見出し画像

【映画記録】真実を解剖するということ

 小学生の頃、一度だけ父と母が酷い喧嘩をしているのを聞いた。
 私と妹は寝室で眠っていて、父と母はリビングで言い争っていた。だから厳密に、何が起こったのかを私は分かっていない。分かるのは、母が泣き叫んでいたこと。父が酷く荒い語気で何かをまくしたてていたこと。そして、ガァン、ガァン、と何かが壊れる音がしたこと。後日、この時破壊されたのが新品のビデオデッキだったことを知る。父に踏みつけられて天板が凹んだビデオデッキを見た時は、ショックで言葉を失った。
 父は穏やかな人で、返事は「はい」しか聞いたことがない。母は若干気が強いところがあるものの、気が利いて優しい人だった。家族は仲良くしていたし、よしんば喧嘩があったとしても、泣いて叫んで物を壊すような喧嘩がおこるなんて想像もしていなかった。
 想像できていなかったのは、私が父母の一面しか見ていなかったからなのだろう。しかし、人間は多面体なのだ。

 映画「落下の解剖学」は、事実の多面性を捉える物語だった。

 家の屋根裏から転落死した父親の、第一発見者は視覚障害のある息子。当時は父親が爆音で音楽をかけていた。現場には雪が積もっていて、物証の多くは雪と共に解けて流れてしまった。状況と物証から、事実を合理的に導き出すのは難しい。裁判は、事実を一元的に解釈し、一番納得のいく真実をつくる方向へ舵を切らざるを得なくなる。
 物語は、夫婦関係に焦点を当てていく。母親が父親を殺した可能性に言及する裁判を、息子は傍聴人席で聞いている。仲がいいと信じていた父母の、酷い喧嘩の録音を聞く。父親がアスピリンで自殺未遂をするほど精神的に追い詰められていたことを知る。
 父親がアスピリンを服用して自殺未遂をした話を聞いた息子は、以前、盲導犬が口に吐しゃ物をつけて戻ってきた日があったのを思い出す。息子は、あの吐しゃ物は盲導犬が吐いたものではなく、父親が吐いたアスピリン交じりの吐しゃ物を盲導犬が食べたものだったのかもしれない、と思い当たるのだ。当時、盲導犬が体調を崩したのを覚えていた息子は、ドッグフードにアスピリンを混ぜて犬に食べさせ、同じ症状が出るかどうか確かめる。なんて酷いことをと思ったが、息子が確かめずにいられなかった理由も分かってしまって、責める気にはなれなかった。

 父がビデオデッキを壊したのは、ビデオデッキの出どころが母方の実家で、嫁の実家から家電を譲り受けるというのがあまりに惨めに思われたかららしい。穏やかな父にそんな激情があるなんて、いまだに信じ難い。父がビデオデッキを踏みつけたことを、或いはそういう衝動を持っていたことを、証明できる手段があったとしたら、それがどんなに非人道的な手段であったとしても、私もきっと試さずにはいられない。

 

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集