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【短編小説】怪盗トリスターナは死なない

 こんな夢を見た。

 大女優・遊馬イトの正体が怪盗トリスターナであることを、知っているのは世界で私ただ一人だ。「私の正体を見破るとは、流石私の幼馴染だね」とイトは嬉しそうに笑っていたが、流石も何もあるか。クソでかいコンクパールを卓袱台に置きっぱなしにするな。

 怪盗トリスターナは義賊である。大富豪が不正に不正を重ねて築き上げた遺産を盗み、ついでに悪事の全てを暴く。その手口は華麗で熾烈。誰もが目を奪われる鮮やかさで誰もの目を盗み、今まで一度も失敗したことが無い。
 盗品は然るべき持ち主に返還するか、金銭に替えてから貧困にあえぐ施設や団体に寄付する。しかし寄贈主を「怪盗トリスターナ」にするわけにはいかないので、彼女が義賊であることを知っているのもまた、私ただ一人だ。
 イトは彼女なりの信念に則って、彼女が信じる正義を施行している。正義にひたむきな彼女は強くて美しい。怪盗が違法行為だと分かっていても、協力するのは吝かじゃなかった。なかったけれど「知っちゃったからには協力してよ?」と私を脅して協力者に仕立て上げようとするのは如何なものかと思う。

 結論を言うと、怪盗トリスターナに助手なんて要らなかった。彼女は一人で完璧に完成している。私の存在が邪魔になりこそすれ、必要とされることなんてあるはずがない。脅してまで私を協力者にしておきながら、私に協力を求めることが一度も無いまま、遊馬イトは死んだ。

 怪盗業とは何の関係も無い、ただの事故だった。工事中のビルから落下してきた鉄柱に、頭を完膚なきまでに潰されて遊馬イトは死んだ。
 最早外見から本人か否か判断できない状態の遺体は、誰の目にも触れないように棺桶にしまいこまれて、火葬場まで開くことはなかった。葬儀は身内だけを招いた細やかなものだったが、お別れの会は二日間かけて大々的に行われる。真っ白い花が積まれた祭壇の真ん中で、いつかの雑誌の表紙を飾った時の遊馬イトが微笑んでいる。誰も遊馬イトの最期の顔を知らないまま、微笑む遊馬イトに別れを告げる。

 そして私は、遊馬イトが私に何をさせたかったのかを悟る。遊馬イトの死が怪盗トリスターナの死になってはならない。正義で、義賊で、強くて美しい怪盗は、この先も絶対に必要だ。
 怪盗トリスターナの正体を知っているのは私だけで、これからもずっとそうでなければならない。卓袱台にはイトが調べていた、次の標的の調査資料と盗みの計画書が広げっぱなしになっている。くそ。絶対わざとだろ。お前、あのコンクパールも実はわざと置いてたろ。

 怪盗トリスターナは死なない。死んではならない。そんなことは分かっている。協力を約束したからには、私がするべきことは決まっている。それでも手をこまねいてしまうあたり、私もいい加減往生際が悪い。
 果たして、遊馬イトは本当に死んだのだろうか。頭がつぶれて本人か否か判断できない遺体。死体すり替えはミステリの定石だ。あの日火葬場で灰になったのは、本当に遊馬イトだったのか? 実は遊馬イトは生きていて、私に怪盗トリスターナをさせるために一計を案じているのではないか? そんなことをする理由? 知るか、本人に聞くしかないだろそんなの。
 このまま怪盗トリスターナを殺せば、イトはきっとしびれを切らせて戻ってくる。何事もなかったかのように卓袱台に座って、「協力してくれるって言ったじゃないか!嘘つきは泥棒のはじまりなんだぞ!」なんて文句を並べ立てる姿が目に浮かぶ。煩い、泥棒。

 現実を見ろよ、と、頭の中で怪盗の囁く声がする。

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