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左脳優位が行き過ぎた社会から、人類は脱却できるか

ジル・ボルト・テイラーさんという脳科学者が書いた
「奇跡の脳」という書籍を読んで思ったこと。

この方は自身が脳科学者なのですが、
脳梗塞で左脳が機能不全になったにも関わらず
なんとそこから8年をかけて復活したという体験の持ち主です。

その(普通はなかなかできない)体験によって、
右脳と左脳がどのように関係しているか、
脳はどのように復活するのかということが語られています。

そこから私なりに考えたことがあります。
それはアングロサクソンは左脳優位、
東アジア人は右脳優位だったのでは?という仮説です。

テイラーさんは左脳が使えなくなり、
大雑把に言うと「理屈」に属することが
理解できなくなっていきました。

それは言語や数字や時間の感覚を含めた、
人間が後天的に作り出した概念だと言えるでしょう。

そして左脳の働きによって普段は見えなくなっていた
右脳の働きが見えてくるわけです。

それは宇宙との一体感であり、
自分の魂と体が別のものであるという感覚であり、
自分の体がひとつひとつの細胞の調和でできているということを
感じ取れる感覚であって、それはもう非常に心地いいのだそうです。

自分という「個」はなくなって、
大地、地球、宇宙と一体になるということ。
つまり人間も、この宇宙に漂う物質の中の一つにすぎないという
「事実」を感じ取っているということでしょう。

これは先天的な感覚といえるかも知れません。
動物たちは基本的に、
この感覚の中に生きているのかも知れませんね。
そこから推測できるのは、
人間が言語を生み出し、
脳を肥大化させて知恵をつけていったというのは
主に左脳の話であって、科学や西洋医学なども左脳的です。
左脳は理屈を詰め、ルールを決めたがるのです。
神経質なんですね。

それに対して右脳はあくまでも自然と調和しています。
時間の感覚も1分、1時間などというものではなく、
日の長さや季節の移り変わりで感じ取るものであって、
基本的には昨日や明日はなく、ただ「いま」だけが存在している。
理屈ではない自由があるわけですよね。

そういう感覚の脳です。

古来の人間は宗教などを生み出したわけですが、
東洋では自然の中にたくさんの神がいる多神教となり、
仏教など、自分の内側にある宇宙を探究していく世界観を生み出したのに対して、
西洋の宗教は一神教であり、物事を二元論でわけていく考えを生んだ。
二元論は後に科学につながっていったのだと思います。
そして彼らは、人間が自然を支配できるという考えに向かっていった。

それはどんどん左脳優位になっていったという流れです。
理屈をつけていったということですね。
アングロサクソンはそういうことが得意です。

右脳と左脳は交感神経と副交換神経のように
緊張と弛緩のバランスをとっているわけですが、
アングロサクソンがつくったルールがグローバル化する中で、
ほとんどの現代人は圧倒的に左脳優位で生きている。

そういう状態になっているということではないでしょうか。

世界の歴史を振り返ると、いわゆるアングロサクソンが
世界中の原住民を侵略していったことが明らかです。

これはどうやったのかといえば、
先に理屈に基づいたルールをつくったわけですね。

で、そのルールを持っていない地域に侵入して、
その新しい価値観やルールを押し付けた。
貨幣経済などもその中のひとつでしょう。

彼らは自分たちのことを知的で進んだ人間だと思っていたので、
原住民の人々を「遅れていて、知的に劣っている」と考えた。
そうやって平気で殺したり、侵略していったわけです。

原住民の人々はいともたやすく支配され、
無理やり新しい価値観の中で生きることを強いられました。

それが世界の中で起きていった歴史です。

アジアの国々も、西欧列強の植民地になっていきました。

さて、ここで日本です。
日本は他の国の人々とちがって、支配されるのは嫌だと思ったのです。

そこで、本来は右脳優位の自然派人間たちだったのにも関わらず、
無理やり不得手な左脳優位文化を「カタチの上」だけは取り入れ、
一生懸命真似をしました。

あくまでもマネゴトです。
ルールを先に作って侵入し、劣っていると決めつけた相手を支配する。
そのやり方を大陸で実行したりしました。

けれど、日本人はやっぱりアングロサクソンそのものではないので、
彼らのメンタリティはどこまでいっても理解できないんですよね。
戦争というゲームに付き合わされれば
戦争というゲームの中でわけのわからないことをしてしまう。

経済というゲームに付き合わされれば、
やはりその本質にあることを理解しないまま、
表層的な部分だけでわけのわからないことをしてしまう。

資本主義というものは西欧で生まれたのですから、
それを日本人がうまく使いこなせるわけはないんですよね。
彼らはルールを先に作って、それによって全体を支配します。
今のSDGsなどもその一種です。

私自身は地球温暖化を止めるためには
そのルールも使わなければと思ってはいますが、
片側では、繰り返されてきた「同じやり方」が、
またここでも行われているということは認識しています。

先の戦争が終わって80年が経つというのに、
日本は今でも日米地域協定によって占領されているようなものですし、
アメリカの支配下にあって主権を取り戻しているとは言えません。

これだって、都合のいいルールを作られて、
それに従わされているわけですよね。
アングロサクソンと対比して日本人が優れているとか、
日本人すごい論を展開したいのではありません。

現実に我々に起きていることは
そのような説明ができるのかも知れないという思索です。

さて、地球温暖化なのですが、
こうしてみてくると、これは「自然を支配できる」という
左脳優位な考え方が生み出した現象だと言えるわけですよね。

そうなると大切なのは「右脳優位」にちょっと戻すことなんです。

ジル・ボルト・テイラーさんは、東洋医学についてこう考えています。

東洋医学はなぜ体に効くのかわかっていない。
しかし、これは左脳的な、科学的な、
あるいは西洋医学的な物差しでは測れないだけであって、
右脳的にはきっとちゃんと理屈がある。

ただ単に左脳優位な人類の頭脳が、
右脳のレベルにまだ達していないだけなのだろう、と。
(日本人すごい論ではないですよ!)

これは、私はとても腑に落ちるんですよね。
私たちは自分の脳というメガネを通してしか
この世界を見ることができません。

しかも理屈を司る左脳がメインになっているので、
右脳の解釈はいつも裏側になってしまいます。
そうするとそれは、左脳から見れば「スピリチュアル」とか、
「精神の世界」なんて言い方になって
とたんに非科学的という印象を与えてしまうわけです。

でも科学的という物差し自体が左脳の世界の話なので、
左脳という限られた能力の中では、
それらが理解されるはずがないのかも知れないのですよね。

私は地球温暖化を止めるには、
人間は今よりももっと右脳優位になる必要があると思います。
左脳は対立を促し、右脳は共生を促します。

本来、日本人の「和を持って尊しとなす」は、
これからの地球を救う人類のマインドセットそのものであるはずなのです。

でも、今の日本人にはもうそれは無理です。
東アジア人の中でも、
重要な部分を西欧に合わせて
どんどん投げ捨ててきてしまった日本人には、
むしろ絶対に無理だといえると思います。

お金に毒されましたからね。

西欧の真似事をしながら、
自分の価値観を作っては否定されを繰り返してきた日本人には、
今や信じられるものもありません。

フィリピンの人とか、タイの人とか、
心優しく、ホスピタリティに溢れ、家族を大切にする
そういう人たちの方が、よほど世界を救う中心的な
マインドセットの体現者なのかも知れないと思います。

理屈ではなく、本当の意味での持続可能性を実現するのは、
人類はこれ以上、アングロサクソン的な
左脳優位社会への邁進を止めるべきだと思うんですね。

そういう人たちが瞑想といって禅を取り入れたりしているのを見ると、
禅寺を生んだ国なのに、多くの人が禅の精神など知らず、
いっときの突風に簡単に吹き飛ばされていく日本人を見ると、
とても残念になります。

ただただ経済に翻弄され、無気力・無関心となり、
すべてを他人任せにするようになった日本人。
主権もなく、ただ生きているだけの日本人。

私は国粋主義者ではないですから、
日本人が活躍しなければとは思いませんが、
人類がこの地球温暖化を止めるという歴史上最大の挑戦に挑むとき、
日本人は蚊帳の外になって何も役に立てそうもないということが、
ひとりの人類の一員として、非常に残念なのです。

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