SNSの世界

こんにちは。

最近、SNSでの誹謗中傷は大きな問題となっていますね。

今回はSNSでの誹謗中傷に関する自分の考えを書いていきたいと思います。


私はSNSを始めた時から意識していることがあります。

それは、「SNS上の世界も現実世界である」ということです。

SNSを利用することで日本中そして世界中の人たちとやり取りすることができ、コミュニケーションの幅を広げることができます。

一方で、SNSに広がる世界は現実世界に内包されているということを認識しにくいという側面もあります。

SNS上に広がっている世界は現実にある世界とは異なり、匿名で不特定多数の人に自分の好きなことを表現できる場が設定されているし、発信先の人の顔も見えないため、第二の世界が広がっているように感じてしまいます。つまり、スマホの画面を通して見える世界を自分の思い通りの世界にしようとしているのです。しかもそれらは自分の指一本で作れてしまうため、こうした自己中心的な世界を作り上げようとする動きが加速しているのではないでしょうか。

だからSNS上には嫉妬やら妬みが蔓延し、現実で言うことがない誹謗中傷に溢れているのだと私は思います。有名人にも簡単にメッセージを送れてしまうので、現実世界にない影響力をもつこともできます。

しかし、実際にはSNSを用いてメッセージを送る相手にも生活があって、人権があって、現実に生きているわけです。現実世界でも許されていない行為や発言はSNSに持ち込むべきではありません。

私はよくSNSでの不特定多数への発信をスピーチに置き換えて考えてみることがあります。現実と照らし合わせることでSNSの見方が大きく変わります。

SNSで情報を見ることは、広場に行っていろんな人の話を聞いたりすることと何ら変わらないと思います。ただSNSには指だけで移動して話を聞きに行くことができる、スピーチすることができるという点において優れているだけです。

気に食わないことがあったら、スピーチが終わった後にその人の人格を否定するような発言をしてもいいんですか?

多くの人がそんなことはするべきではないと答えることが予想されますが、実際にはSNS上で誹謗中傷が頻繁に行われているのです。

間違ったことを発信しているのであれば論理的に説明すればいいだけだろうし、人の話を聞くときのマナーというものはスピーチを聞いているときと変わらないはずです。

逆に発信者も多くに人の前で話すわけですから、その発言に責任が生まれるわけです。私もここに書かれている内容を100人の前で言えるのかと自身に問いかけながら書いているところであります。

SNSはうまく活用すれば便利なコミュニケーションツールになりうるものですが、現実の世界では許されないことが許されてしまう、またはしてしまう危険性もあります。


よって、SNSを使うときに一番必要なことは「想像力」であると言えます。

その発言は現実世界でも通用するのかという想像力を持ち続けるのです。そして、段々とSNSの世界は現実世界の中にあることが認識できるようになるでしょう。


最近ではSNSでの誹謗中傷についての厳罰化を求める動きがあります。

法に関して福沢諭吉は「国民に徳がないほど厳しくなるもの」としています。

もちろん誹謗中傷が罰せられるべきという動きには賛成ですが、法が厳しくなっていく悲しい現実があるのも事実です。こうした現実を変えられる力を持つのが教育であると思います。


想像力を養うために小説読んできます。


最後までお読みいただきありがとうございました。





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