【短編小説】語り手は常に信用できない
こんな夢を見た。
自室に転がった自分の死体を見下ろしている。急に心臓が苦しくなって、気が付いたらこれだ。くそ、最悪。死に顔が間抜けすぎる。
生きるはかくも苦しかったが、終わってしまえばなんてことはない。無為に息をしているだけの、どうでもいい人生だった。生きることに執着はないが、せめて死に様は選びたかったかもしれない。
否、もしかしてまだ間に合うかも?
幽体は意外と融通が効くようで、壁も床もすり抜けられるくせに大概の物に触れて動かすことができた。試しに自分の遺体の腕を持ち上げてみる。温度は分からないが、質量は感じ取ることができた。ぷら、ぷら、死にたての手首はまだよく動く。数時間したら死後硬直が始まるのでこうはいかない。……これ、側から見たら結構怖い光景なのでは?
さて、偽装工作は死体が固まる前に済ませるに限る。
心臓を押さえていた腕を、床を掻きむしる方へ修正。ついでに人差し指を玄関の方へ向けておく。履いていたスリッパは片方脱がせて寝室の方へ放り投げる。飲みかけのアイスコーヒーをデスクからダイニングテーブルに移動させて、床には水滴を落としておく。食器棚の奥の方から引き摺り出した来客用のカップは、洗ってから棚の手前に、わざわざ向きを変えて置く。万年筆と手帳の隣に広げたパソコンに活字の遺書を残して……うーん、ちょっとやりすぎか? パソコンのキーボードと、あとは窓と玄関扉の指紋を入念に拭き取り、鍵は施錠したまま玄関のドアチェーンだけ外した。
完成した光景にしばし感動する。なんと意味のない、意味深な死体か!
私が偽装工作を終えて数分もしないうちに、知人の三苫裕次郎が私の死体を見つけてくれた。三苫は目端のきく男なので、現場に散りばめられた不自然にすぐ気付いてくれる。
その上、警察に通報する前に玄関の鍵にピッキングの痕まで偽装してくれたのでマジで最高だ。そうだよな、合鍵を持つ君が一番に疑われかねないものな。有難う三苫。君が第一発見者で本当に良かった。君が犯人として疑われるのは避けられないと思うが、どうか頑張ってアリバイを証明してくれ。
事件性有と判断した警察の捜査がはじまり、怖い顔をした刑事たちが犯人確保のために奔走するようになる。
勿論、私を殺した犯人なんている筈がない。私は正真正銘の自然死だ。警察の捜査は、容疑者どころか犯人像すら絞れないまま暗礁に乗り上げる。
三苫は本当に良い奴で、私が死んでいた現場の状況をマスコミにリークして、大衆へ情報提供を募ってくれた。野次馬根性強かなインターネットの住民たちの間で、私がいかに殺害されたのか推理するのが流行る。みんな名探偵になりたいのだ。犯人がいる前提で進む議論。私が作り上げた偽装工作全てに、合理的な、突飛な、或いはエンタメ性に富んだ解釈が与えられてゆく。
全ては虚構、それで良かった。虚構だって真実相当に価値がある。
スマホの表面を滑ってゆく虚構を目で追いながら、そういえば、犯人候補に三苫の名前が挙がらないなぁと考える。密室の合鍵を持った第一発見者なんて、一番に疑われて然るべきだ。警察が三苫から手を引いたのは三苫に確固たるアリバイがあった所為であろうが、無責任なアクロバティック推理にも人権があるインターネットが三苫を拾わないのは不自然だ。
そもそも、大衆はこの事件を誰の視点で眺めている?まとめサイトに三苫の情報が無いのは偶然か?三苫は本当に潔白か?私は本当に自然死だったのだのか?
スマホに落としていた視線を、上げた三苫と目が合った。透明な私を確かに視界に捉えた三苫が、つぃと目を細めて、「満足した?」と私に尋ねる。