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東京に行けなかった僕

哲学書と参考書が散らばった部屋。そこがはじめて借りた部屋だった。

福島の片田舎から出てきた僕は埼玉県熊谷市にいた。自分の住んできた街とは違い、十分に都会だったことを覚えている。

春には荒川沿いの桜が綺麗で、真下にはコンビニが併設されている六畳間のマンション。立地としては素晴らしいところだった。しかし、そんな素晴らしい立地に反して僕の心は沈んでいた。

家具がそろっていく中で普通の大学生ならば心躍らせるところだが、僕は違った。なぜなら、第一志望の大学に落ちたから熊谷に来たのだった。この六畳間は自分の城であり、自分一人の戦場の場所になった。なぜなら、僕は仮面浪人をすることを決めていたからだった。

部屋で印象的だったのは低い天井と薄汚れた照明、そして古いエアコン。この古いエアコンが後々問題となる。

大学に行けば同級生のみんなは楽しそうにしている。新観コンパやサークルはどこに入るかで盛り上がっている。

部屋に運び込まれた真新しい家具と、それを否定するかのような使い古された参考書たち。そこに新しく追加されたのは哲学書だった。今まで漫画や小説を読んでいた代わりに哲学書を読んだ。哲学書が心の支えとなった。

親との約束で仮面浪人するのは良いが、期間は1年限り。大学の単位を落とさないことが条件だった。

周りの友人たちは華の大学生。それに反して、僕は周りに調子を合わせながら受験勉強。

とにかくストレスがたまった。そのストレス発散のために荒川沿いのふもとを毎日何往復もした。走って疲れた体を携えて、部屋で大の字に寝転んだ。見えるのは低い天井と小さな薄汚れた照明だけだった。

ついでに彼女に振られた。哲学書よりも大事にしていたものに去られてしまった。僕はまた荒川沿いのふもとを走った。何往復も走った。疲れた体と打ちのめされた心。六畳一間の床はひんやりと冷たく気持ちの良いものだった。

そんな孤独な仮面浪人生活の中、気のおける男友達ができた。その男友達だけには仮面浪人をしている話をした。最初は嫌がられるかと思ったが、その男友達は応援してくれた。参考書と哲学書が散乱する狭い我が家に差し入れを持って来てくれた。

「君は東京に行きなよ」

そんなことを男友達はよく僕に語りかけてきた。「再受験がダメだったら、もっと一緒に遊ぼう。そして、酒を飲もう。成功したなら、東京でもっと酒を飲んで、もっと遊ぼう。」そんなことを僕に言ってきた。

受験勉強の合間を縫って、男2人で料理を作りあった。そして、哲学の話をした。デカルト、カント、ニーチェ、ポール・リクールまで話が飛んだ。

熊谷は夏は暑くて、冬は寒い街

夏場は暑過ぎて大学に通うことを拒否するぐらい暑い街だった。玄関の扉は触れないぐらい熱くなっていた。そして、問題になったのは六畳間に着いていた古いエアコン。いくら設定温度を下げても30度以下にはならなかった。

暑くて眠れやしない。眠れないときは、何を思ったのかまた荒川沿いを走った。走って目を覚まして参考書と哲学書と睨めっこをしていた。

夏の暑さはどこに行ったのかというほど、冬は寒かった。ふと空を見上げれば雪がちらつく街、熊谷。古いエアコンはどんなに設定温度を高くしても18度以上にはならなかった。手が悴む中でも男友達はニコリとしながら、料理を持って遊びにきた。

そんな男友達と古いエアコンに支えられながら、大学生活と受験勉強をこなした一年間。時に低い天井を見上げ春先に彼女に振られた以外は順調に思えたが、宇都宮に住んでいる祖父が危篤との知らせが入る。それも時期が悪いことに1月のことだった。

1月と言えばセンター試験があり、大学は期末試験の真っ最中。そこに祖父危篤。受験勉強をして、レポート書いて、期末試験受けて、宇都宮まで行ってを繰り返す毎日。

そんな毎日に更なるトラブルが。

ついに古いエアコンが壊れたのだった。弱り目に祟り目とはこのことだった。風の出ないエアコン、低い天井、薄暗い照明。手のかじかむ中、受験勉強と大学のレポートを書いた。そして、祖父の見舞いを何度も行った。

そんな中ついに祖父が死去した。センター試験一週間前のことだった。葬式の帰り道、自分の勝負どころがやってきたのだなと感じた。

2月の寒い日。熊谷は雪が降っていた。第一志望受験の日である。一応の願をかけて、滑らぬよう転ばぬよう駅まで向かったのを覚えている。

入試は散々だった。できない問題、理解できない単語、出てこない小論文の文章。あぁ、これで仮面浪人の一年がやっと終わる。エアコンの修理を早くしてもらわなければ。そんなことを入試の最中に考えていた。

入試が終わり、すぐには自宅には帰らなかった。向かったのはこれまで支えてきてくれた男友達の家である。男友達は豚汁を作っていた。突然の来訪にもかかわらず快く歓迎してくれた。

男友達の家のエアコンがごうごうと暖かい風を吐き出している。

「入試、どうだった?」

「だめだと思う」

「なら、来年から一緒にお酒をたらふく飲めるね」

そんな会話をしながら友人のつくった豚汁をすすった。

暖かい豚汁で体を温めた後に家に帰ると寒さは一段と厳しく思えた。だから、また荒川沿いを走りに行った。失敗を忘れるため、この一年を忘れるために。あの寒い六畳間で過ごすためには、体を温め続ける必要があった。

結果的に、僕は第一志望に合格した。あれほどまでに散々な内容だったにもかかわらず、どうにか合格点に達していたらしい。大学を辞めるために今まで仮面浪人をしていたことをほかの友人たちにも伝えた。みんな、喜んでくれた。そして、みんな口々にこういうのである。

「君は東京に行きなよ」と。

初めて借りた家で前のめりになっていた仮面浪人の日々。窓からは季節の移り変わりがよく見えた六畳間。何かあれば荒川沿いを走った日々。陰ながら応援してくれた男友達。僕は熊谷で2回目の桜を見ることなく、数々の哲学書とともに初めて借りた家を去ることになった。

低い天井と薄汚れた照明。そして、エアコンは壊れたままだった。

しかしながら、その後数年間、僕は東京に住まなかった。なぜか次に借りた家は埼玉県の朝霞市。そこから始まる新たな大学生活やストーカートラブルはまた別の話。


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