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歴史から何を学ばなければいけないか。

表題の件ですが、いきなり答えを書きましょう。
それは「歴史上の大惨事も、始まる時は普通に見える」ということです。

私たちはそのことをちゃんと意識する必要があると思うんですね。
私たちが今、生きている時に、そこには必ず時間の流れがあります。
けれど時が過ぎてしまってなんらかの結果なり結論なりが出ると、
それまでどう思っていたか、最初はどんな感じだったか、という
感覚を忘れてしまいますよね。

例えば、コロナが始まった2020年、どんな気分だったでしょうか。
志村けんさんが亡くなったり、岡江久美子さんが亡くなったとき、
どんな気持ちだったでしょうか。

忘れていませんか?
同じコロナ禍は、まだつづいています。
つまり、人間の感覚は推移していくということです。

その部分を忘れると、歴史から学べることは半減します。
例えば、ヒトラーのことや、ホロコーストは多くの人が知っていますが、
ではヒトラーやナチスの台頭はどのようなものであって、
その場に居合わせた人たちはどんな心境だったのでしょうか。

私は「ものすごくふつうのこと」だったと思います。
後からあんなことになるとは・・・という感じじゃないでしょうか。
歴史に残るような恐ろしいことも、
それは終わったから感じるものであって、
やってるそのときは「当たり前」みたいな感覚があるのです。

人は徐々に狂気に侵食されるものだからです。
一気になれば、気づきますもんね。
だからこそ、「そうなればさすがに気づくよ」という
甘いスタンスは要注意なのです。
そういうスタンスが、歴史上の悲劇を放置する原因だと言っても
言い過ぎではないのでしょうから。

戦後の平和教育を受けた私たちの世代にとって、
あの戦争はどんな印象でしょうか。

みんな貧しく、食べ物もなく、暮らしの中に笑顔はなくて、
国家による厳しい情報統制によって非常に息苦しく、
国家に反対すれば拷問されて処刑される恐ろしい時代だった。

私はそんな印象を持ってきました。
しかし、実際は戦地に言った兵士と日本の中にいた国民や、
満州などの外地にいた人では境遇がちがうし、
空襲にあった場所と空襲がなかった場所もちがうでしょう。

それともうひとつ、戦中と戦後の情報も錯綜しているように思います。

例えば日本兵はロクに食料を持たされずに戦場に送られ、
多くの死因が戦闘ではなく餓死や病死だった、という、
兵士にとっては痛ましく、また軍組織としては非常に
恥ずかしい歴史が残されていますよね。

では、国内ではどうだったのか、というと、
もちろん食べ物がいくらでもあったというのとはちがいますから、
満足な食事はないようですが、国民が餓死に至るというケースは
それほど多くなかったようです。

また、みんなが貧乏だったのか、というと、それも様々で、
日本は戦時国債をどんどん出して戦費を賄っていましたから、
(そのお金の多くは当然、日本人に支払われますよね)
お金はあったらしいです。
しかし、使わなかったんですね。国からの命令があったので。
例の「欲しがりません、勝つまでは」です。

お金があっても、使わなかった。
そのせいで兌換貨幣の時代に通貨を大量に発行したにも関わらず、
インフレは起きなかったそうです。
当たり前ですね。皆が消費をしなければ、
お金の量が多くても関係ないですから。

では、国民の気持ちはどんなものだったのでしょうか。
国民の気持ちといっても、
ひとりひとりは違う人間なので一言では言えないですが、
社会の雰囲気というものはあったと思います。

その点で言えば、日本は明治政府ができて
富国強兵の近代国家化を押し進めて以来、
10年に一度のペースで外国と戦争をするわけですが、
それが連戦連勝だったわけです。日清・日露戦争ですね。

そうなると「日本は神の国だから戦争では負けない」という
国民感情が醸成されます。
戦場が国外だったことも大きいと思います。
そして昭和に入って1937年に日中戦争が始まるわけですが、
当然、このときも「負けるわけがない」と多くの人が思っていたでしょう。

しかし、これがなかなか終わらないわけですよね。
そうこうしているうちに、今度はアメリカと戦争することになる。
このときも、多くの国民は「やれやれ!」というムードだったと言います。

まぁ、昔の戦争は文字通りのぶんどり合いなので、
勝てばいろいろな権益を手にいれることができるわけで、
それまでの成功体験から「負ける」ということが想像もつかない国民には、
マイナスな未来を予測するなんて無理だったのでしょう。

今を生きる我々が意識しなければいけないのは、
こんな時代を生きた人々の大半は、この状況をとても自然に、
日常として受け入れていたであろう、ということです。

そこなんですね、重要なのは。
悲惨な出来事は、普通の顔をしてやってくるのです。

戦中派の人々の様々な話を聞くと、子供時代、自分は戦争に行って、
戦場で死ぬのだろうと思っていた人が多いようです。

その理由は単純で、学校でそう教えられていたからですね。

何しろ、学校の歴史の教科書に書いてあることは「古事記」であって、
つまり神話です。
この国は神の国で、その末裔たる神様が今上天皇であり、
あなたがたは天皇の子供たる臣民なのだから、
この国を守るために天皇のために命を差し出しなさいと、
そう教わって、軍事教練なんかもするわけですからね。

学校で軍事教練をやるのが「国民皆兵」ですよ。
みんな兵士なんです。すごいことですね。

で、敗戦のあと、突然、「昨日まで言っていたことは、実は嘘です」
となったわけで、このことが少年たちを大いに混乱されたんですね。
大人や国を絶対に信じない、という、一生涯消えない記憶を
心に刻んだ人が多かった。

心理面で起きたのはそういうことです。

経済の話は、今にも影響を及ぼしています。
先述の通り、日本は戦時国債をどんどん出して、
無制限に戦費を調達していました。

アメリカを中心とした占領軍であるGHQは、
最後まで世界大戦を終わらせなかった日本に対して、
かなり強烈に武装解除を実行します。

その中のひとつに、日本国憲法があることは確かでしょう。
なにせ、日本側が明治憲法をほぼそのままの形で踏襲しようとして、
GHQが激怒して、新憲法の草案づくりが進んだというのは
あるようですから。

もちろん、新憲法はGHQだけで作ったわけではなく、
また、国に主権が戻ったときにも憲法改正論は出たものの、
日本人自身の意志でそれを変えないという道を選んだのですから、
日本国憲法は私たちの憲法であるというのが私自身の憲法観ですが、
日本に二度と戦争させないために
武装解除をさせたことは事実だと思います。

ちなみに、この話になると、
「日本があまりにも強かったから」という
恥ずかしい話をする連中がいますが、
そうではなかったでしょう。

日本の戦い方と、終わらせ方を知らない、という部分に
大いに問題があったからだと私は思っています。
なにせ、完全に負けているのにいつまでも降参しないわけですからね。
それだけ多くの犠牲が双方に出ます。
日本は戦争に向いていない国であり、国民性なのでしょう。
こいつらに武器を持たせると、ろくでもない、と思ったのだと思います。
少なくともそのときは。

GHQはもうひとつ、財政法4条というのを決めて、
建設国債以外の国債を発行してはいけないという決まりをつくりました。
この法律が今も生きているせいで、日本は面倒なことになっているし、
財政健全化論が出てきてしまうわけですが、
これも憲法と同じ趣旨だったと思います。

つまり、「こいつらにもう戦争させないように」ということ。
強いからじゃないですよ。面倒くさいからでしょう。

で、戦時国債をバンバン発行していたということがあったから、
戦費を作れない状況にしたわけですね。

私はこの財政法4条は廃止してもいいと思うのですが、
そのときはやはり、防衛費に当てるために国債を利用してはならない、
という決まりは作らなければいけないと思います。

平和国家ですからね、日本は。

戦後、日本は財政法4条にしばられて通貨供給ができない状況になり、
国じゅうが爆撃されて産業の基盤が破壊され、供給力がなく、
そこへ外国にいた日本兵や日本人がどんどん国内に戻ってきたことで、
過度なインフレが起き、食料が一気になくなりました。

餓死者もたくさん出ました。

この戦後の「食べ物のなさ」と「経済的貧しさ」が、
戦中の記憶といっしょくたになっている可能性があると思います。
少なくとも国内では、
戦中より戦後の方が民間人の餓死者は多かったとのこと。

戦費調達のために出された大量の国債は、
新円発行を利用して国民の資産を事実上凍結し、
無理やりしぼりとった税金ですべて償還しました。

だから、戦時国債でのデフォルトはしていないんですね。
このことはとても重要な事実だと思います。

私がここまで書いてきたことは、
先の戦争で実際に日本人の暮らしや日常はどうだったのか?
ということをちゃんと知るべきだということです。

戦中と戦後という時系列を正しく理解しなければいけません。
終わった後から「戦争」とひとくくりにしてしまうと、
感情の推移が見えなくなってしまいます。

あの戦争だって、やっぱり日常だったはずなんですね。
そのときは異常とは思っていなかった人が多いでしょう。
仕方ない、と思っていたけど、止めなければとは思えなかった。

だからこそ、今の状態をもっと危機感を持ってみつめるべきなんですね。

ロシアとウクライナの戦争は、あと10年続くかもしれません。
いや、のちの歴史の教科書に
第三次世界大戦のきっかけとして載ることになるかも知れません。
サラエボ事件が第一次大戦のきっかけになったように。
誰もがすぐに終わると思った事件が、
人類初の世界大戦につながったように。

核戦争だって起きないとは言えません。

日本が軍国主義から民主主義に切り替えられたのは、
世界大戦があったからです。
あそこで300万人の命と引き換えに、
国土を焦土にしたことと引き換えに、民主化された。

人間は、とくに日本人は、自分の力では社会を変えられません。
つねに外的要因に頼ってきました。

日本はどうやって本当に脱炭素ができますか?
今までと同じ政権を選び続けていても、
絶対に持続可能な社会には変わらないとわかりながら、
どうやって社会を変えていきますか?

また外的要因に頼りますか?
だとすると、それが核戦争である可能性は高い気がします。
もちろん望んではいません。
自らの手で、社会を変革する道を選びたいと思っていますが、
あまりにもそう考えている人が少なすぎるこの現状は、
いったいどうやって変わるのでしょうか。

あまりいい未来は想像できません。
これまでの日本人や、世界中の人類を見ていると・・・

日本は今、防衛に関する部分の憲法を変えてはいけないでしょう。
変えるべきなのは婚姻の箇所と、
要請があった時に国会を開くまでの期日の明記。
それから憲法違反をした議員などを罰する機関の設立ですね。
最後のは憲法の趣旨を変えられてしまうと自民党に悪用されるので、
最新の注意が必要ですが。

憲法に関する議論が活発化するのはいいことでしょう。
これを機会に、国民がちゃんと日本国憲法の意味を理解し、
9条で国が守れるのか、などというトンチンカンな意見が
二度と出ないようにしなければいけません。

9条は外国から日本を守る条文ではなく、
日本政府から日本国民を守る条文ですから。

用途がちがうものを議論することはできません。

どちらにしても、日本人はもっとしっかりしないといけません。
子どもじゃないんだから。

戦前回帰を目指す自民党や、忖度メディアの言うことなど、
国民がちゃんと判断できる力を持てば、何も怖いことはないのです。

すべては、私たち国民次第なのです。

最後にもういちど念押しして起きますね。
「大惨事はふつうの顔をしてやってきます」
忘れないでください。

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