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【読書記録】水銀灯のような人

 曽野綾子著「仮の宿」を読みました。
 とても良いエッセイ集でした。図書館で借りて読んだのですが、これは何度も読み返したい一冊でしたので、いずれ買って我が家の本棚に納めます。

 昭和六年に生まれ、太平洋戦争の戦火、敗戦、戦後復興からの高度経済成長を目撃した、女流作家・曽野綾子先生によるエッセイ集です。初版1991 年ということで、昭和当時の価値観(典型的な男尊女卑的価値観とか、父の威厳の為の暴力の肯定とか)を土台に置いたエッセイではありますが、深い洞察と繊細な心配りと、曽野綾子先生の丁寧な筆致のお陰で、おっしゃっていることがするすると飲み込める文章ばかりでした。
 様々な話題を網羅したエッセイ集ですので、感想もまた色んな話題にとびとびになってしまいそうです。一貫性のない文章になってしまうかもしれませんが、どうぞご容赦ください。

 曽野綾子先生はクリスチャンで、修道院にいらっしゃったこともあるそうです。その所為か、曽野先生はよく聖書を引用してエピソードを語ります。日頃から身近にある文章と言うのは、生活によく紐付いて、連想もよく働くのかもしれません。人類史において一番歴史が深い書物と言っても過言ではない聖書には、きっと人間の特質の全てが網羅されていて、そして曽野先生の引用の仕方がまた上手なものですから、聖書の裏付けを得たエッセイは説得力を増しています。

 作中で、曽野綾子先生はご自身を水銀灯と表現なさいました。

しかし、数十秒経ってから何だか私は落ち着きが悪くなってきました。こういうふうに、反応がずっと後になって始まる人間のことを「水銀灯」というのだそうです。

曽野綾子著「仮の宿」より引用

 これもまた昭和チックなというか、令和では生まれない表現だなと感嘆してしまいます。そして、水銀灯のように、じっくりと反応する曽野綾子先生のことが高倉は好ましくて仕方ありません。受けた言葉を、得た経験を、自分の中に蓄えて、深く思考して消化する。アレクサに「電気をつけて」と言えば一瞬で明るくなるLED電球とは、これもまた便利ではありますが、味わいが違います。
 曽野綾子先生の文章の味わい深さは、水銀灯の味なのかもしれません。

 曽野綾子先生のエッセイには、出会った人とのエピソードが多いです。というか、そればかりです。曰く、曽野綾子先生は本や映画よりも、人からより影響を受ける質なのだそうです。
 高倉はこれも好ましく、また羨ましくて仕方ありません。高倉は人から影響を受けるということをあまりせず、影響を受けたものと言えば、本とか、ドラマとか、映画ばかりでした。メディアから影響を受けるということが悪いとは言いませんが、人との出会いはメディアとの出会いよりもずっと希少で、高倉はこの希少なものを大事にしきれていないのだと思ってしまいます。曽野先生はこの希少を大切に、自分の中へ取り込むことができているのでしょう。
 曽野先生はそういう人だから、「あ・あ」様のような、何度も優しい手紙をやりとりできる人にも恵まれるのでしょう。そしてこんな、人を思いやる丁寧で優しい文章を綴ることができるのでしょう。ペンで殴ってやろうという高倉とは雲泥の差です。

 エッセイとはこういうふうに書くべきなのだな、と我が身を恥じるばかりです。

 どこのどなたかわからない「あ・あ」様。一年以上もの間、私の乱雑な心理を引っ張り出していただいてありがとうございました。今となっては恥ずかしさだけが先に立ちます。小説家の宿命的な醜さを知らないわけではありませんが、なぜか今日は、一言も書きもせず、言いもしない、賢く考え深い方たちが世の中にはいっぱいいらっしゃるのに、と思われてなりません。私は今後も、そういう方たちから教えて頂き続けるつもりです。

曽野綾子著「仮の宿」より引用

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