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【エッセイ】輪郭に触るな

 新しい現場に入ると、当たり前だが、自己紹介を強いられる。知らないオフィスで、知らない顔に注目されるこの儀式。詰まる息を何とか吸い込む。
「今日からお世話になります、眞木高倉です。一生懸命頑張ります、宜しくお願いします」 会釈、気持ちばかりの拍手を浴びて、終わりだ。
 別に一生懸命頑張るつもりはないが、聞いている方だって別に誰も「おぉこいつは一生懸命頑張るつもりなんだな」なんて思っていないだろう。こういうのは定型文だ。意味の無さで言うと、呪文と言った方が適当かもしれない。

 今回の自己紹介はまだマシだ。最悪なのは、紹介する事柄を指定される場合だ。大学生時代のバイト先なんかマジで最悪だった。
「じゃあ新人さん自己紹介してね。名前と、出身地と、通ってる大学と、趣味と、意気込みとかもあったらいいな」
 あったらいいな、ってことは無くてもいいな?
 なんでそんなに長々と自分のことを紹介しないといけないんだ。名前はともかく、それ以外のことって仕事する上で必要か?同僚の出身地が分からないと仕事に支障が出るタイミングっていつだ? 同僚の趣味が分かったら捗る仕事があるのか?
 事柄を指定する側の気持ちも分からなくはないのだ。「自己紹介してね」なんて投げっぱなしでは、何をしゃべったらいいのか分からない人がいることは承知している。あちらも親切で定型を示してくれているのだ。これさえ言えば間違いじゃないよ、安心してね、という心配りだ。
 分かって尚、くだらない。自己紹介なんか誰も聞いてないんだから、間違えたって何を気にする必要もないだろう。
 提供する情報なんか必要最低限でいいのだ。同僚について知っておいた方が良い情報なんて、本当に、本当に名前程度じゃないか?

「眞木さんって何処出身なの?ここが地元?」
 新現場は大変にアットホームな雰囲気で、此方が黙っていても甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。昼食も、一人で食べるつもりだったのに、社食でうっかり同僚集団に出くわしてしまって、あれよあれよと言う間に相席になっていた。相席には世間話が必須で、世間話には高倉への質問がちょこちょこと織り込まれる。悪意があってのことではないと分かっている。気を遣って頂いているのだ。高倉は感謝しなければならない。
 とはいえ出身地、教えたくない。仕事に必須じゃない個人情報を、まだ親しくも何ともない相手に何故開示しなければならないのか。仕事に必要な話だけしろとは言わないが、出身地って結構、アイデンティティの芯のひとつだし、そういうものをただのアイスブレイクに使われるのは癪に障る。
 さりとて「言いたくないです」と拒絶するのも角が立つので、適当な嘘で凌ぎたかった。馬鹿正直に愛媛出身と言わず、例えば、
「奈良ですね。橿原っていう、奈良の南の果てです」
などと言い逃れるのが一番ストレスフリーだ。広島から遠すぎず、近すぎもしない、誰も詳しそうでなく、且つ高倉に若干の地の利がある場所(高倉の以前の勤務先がある町だ)。集団に本当の奈良出身者が居たら一気に話が膨らんでしまうかもしれないが、少なくともオフィス内で関西弁は聞こえてこなかったから大丈夫だろう。
「奈良!」
「奈良かー」
「奈良のひとははじめてだね」
「鹿いるの?」
「鹿は奈良公園付近だけですよー」
 案の定、大丈夫だった。

 恋人と別れてから、虚言癖がぶり返しつつある。
 別に見栄を張ろうというわけでも、コンプレックスを隠そうという意図もない。ただ、知られたくないだけだ。高倉の輪郭に直結する部分を、どうして会って数日の木偶(言い過ぎかもしれない)に教えなければならないのか。名前、出身地、年齢、最寄り駅、趣味、家族構成、休日の過ごし方。仕事に支障が出ない情報、真実でなくてもいいのなら真実を教えたくない。誰も私の真実を知るな。 

 群よう子先生のエッセイ集「ヒヨコの蠅叩き」に収録された「嘘つきの真実」というエッセイを読んだ。優秀な会社の同僚は、「俺の家族は全員交通事故で死んで、俺は天涯孤独なんだ」と言ってたくせに先日弟の結婚式に出席したような、よく分からない嘘をつく奴だった。そんな奴に最近恋人ができたという噂が流れ、聞いてみると「サッカーの前園選手にそっくりなんだ」という答えが返ってきた。そして、うっかり目撃した奴の彼女が本当に前園選手にそっくりだったものだから、奴は本当に必要なところで嘘をつかない、よく分からない人だなと思った、という内容だ。
 高倉にはその同僚の気持ちが分かる気がする。と言うか、恋人ができた頃の高倉がまさにこれだった。よく分からない嘘は輪郭を誤認させる為のもので、本当の輪郭を見せなければ内容は何でも良い。恋人がいることで虚言が減ったのは、正直者の恋人にあてられたのか、恋人以外の有象無象が心底どうでもよくなったからなのか定かでない。ともあれ、高倉も恋人のことで嘘を吐けたことがない。

 虚言を吐きまくる高倉と、そうしない高倉、両方を経験して分かったこととして、高倉は虚言を吐いている自分の方が好きだ。矛盾を警戒して、頭をフル回転させて慎重に丁寧に嘘を組み上げている自分のことが結構好き。思考停止で本当のことを駄々洩れにしている自分はだらしがなくて好きじゃない。

「奈良に帰省する時はバス?」
「そうですよー。大阪まで行ってから、あとは電車で帰ります」
「へぇー」
 適当な相槌のあと、話題は全然関係のない野球の話へ移った。野球なんかルールも知らないが、取り敢えず阪神を応援していることにして、それらしく話に乗る。
 本当の高倉の帰省先は愛媛だし、使う交通機関はバスじゃなくて船だ。野球にだって興味がないどころか、寧ろ恨み節の方が多い。しかし、そんなことを仕事の同僚に言う必要はない。スポーツニュースで見かけた話題を適当に上げながら、そろそろ祖父の四十九日だな、と思う。

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