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【読書記録】世界を変える善行

 毎日、どうすれば世の中をほんの少しよくすることができるだろうか? それには毎日、見知らぬ人に親切にするといい。
(中略)
 善行を施すと気分がよくなる。他人のために施す善行は、自分を変える力を持っている。世の中をよくしたいなら、まず自分から始めよう。自分がお手本を示すのだ。毎日、少なくとも1回は見知らぬ人に親切にし、他人の人生に好ましい影響を与えよう。

マーク・レクラウ著「習慣を変えれば人生が変わる」より

 マーク・レクラウ著「習慣を変えれば人生が変わる」を手に取ったきっかけは至極単純で、高倉がクソみたいな生活習慣の中にいることを自覚ているからだ。さらに、最近追加でクソみたいな行動を毎日毎日取っていて、これ以上生活習慣がクソゴミクズになっていくのを阻止したかった。
 高倉は自堕落に自堕落を重ねた結果、InstagramやTwitterで世間の怒りや不条理に精神をすり減らし、二言目には悪口が出る人間になってしまった。加えて運動量が足りておらず、先日の葬式で数年ぶりに引っ張り出したスーツがパツパツになっていた。由々しき自体だ。早くなんとかしないといけない。

 SNSは陰鬱な気分になるニュースで溢れ、職場の上司はクソ、バスではマナーも知らない人間がマスクもつけずに咳き込んでいる。世間はクソだし人生はクソだ。誰かこんな世界を変えてはくれないだろうか。否、そんなことは起こらない。多くの人は政治家になろうとしないし、政治家になるよりも政治家に文句を垂れる方が楽だと知っている。嗚呼嘆かわしい、こんなクソみたいな世界に誰がした。誰の所為だ。あの政治家か、あのタレントか、お前か。
 こんな思考になる前にこの本に出会えたのは僥倖だったと思う。
 世界は認識と解釈でできている。高倉の世界は高倉の思考が作り上げるものであって、他人が勝手気ままに構築するものではない。高倉の世界がクソなのは、高倉が世界をクソだと認識しているからだ。
 落ち着いて考えれば、この世界は、高倉の手が届く範囲にある世界はそう嘆かわしいものではない。仕事があり、家族も友もいて、貯金もあり、趣味も夢もある。誰が咳込んだとしてもバスはきちんと換気されているし、上司の足りない能は能ある高倉が埋めてやればいいのだ。今ある幸せに目を向けて、足りないものを乞うのをやめろと、マーク・レクラウ先生も言っている。

 そして、世界を変えるのもまた自分だ。世界を変えることも他人を変えることも高倉にはできないが、自分を変えることはできる。自分が変われば世界が変わる。
 世の中をほんの少しよくするために、自分が率先して善行をする。見知らぬ人に親切にするのだ。高倉が認識している世界に、善行をする人間が必ず一人いる。それだけで世界はだいぶマシに見えるというものだ。

 ということで、一日一善行をしようと心に決めたわけだが、これが割と難しい。そもそも「善行」の定義が難しい。
 善行って何だろうか。例えばバスで老人に席を譲る、とかだろうか。譲れる状況ならそうしたいところだが、出退勤のバスは比較的空いていて、立たなければならない状況自体そう生まれない。
 同僚の仕事を一つ引き受けたらそれは善行だろうか?親切はその通りなのかもしれないが、それは善行でなく仕事ではないだろうか。
 行列に並んでいる中で、後ろに立つ人に先を譲るのは善行だろうか。譲られた人にとっては善かもしれないが、以降並んだ人にもそうしなければ不平等なのではないか?考え始めたらきりがない。

 出勤途中、信号待ちの人垣の中に、真っ白いコートを纏った女性が立っていた。ふわふわもこもこした、いかにもあったかそうなコートで、三月にしては若干冷え込んだ朝には似合いの服装だと思う。ふと視線を落とした時、その白いコートのポケットあたりにクリーニングのタグが付きっぱなしになっているのが見えた。店舗の地名らしき印字、生活圏が伺えてしまった。
 これを指摘することは「善行」になるのではないかと思った。女性の肩を叩いて、「すみません、ここ、クリーニングのタグがついてます」って言ってあげるのだ。女性は職場につく前に(彼女も出勤中だったとは限らないが、時間帯と土地柄上層である可能性が高いので、そう仮定する)タグを取ることができ、恥をかかずに済む。
 同時に、違う可能性が頭に浮かんだ。何処の誰とも分からない人間に突然肩を叩かれる恐怖。天下の往来で顔も名前も所属も知らない初対面の人間にクリーニングのタグがついているなどと指摘されることは、顔も名前も所属も知れた同じ職場の人間に指摘されることよりも恥なのではないだろうか。先述したように、タグには地名らしき記載がある。赤の他人にそれを目撃されたことは、彼女にとって良い気分のすることではないだろう。そもそも、コートをまじまじと見てクリーニングのタグを見つけやがる他人、怖すぎでは?女性に恐怖を植え付ける行為が「善行」である筈なくないか?
 じ、とクリーニングのタグを見据えたまま、そんなことをぐるぐると考えているうちに信号が青に変わった。白いコートはあっという間に人垣に呑まれて、高倉は善行(或いは愚行)のタイミングを失った。

 善行、あまりにも難しい。咄嗟となれば猶の事難しい。世界は認識と解釈でできていて、高倉の「善行」の認識が他人の認識する「善行」と一致するとは限らない。
 彼女はあの後、クリーニングのタグに気付いただろうか。彼女が恥をかかず、恐怖も怒りも覚えない方法で気付いて、タグを外すことができたと祈るばかりだ。

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