知識を自らのものへ
先日、中公新書『南北朝時代 ー五胡十六国から隋の統一まで』(著:会田大輔)を読了した。その感想ではなく、数日かけて読んでいて、ふと思ったことを書いてみたい。
それは、知識と情報は必ずしもイコール(同等)で結ばれているものではない、ということだ。
先に挙げた書物は、副題の通り、五胡十六国時代から南北朝時代を扱ったもので、日本ではあまり関心の持たれる時代ではない。それ以前の後漢は研究者も多い。後漢末期から三国時代までを著した『三国志』はさまざまな派生作品が作られ、現在でも世界中で人気が高い。そして、その後の隋は唐と並んで統一王朝であることから、これも研究者が多い。間にある南北朝時代は、戦乱期でもあることから史料も少なく、研究内容についても、その制度が前の時代からどう変化したものなのか、後の時代にどう影響を与えたのかといった「繋ぎ」として語られることが多い。
歴史に関する調べものをしたいと思った、としよう。
現在ならネットで情報を探すことは出来る。
有志が情報を集めた、ネット上の辞書のような扱いを受けている、『Wikipedia』もある。
あるいは、『Youtube』のような動画を作っている人もいる。
さて、そこで得られる情報はどれだけ正確なものだろうか。
正直言って、信憑性は低いと思われる。
何故なら、それらは個々が勝手にネット上に情報として提供しているものであって、専門の機関や研究者の厳しい審査を通り抜けてきたものではない。もちろん、専門家の著した書物にも誤りはあるが、精度でいえば、雲泥の差である。
たとえば、関羽(かんう)について調べようと思ったとしよう。
関羽は『三国志』にも登場する人物で、日本では横浜中華街にもある『関帝廟』で神として祀られる人物でもある。
さて、「関羽は青龍偃月刀という武器を愛用していた」と書かれているものを読んだとしよう。
『三国志』の派生作品でも多くが、そのような扱いとなっている。三国志について語ったブログや動画などでも扱われていることがある。一方で、「関羽は、実は青龍偃月刀を使ってはいなかった」という情報もある。こちらもネット上で情報として存在している。
さて、どちらが正しいだろうか。
結論を言えば、後者が正しい。
『三国志』の最初の派生作品とも呼べる『三國演義』(日本では『三国志演義』)で彼がその武器を愛用していることから、その後の派生作品でも同様となっている。しかし、青龍偃月刀は後漢時代にはまだ存在していなかった。『三國演義』の書かれた明代には存在していたので、作者である羅漢中が関羽の勇猛さを表現するために、作中で所持させたのである。
さて、ここでもう一回、考えて欲しい。
今、私が述べた情報は、本当に正しいのか。
ここで、あなたに問いたいのは「本当かな?」と思ったかどうかである。
今の話については証拠を出すことが出来る。
古代中国の武器に関する研究者や書物は多い。青龍偃月刀に関していえば、武器を鋳造する過程を考慮すれば、その質の高さからも、後漢時代に存在しているはずもない。例えるなら、火縄銃が主流だった日本の戦国時代に、一人だけ高性能なライフル銃を持っているようなものである。青龍偃月刀は長い年月を経て、明代の頃にようやく登場しているのである。
「本当かな?」と思って調べた人は、さまざまな情報を書籍やネットなどを駆使し、知識として蓄えることが出来たはずである。後日、自分でも同じように語ることが出来るだろう。証拠を出せと言われても、時間はかかっても提示できるはずだ。専門で研究している人がいるよ、というだけでも答え方の始まりとしては悪くはない。
しかし、鵜呑みにして信じてしまった人は、ひとつの情報として受け取ったに過ぎない。それを覚えているかどうかだけで、知識として蓄えられたかどうか、自分で語ることが出来るかどうかは甚だ疑問である。
何故なら、前者は青龍偃月刀のことについて調べているうちに、他の情報にも出会っているはずだからである。春秋戦国の時代ではこういう武器が主に使われ、後漢や三国ではこんな武器が使われた。あるいは武器だけでなく農具の歴史や農作物の話。土地制度や各時代の政策などにも自然と触れているはずだからである。
ひとつの知識を得るために、他の知識も取り込み、その人の中でさまざまな情報が繋がっているはずだ。たとえ当人が意識していなくても、青銅と鉄の歴史や、当時の軍制、あるいは貴族階級の話や、偉人の意外なエピソード(逸話)などが、脳内で形成されていくのである。
冒頭に挙げた南北朝時代も、高校の世界史で教えられる。しかし、国名を暗記させられただけではなかろうか。北朝では北魏が北方を支配し、やがて東魏と西魏に分かれた。東魏の後は北斉、西魏の後は北周になった。南朝では宋、斉、梁、陳の順で入れ替わった。やがて、北周は隋が取って代わり、やがて南北朝を統一した。
これを読んで、面白いと思った人がいたら挙手して欲しい。まず、いないだろう。これは断片的情報でしかない。繋がりがない。
なぜ分裂したのか。魏とか斉はどういう意味なのか。なぜ入れ替わったのか。なぜ隋が統一できたのか。
魏や斉は地名で、そこの土地を貰った人が魏公とか斉王などに就任して、皇帝となったらその名前を使うという話を読めば(そうではない場合もあるが)、国名の変遷も比較的分かりやすい。東魏と西魏はどちらも、当時は魏を名乗っていたのだが、後世の研究者が区別するために東西を頭に付けたに過ぎない。五胡十六国では前涼、後涼、南涼、西涼、北涼という国も興っているが、これらもすべて、当時は「涼」である。
知識は足し算だが、時には掛け算にもなる。この話を読めば、『三国志』の魏という国名が、曹操(そうそう)が魏公や魏王に就任し、息子の曹丕(そうひ)が魏王から皇帝になったからだと分かる。逆に、元や明や清などは、地名に由来していない珍しい国名であることも、分かるかも知れない。
必要だと思って入手して鵜呑みにした情報は、気軽に入手できただけに、あっさり忘却されてしまうだろう。
しかし、情報の精査を求めて自ら調べた人は、時間をかけた分だけ自分の中へ取り込み、たまに忘れてしまうことがあっても、取っ掛かりがあれば思い出すことも出来る。
子供の頃に野球をしていたら、たとえ何年も何十年もボールを投げていなかったとしても、投げ方を思い出すのに時間はかかっても、投げることは出来る。やったことのない人は、すぐ目の前の人へ投げることすら難しい。
料理が好きな人は、目の前に見たこともない食材を出され、調味料や副菜などが少ない状態だったとしても、それまでの知識や経験を活かして、何とか工夫することが出来る。断片的に情報を得ただけの人は、情報が繋がっていないから、予想外の展開に困惑してしまう。
地震が発生した時、普段は偉そうな態度で語るような人が慌てふためいて何も出来ずにいたのに、元警官だった人が冷静に周りの人に指示を出し、事なきを得たという事例もある。
ネットの進化で、情報を得ることは容易になったのは事実である。
しかしそのほとんどは断片的で、信憑性も不明である。そして何より、碌に調べもせずに語る人が増えているのも事実である。すべてを調べてから語れとまでは言わないが、少なくとも、自身の手でここまで調べたという人の言葉は自信に溢れている。
以前に語っていたことと、真逆のことを語っていて、それを全く不思議に思わない人もいる。もちろん、間違っていたら訂正すべきだし、方針が変わることもよくある話だが、その過程を自身で理解できていないから、以前と真逆な発言を平然と行うことが出来るのである。それが、コメンテーターなど広く世の中に発信する人の言葉であれば、その責務も重いはずなのに、軽率に誤った情報を口にしている人が増えているのも、悩ましいことである。
ともあれ、何か情報を得たら「本当かな?」と思って、調べてみる。
それがほんの数分でもいい。
それらしきことが載っていた書物を探し、あるいはネットで調べてもいい。少なくとも鵜呑みにはしないこと。
すると、調べたいと思った内容よりもはるかに多くの情報に触れ、それらを研究している人たちの存在を知ることが出来るかも知れない。教科書で習わなかったような話にも事欠かない。
知識探求の世界は果てしなく広いのだ。
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