。体を悪くするぞ」
「……ほんでも、今やれば、もう完了で忘れれるし……」四郎は宿題が間に合わなかった小学生のように身をすくめた。宮垣はムッとした表情をひっこめて、相好をくずした。「いいよ、今やっちまいな」

四郎は嬉しそうに、鞄からノートを引っ張り出してきた。聞いた話を三つのポイントにまとめて、書いて読み上げた。宮垣は「それでいい」と、満足そうに丼の酒をあおった。

「三つのポイントか。お前はほんとうに、簡潔に明快にやるなあ。……なんで三つにまとめるとわかりやすいのか、きいていいか」

「はい」四郎はきょとんとした顔をした。「信号の赤黄青みたいに、人間がパッと理解できるのは脳のしくみで三つ。限度は五つと習いました。三つセットなら覚えやすく伝えやすいので、伝えたり使ったりするときの簡単さを出すため、モレやダブリはなるべくないような出し方で、主なものを三つだけ出してまとめるようにと習いました」

「ああ、脳のしくみで三つか。

お前がタイムマシンに乗って、四半世紀前の俺に教えに行ってくれりゃあなあ。講義録も刊行本も、そういう大事なことを教えてくれるもんがいなくって、みっともないまとめかたにしちまった。

武芸では勘どころを体得したが、文章術では今頃お前に教えられている。……そうだな、俺の四部作のために願っていたら、天に通じたと思っておくか」

宮垣はそれから、
「武芸一本だったから、文章を苦労したんだよ」
とつぶやいた。

無骨者で、アタマが悪くてなあ。と。

四郎は答えに窮した。そして、俺も祖父の言いつけで友達を作ってはいかんかったので、コミュニケーションがへたくそです。と、あまり関係なさそうなことだが、答えてみた。
宮垣は「お前はまだ若い。時間が味方だ。一心に進むんだぞ、自在にあやつれるところまでたどりつくんだぞ」と言った。

そして話題を変えた。

「治療家や武芸者が捨てるのは、育てのリレーの中で無意識によかれと思ってためこまれたものだ。

治療家は、相対する者の不調をひろって自分も不調を招かぬように。武芸者は、相手に釣り針をかけられ振り回されぬように。

自分のなかで同調する部分だの、背負う・すがられる・引き受けるだの、不健全な思いグセを、ひたすら捨てることだ。自分の内側を、太く健全に。自然体になるまで、価値観・基準・モノサシ・べきねばを、捨てることだ。

価値観とは、実は心のにごりだ。持てばもつほど、自分の問題が過剰になり、あっぷあっぷするからな。自分の食う寝る住む稼ぐに必要なものだけ頭に持って、脊髄反射と心因反応を捨てつづける。

反対にからっぽであれば、武芸者は相手がもつマイナスの脊髄反射を見抜いて、そこへしかけやすい」

四郎は味噌汁を飲みながら、たずねた。「俺はご先祖さまを入れたまんまやと、どの程度じぶんでじぶんを濁しとるんやろうか」
「うん。お一方もいなければ、お前は人と揉み合っての切磋琢磨を不快としない。だからオリンピックで金メダル取れるよ。アーチェリーでも、クレー射撃でも。給料が今より月三十万円ほど高くなるか、会社を独立していくだろう。伝えるのが上手で、みんなお前を大好きで力を貸したくて、そういう中にいるだろう」

「ああー」すごく遠い世界だ。それが回数を重ねた施術で、射程距離に入ってくるとでもいうのか。

「あ、ほらお前、今俺をうたがったろう」宮垣はニヤニヤした。「お前のポーカーフェイスは、武芸者として作りこんでいるから、そこらへんの詐欺師より、俺には読みやすいんだー」
「えっ、どこで」それを聞けるだけでも、ここに顔をだした甲斐はあった、と四郎は思った。

「投げやりなことを考えたとき、人は息や目を投げるが、お前は目をとどめる。衝撃をうけたとき、人はびくっと体を震わせて正直にショック・アブソーブするが、お前はふっと息を吐くだけで衝撃を逃がす。

気取(けど)られないための抑制が、ぜんぶ手がかりになっちゃうんだよ。それは、腕のいいやつや古式の武芸者なんかと手合わせするときほど、不利な手がかりだ。そこらへんのストリートファイティングには有利だけどな」

「あっ」四郎は宮垣を見た。「俺が相手読むとき、それ手がかりにしとる……」

「ほうらな」宮垣はさらにニヤニヤした。「強さが飛びぬけてしまうと、こういう話をする相手がいなくなっちまう。自分の無意識の動きを、意識化する好敵手の友を持たねば、ひとりで道に迷うんだ、わかるな」
「うん」

「人ぎらいの原因を抜いたらば、俺の知ってる強い若いヤツに、少しずつ会わせてやろう。気の合う友達が、きっといる」
四郎は、今の自分の、それをありがたく思えない感覚をかみしめた。
「せっかくのご親切やけれども……今、まんだ、会いたない」
宮垣はそれを、笑ってそのまま受け取る。
「雅峰はお前の親友だけれども、武術について語り合ってはくれんからなー」

四郎は、優越心をもって嬉しそうに言い及ぶ宮垣の子供っぽさに、少しだけあきれた。宮垣にとって高橋の立ち位置は、どうにも羨ましくてしかたのないものらしい。

「誰に対して隠しおおせ、誰にどうばれているか、全方位で隠すことはできないんだよ。そのときのためのあけっぴろげな正直さという手も、お前は持っといたほうがいい」
宮垣はたくあんを口に放り込んだ。「このたぐいの話は、十二、三年ぶりだな。空手道場主でも、このごろはこういう話は、つまらん顔をする。聞きつつ自身のふるまいを点検する、お前のような殊勝な相手は少ない」

うなずける話だ。四郎はこの人の前であけっぴろげを練習させてもらおう、と思った。

「素直な、いい男だ」宮垣は微笑んだ。「彼女はいるのか」

「……いません」なぜだろう、宮垣の女癖にひっかかるものを感じ、四郎はあえて防御線を張った。「ご先祖さまが女の人殺いてまわっせるで、危なて近づけやへん」
「じゃ、こっちか」宮垣は親指を立てる。
四郎は、おじの康三郎のことを思い出した。あれは、分類上そうなるのだろうか……。

「あっはは、惚れられたことはあるな。しかも拒んで逃げ回ったな」
「どこでどう読むんですか」四郎は質問した。
「右下に視線を投げたじゃないか。今のお前は、過去の記憶は無意識に視線が右下だ。視線の方向は、同一人物からたくさん思い込みをはずすと変わるからおもしろいぞ」
「先生は、女のひとがええの」
「そりゃあ女だ。だいたい武芸バカの筋肉ヨロイで体脂肪率が低すぎる男なんかは、骨ばって筋ばって、その上性格が頑固なやつが案外多くって、ちっともよかねえ。ほどほどの筋肉量で仕合運びにセンスのあるやつの方が、かわいいなー。女は最初っから可愛げがあるからいい」

「俺も……いつか女性を愛してみたい」

「そうか、じゃオンナは……そうだな、お前の場合は、うっかり手錠がかからんとこまで、念には念、半年か一年くれ」
「半年で、いけますか」四郎はほんとに疑い深い顔を、あけっぴろげにさらした。

「疑いやがるなあ~」宮垣はとてつもなく嬉しそうな顔をした。「この宮垣耕造、命にかえてお前に無事にオンナ抱かせてやらあ」
「あの。命ととっかえてもらわんでも」
「あっはっは」宮垣は笑った。「じゃあ、命はとっといて、無事に彼女を作らせてやろう」


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マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介


「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!