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静かに燃えるまなざし

鳥取県米子市在住の写真家、庄司丈太郎さんの新作『貧しかったが、燃えていた 釜ケ崎で生きる人々 昭和ブルース編』(解放出版社)が発売された。

 庄司さんの写真を見るといつも色々な感情が浮かんでくる。そして本作で特に感じた「静けさ」はなんなのか、考えている。
 釜ケ崎で暮らしながら写真を撮るという庄司さんのスタイルは、社会学などで行われる参与観察という方法に近いが、写真に写るのはもちろん「研究対象」ではない。

 スタイル、と先に書いたが、写真を撮るという目的があって釜ケ崎にやってきたわけではないので、そもそも出発点が違う。
 同じ釜の飯を食う仲間。賭け事に興じる男たち。ご近所さん。居酒屋。お世話になった親分さん。気の置けない友達。暴動の前と後。いつも通る路地。看板。河内音頭で踊る人たち。猫。犬。

 様々な社会の矛盾を抱え込んだ労働者の街・釜ケ崎の現状に対して、庄司さんも当然怒りはある。しかしジャーナリストのようにそこを切り取って写真で表現することはしないし、あわれみを誘うような構図もとらない。

 ここで暮らす生活者として、カメラを通して時間をかけて人と場所をじっくりと見つめる。その時に、レンズの厚さ分だけ距離ができる。この「ほんの少しの距離感」が、庄司さんの優しいまなざしからくるものであり、この写真集の静けさや穏やかさを醸し出しているんだと思う。

 最後まで目を通した後、改めて表紙をながめる。工事現場で半日働いただけでボロボロになった軍手の穴からのぞく、荒れて傷だらけの指。生き様が刻み込まれたこの指先に、そっと手を添えたくなった。

 「貧しかったが、燃えていた」昭和を見つめた庄司さんのまなざしは、今も静かに燃えているはずだから、これからも写真を撮り続けてくれるだろう。


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