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残念ながら、資本主義には永続性がゼロな理由

さて、今日は衆院選の投票日前の最後の1日ですね。

今日の23時59分をすぎたら、
一切の選挙活動はできなくなります。

まぁ、私は選挙活動をしているわけではなく、
一人でも多くの人に
投票という形で社会づくりに参加していただきたい、
という思いで、今週は書いてきました。

なので、お金のしくみの話とか、国防の話とか、
教育の話なんかを書いてきましたが、
今日は資本主義の話です。

我々は資本主義に慣れ親しんでいるので、
資本主義を批判する意見というのは、
多くの人にとって同意できないものかも知れません。

ですが、そろそろ現実と向き合わなければならない頃なので、
できるだけわかりやすく、興味が消えないように書いてみます。

よろしければ最後までお付き合いください。

資本主義。

それは、私たちが今日も生きるこの社会の
経済方式の名前ですね。
あくまでも経済方式のひとつに過ぎず、
経済の在り方が資本主義と、社会主義、
もしくは共産主義しかあり得ないわけではありません。

よね? いろんな可能性があると思います。

では、資本主義っていったいどんな内容なのだろう?
そんなことを考えたことがある人は、
あまりいないのではないでしょうか?

資本主義というのは、資本家というお金をたくさん持った人が投資をし、
そのお金で起こされた事業によって労働者が働いて利益を出し、
その利益が資本家に還元される、というしくみです。

ものすごく簡略化して言えば、
持つものが、持たざるものを労働させ、
そこから利益を得るというしくみですね。

え? そんな意味なの?
と思いましたか?

自由に好きなものを買える社会、という意味じゃないの?
と思っていたりしませんか?

では、試しにネットで拾った「デジタル大辞泉」を引用してみましょうか。

【資本主義】
  封建制に次いで現われた経済体制。
  生産手段を資本として所有する資本家が、
  自己の労働力しか売るものをもたない労働者から
  労働力を商品として買い、
  それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。
  生産活動は利潤追求を原動力とする
  市場メカニズムによって運営される。

はい。そういうことです。
まずはここをしっかり理解しておきたいのですね。

ちょっと酷い例えかも知れないですが、
社会を養豚場に例えるなら、資本家というのが養豚場の経営者で、
我々、労働者はその身一つを商品にする「豚」ということです。

これは養豚場を批判するものではありません。
我々のポジションを明快にするための比喩です。
畜産農家の方、不快になられたらゴメンなさい。

ともあれ、

よく資本主義を「自由経済」と呼ぶこともあるので、
まるで基本的人権が守られた経済かのような印象を受けますが、
その「自由」は「自由競争」の自由です。

そして、資本を持たない労働者は、
資本家たちによって、その労働資源を
「自由」に売り買いされてしまう存在だ、ということですね。

けれど、私は、この資本主義は近いうちに終わりを迎えると思っています。
その理由は、資本主義が生まれながらに抱えているルールが、
永続性を持たない、片道切符のルールだからです。

うまく言えないのですが、資本主義がいつか終わることは、
確定していると言って、まちがいないと思っています。

その理由を、順を追ってお伝えしていきます。

先ほど書いたように、資本主義というのは、
要は資本家がお金を元にお金を増やす仕組みなんですね。

それは「金利」とか「株の配当」とか、そういうものですが、
お金というものは、決して勝手に増えることはありません。

「ふえるわかめちゃん」のように増えることはないのです。

・・・と書こうとしたら、よく考えたら「ふえるわかめちゃん」は
乾燥して小さくなったわかめが元のサイズに戻っているだけで、
数が増えているわけではないので、
例えとして適切ではないと気づきました。

もとい。細胞分裂のようにお金が増えることはありません。

運用とか投資というと、一見、お金が増殖しているように感じるけれども、
実際にはお金の総量は変わっていないので、
そこには必ず労働者の労働があり、
その売り買いを通じて誰かの手から離れたお金が
最終的に資本家の手に移っているだけなんですね。

ここまで、いいでしょうか。
この事実、否定できないですよね?

繰り返しますが、資本家がお金を稼ぐということは、
誰か別の労働者が働いて利益を出していて、
その利益を間引いて資本家が受け取っている、ということです。

細胞分裂のように、お金は増えませんから。

この構造が見えて欲しいのです。
これはあえて言えば「横取り」ではありません。
だって、その資本家がいなければ、
その事業そのものが存在できないかったのですからね。

つまり、それが資本主義という仕組みなのだ、ということです。
文句を言うなら、資本家ではなく、資本主義に言え、ということ。

この資本主義に永続性がない理由を説明するために、
銀行の金利で例えてみますね。

あなたが会社を起こそうとして、銀行からお金を借りるとしましょう。
そうですね、2千万円借りたとしましょうかね。

あなたはこのお金で事業を起こし、
利益を出して、その利益の中から、銀行に借りたお金を返していきます。

2千万円借りて、わかりやすく利息が1%だとすると、
1年で20万円は利息を返さなければいけません。

ちょっとわかりやすくするために、
この借金は1年で返すことにしましょう。
あくまでも例え話なので。

銀行は、2千万円を貸して、1年後に2020万円にして返してね、
ということを言っていますね。

この場合、2千万円の部分(元本)は銀行にとっては利益ではなく、
20万円の部分だけが利益になりますよね。

以前もどこかで書いた例ですが、
このことをレンタルCDに例えましょう。
銀行はお金を貸して、利息というお金をつけて返せということですから、
同じことをレンタルCDで言えば、
CDを10枚かして、返すときに11枚にして返してね、ということです。

ですよね?ここまでいいですか?

お金だと不自然に聞こえないけれど、
CDだと不自然に聞こえませんか?

そんなこと、どうやってやるんだよ、と。

その「余計な1枚」はどうやって返しますか?
どこから手に入れてきますか?

そこを考えて欲しいのです。

あなたは自分でCDを製作するような能力がないとしたら、
別のCDレンタル屋さんからCDを借りてくるか、
または、この世にすでに流通している誰かのCDを
なんとかして手に入れるかして、元のお店に返さなければいけませんね。

だって、この世に存在するCDの総数を
あなたが増やすことはできないのですから。

これ、「お金」も同じですよね?
あなた自身がお金の総数を増やせません。
あなたは「利益」を出すことしかできないのです。

利益とは、この世にすでに存在し、
社会に回遊している「お金」を
他の誰かではなく、あなたがより多く手に入れるということです。

例えの例えですみませんが、
世の中に存在するお金を大きな毛布として、
そこに何人かの人が一緒にかぶっていると考えましょう。
誰か一人が自分にたくさん毛布を手繰り寄せれば、
反対側の誰かが毛布からはみ出てしまいますよね?

そういうことです。
つまり、利益というのは、増殖ではなく、
しわ寄せだ、ということです。

話をレンタルCDに戻しますが、つまり「余計な1枚」は、
誰かから取ってくるしかないのです。
それは経済的に発言力の弱いものから、ということになります。

文句を言えない人ですね。
生きるために、資本家に買い叩かれることに文句が言えない人です。
厳しい労働環境を受け入れざるを得ない人です。

「安いものしか買えない人」
「首を切られないように従うしかない人」

そういう人がこの世に存在するから、
資本主義は成立できているのです。

どうですか?
労働者の暮らしがなぜ苦しいままなのか。
苦しいのになぜ国は助けないのか。
その理由が見えてきますよね。

なぜ、派遣法など、労働者を苦しめる環境がどんどん整備されていくのか。
それはまったく改善される兆しがないのか。
わかってきますよね。

みんなが豊かで未来に不安がない暮らしをすることが、
資本家にとっては不都合だ、と言うことです。
これは陰謀論ではありません。資本主義を維持するための摂理です。

そして究極的に「文句を言えない存在」、いや、「言わない存在」かな?
それが、我々の母なる地球ということです。

地球はしゃべりませんからね。

余計な1枚を手に入れるために、最後は我々は地球を痛めつけるのです。
木を切り、土を掘り返し、水と大気を汚し続ける。
この世のすべての生産物は、そうやって生まれているのですから。

でも、そうするしかないのです。
「余計な1枚」をなんとか生み出さなければならないですからね。

さて、最近、SDGsとか、地球温暖化、
気候危機なんてことが騒がれています。
そう言えば、ちょうど、明日がCOP26の開催日ですね。

この流れ、なんだと思いますか?

資本主義の尻拭いをさせられながら、
今までじっと黙っていた「地球」が、声を出し始めたということです。

だって、資本主義の利益追及の矛先は
最終的には地球資源に向かうわけですが、
それは「有限」だからです。

資本主義は、無限の成長を求めて、
無限の「余計な1枚」を求めつづけます。
先ほどは銀行の仕組みで例えましたが、
資本家の利益、株主の利益は、これと同じ仕組みで達成されます。
金利ではないけれど、労働者が借金の利息を返すかのように
働いて利益を出さなければいけないわけで、
その利息の部分を資本家が得ていると思えばわかるはずですね。

そう、永久に成長しつづけなければ存続できないというシステムに対して、
地球も、人間も、無限ではないのです。

それが「資本主義は終わる運命にある」と私が結論づける理由です。
理論的に無理なんですね。

もちろん、この地球上にまだ掘る場所が残っていたり、
搾取できる労働者が存在する間は存続可能かも知れません。
しかし、いつか「必ず」終わるのです。

それだけは確かなんですね。

今、声高に叫ばれるSDGs。
そのSはサステナブルという言葉です。
日本語では「持続可能性」と訳されます。

これからもずっとつづけていける、という意味ですね。
そもそもこんなことが問題になっているということは、
「今まで」のやり方に持続可能性がないからであって、
その中枢にあるのが「資本主義」という考え方であったり、
お金に利息がつくという仕組みであったりするわけです。

その病巣に手をつけない限り、人類に永続性はない。
それはもうわかっていることなのですよね。

今は、そのことに薄々気づきながら、
なんとかうまい方法を見つけて資本主義を続けられないだろうか、
というトライがなされているのでしょう。

だからSDGsのDはデベロップメント、「成長」を入れているのです。

でも、数年内にSDGsから、
Dの要素は取り下げられると私は想像しています。
だって、ときが過ぎればすぎるほど、事態はハッキリしてきますからね。

私はこういう発信を、
メディアを変えながら15年くらいつづけてきました。
最初のころは、ちょっと変わった人と思われていたかも知れません。

しかし今、SDGsはでき、地球温暖化が科学的に断定されています。
我々は1日も早く現実を把握し、
未来に向けて何をすべきか、ということと真剣に向き合うべきです。

それが、これから生まれてくる世代に対して
唯一できる誠実な態度だからです。

資本主義のもうひとつの難点は、
人の常識という深層心理に染み込んでいることです。

働いて、お金を稼がなければいけないのだ。
そうできないことは、自分が悪いのだ。

そう思い込んでいます。
けれどそれは、資本家が儲けるために信じ込まされた妄想です。

その妄想があるせいで、何かをただで得られるはずはないと思う。
だからどんなに苦しくても生活保護を受けることに抵抗があるし、
生活保護を受けている人をバッシングする社会になってしまう。

しかし、その考えは正しくないのです。
あえて言えば、別に正しくはない、と言い換えましょうか。

お金の存在から、問い直してみてください。
経済の意義を問い直してみてください。
何ひとつ当たり前のことなんて存在していないのですから。

人間の作り上げた妄想なんて、大きな津波がひとつくれば、
すべて押し流されてしまいます。
そういうことを、我々は経験したはずです。

本質を見つめ直すときです。

明日、正しいリーダーを選んでください。
世界の未来に、少しでもマシなリーダーを選びましょう。

我々の未来を決めるのは、我々自身です。

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