日記 1125

深夜の牛丼屋の店内は賑やかである。私以外の人間は20人ほどいたが、全員男だった。信じられないことだが、この店はいつ来ても血気盛んな青年たちで溢れかえっている。貧しい肉体労働者が火酒をあおるかのごとく、賑やかな声が飛び交う。プロレタリアたちの悦楽。

私は例の如く、読んでいる美術の本を広げる。私は本を読むのが遅いので、しばらくは同じ本ばかりを持ち歩く。

何ということだ。たまねぎが抜けないということだった。私は卒倒しそうになる。気取られないよう店員に、平静を装い、構わないと答える。

ダストシュートをくぐり抜けてきたかのような気持ちになる。この明るさ、この活気、この粗野で親しみ深い空間。

帰ってピアノを弾く。アパートにあるキーボードでは鍵盤が足りないので、ごく一部のクラシックしか弾くことができない。

私はクラシックの愛好家ではない。病的と言っても良いほど、短調の曲しか聞けないので、作品番号を飛ばしながら聴いているし、交響曲や協奏曲ではなく、ピアノ曲ばかりを好む。けれど、好きになった曲はどれも私の心臓に穴をあけて喰らい尽くしてしまうのではないかと思われるほどに、私の心を締め付ける。本当はピアノが弾きたいのではない。生きた楽器の音色で私の愛する曲を聴きたいだけだった。

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