少なくとも、僕より長生きしてほしい。書いてきたもの備忘録
2008
大学でお世話になっていた先生の紹介で、編集者さんにOB訪問。その縁がきっかけになって、週刊誌でライター業を始める。大感謝。
2010
就活失敗を機に、ライターとしての仕事が増える。
2011
就職留年をしたのに、結局いろいろ乗り切れず、見栄でフリーランスの道へ。
2012
あの地震の後、取材という口実を得て、初めて被災地に行った。技術云々の問題ではないところで、どう書いていいかわからない話を聞いた。書いて伝えることのおそろしさに、ようやく気づけた。
この頃から数年間、キャリア系のメディアで内定の決まった学生のインタビューをひたすらやった。延べ100人くらい。一人ひとり全然違う人生を歩んでいるはずなのに、書き手が身勝手にテンプレートに溺れ、はめ込み始めると、記事上で同じような人間に見えてしまう怖さを知った。
あまつさえ、インタビューした学生に「家宝にします」なんて言われることもあった。相手は文字通りかけがえのない語りを差し出してくれている、その行為に果たして応えきれているのだろうか。時間はいくらあっても足りないが、締め切りは待ってくれない。書いては次、書いては次と、それでも作業感に飲まれないように、必死だった。
2013
覚悟を持って臨めた、二度目の被災地取材。余所者である自分が記す意味と向き合えた。もちろん粗さはあるけど、いま読んでも「よく書いたな」と思える。
合わせて書いた対談。
この頃からシェアハウスを始めた。
2014
「The Future Times」での執筆回数はそこまで多くなかったけど、こうして振り返ってみると、一回一回、受け取ってきたものが膨大だ。
雑誌での単発案件もこなしつつ、とある大学の校友会誌の編集・執筆にも参加。定期で関わる仕事が少しずつ増えていく。キャリアの浅い頃からずっと対等な仕事相手として接してくれた柴崎さんには頭が上がらない。
2015
ネットメディアでの執筆が増えた年だった。クライアントワークス、記事広告の案件も個人で入るようになってきた。責任の重さを感じ、信頼に応えようと張り切った。そう言えば、青色申告に切り替えた年でもある。
かための仕事が多いけど、こういうポップなのも好きなんです。ガワはポップだけど、とても大事に書けたので、今でもお気に入り。
初ブックライティング、著者と編集者と一緒によく走った。ね、アツさん。
今はなき「HRナビ」で書き始めたのもこの時期。いい記事たくさんあったので、クローズしてしまったの残念。NPO法人グリーンズの会員誌「greenz books」の制作にも携わった。人との繋がりがぶあっと広がった。シェアハウスも引っ越して、メンバー1人減って2人増えた。
2016
立ち上げから当初から声をかけてもらった「WORK MILL」。場の空気感まで伝わるように、丁寧に書いてる。
そうだ、「soar」もこの年に立ち上げでした。毎回、渾身。
これが書ききれたことは、大きな自負になった。瑞穂さん、信頼して任せてくれてホントにあざますでした。
inquireでの仕事もこの年から。ジュンヤさんと出会ってから1年越しくらいでの仕事始め。一緒にグレンラガン全話一気観とかしてた、エモい。
食べるのは一生の趣味なので、飲食関係の話を聞くの好き。レジェンド杜氏に話聞けて、その話をこうして記録に残せたこと、とても佳かった。
「おこめ削るの、もったいなくないですか?」ってコメントが出たこの取材も好き。
「魚沼の里」、真剣におすすめ。
母校のパンフレット制作に携われたのも、感慨深かった。
書くかたわら、書くコミュニティも立ち上げました。素直に推しです。
仕事も卒なくこなせるようになってきて、なんかこう手広くやり始めて、ちょっといきってきた時期だった。謎の不安や焦りも募っていた。それでも「ひとつずつ書ききること」だけは手放さずにいた自分を褒めたい。
2017
よく書けたな、本当に。
いい記事、会話が生きている。
これもいい記事、自分で言う。「『将来の夢は大家さん』って子どもに言ってもらえる未来を目指す」っていい言葉だ。
“難しくなくて、かっこいい”文化。
これの後編とくに好き、「かけた時間は裏切らない」。
人のインタビュー記事を書くときはいつも、「その人にとっての一番の自慢、ずっと大事にしてもらえるものになるように」と願いを込めている。
取材した湊さん、いまだにTwitterのプロフィール欄にこの記事のURLを貼ってくれている。有り難く、また誇りに思っている。
前野先生の話も面白かった。学術分野の取材はいつも刺激的だ。教育、学術にはずっと関わっていたい。
WORKMILLでは楽しい取材を沢山させてもらってきたな、関係者の皆さんにグレイトフル感謝。
シェアハウス解散(円満)、メンタル崩して自主休職、いろいろあった年。
2018
同級生の友だちにインタビューした、誇らしい。石原くんに振ってもらった仕事だ。彼がまだ学生のとき、僕が編集として仕事を振ったことがあった。その時に取材したのも、えっちゃんだった。3年越しくらいに、編集とライターが逆転して、なんかちょっと大人になった感じで、でも会ったら全然というか当然根っこは変わってなくて、ちょっとニヤニヤしながら3人で話して楽しかった、とてもいい思い出。
粛々と。
複雑な部分を大切にできた。
ちゃんと残せるものになってて安心する。
宇多川先生の話を聞けたのは、この年の大きな実りだった。「わかりあえなさ」といかに向き合うか。
取材した相手に「ありがとう」と言ってもらえたものは、やっぱり心に残る。
記事以外のアウトプットの形もちらほら。関係者のインタビューをもとに言語化を深め、ギュッと凝縮して、サイト上のテキストに落とし込んでいく仕事なども。
2019
これも大事に書ききれたインタビューだ、お気に入り。人の語りの“切り取り”の怖さ、全体の複雑さをいかに残せるか、「わかりやすい」ではなく「わかる」ものにする、そんなことをこのあたりからずっと考えている。
フィクション設定のレポート(?)も書いた。
中身に対して適切な文体を選んでいきたい。
これは中の人っぽい文体で。松本さんは同志。
めちゃくちゃよかった、さとゆみさんと飯高さんのイベント。書き手に届けたいものがたくさん詰まっている。
自分の経験と照らし合わせながら、必要な人に届きますようにと。
永久保存版、ご自愛。
これも永久保存版にしている、呼吸が大事。
お囃子が聴こえるようなリードにしたかった。
ビジネスっぽいものも。
ちゃんと魂込められてる。「問題だらけ、それで順調」。
青砥さんの話、めっちゃ面白かったな、3本目がお勧めです。
やっぱ対談うまいな、自分。
かっこつけないように、人とテキストが分離されないように。
チョコ好き。
テキストにも建物みたいに強度がある。これも数十年は朽ちないはず。
インクワの仕事にも復帰、宮本くんやだんごさん、朽木さんとお仕事できたりと、なんだか感慨深い年だった。3年前くらいに「そろそろライティング頭打ちでは?」とか思っていた自分に平手打ちをしたい。まだまだうまくなれる。大事なものを見落とさない、捉えきるために技術がある。
2020
全人類に読んでほしいpart.1。
全人類に読んでほしいpart.2。
全人類に読んでほしいpart.3。この3本は、それぞれ一生の糧になる何かを得た。
楽しみながら、心躍らせながら。
大切なわかりにくさを、過度にわかりやすくせず、いかにわかるように、残せるかの闘いがある。
この取材でALL YOURSもドミニクさんもめっちゃファンになりました。
今できてホントによかったヤツ。コロナ後の初zoom取材だったのだけど、誰よりも安田さんがzoomを使いこなしていて、圧倒されたのだ。
5年弱かけて積み重ねてきた取材、本になった。執筆&編集協力。
たくさんの人たちに読んでもらえて、感想をもらえて、いま3刷までいっている。ありがたい。
sentenceのイベントで書き手向けに結構いい話もしています。長谷川パイセンビッグラブ。
音声コンテンツも始めました。
インタビューなどもしてもらいました。執筆の中川さん、写真撮ってくれたけんたろ、本当にありがとう。
終わりに
本当は一記事ずつ語りたいこと山ほどあるけれど、それやってると一生これ出せない感じになってきたので、取り急ぎ備忘録として。思いはタイトルに尽きます。Webの性質がどうとか関係ない、都合よく切り取らず、複雑さを抱き止め、普遍性を捉えて、残り得るものになるよう、一つひとつ魂籠めていきたい所存です。後世に名は残らなくていい、つくったものだけ残ってくれたら。それが私の社会参加であり、歴史参加だ。
【※お仕事のご依頼について】
精神の安寧の保守のため、現在は友人づての依頼のみに限定してます、ご容赦くださいm(_ _)m
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より佳く生きていこうと思います(・ω・)