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【映画記録】積まれた死体を見ないよう

The opposite of love is not hate, it's indifference.
愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。

エリ・ヴィーゼルの名言より引用

 1986 年のノーベル平和賞受賞者で、ボストン大学教授、そしてユダヤ人作家のエリ・ヴィーゼルが、授賞式の演説で述べた言葉だそうだ。愛されないものは憎しみすら受け取れない。人は関心を払うに値する世界の内側に住み、その外で、何が起こっているのかなんて気に掛けることすらしない。
 死体は、そういうところに積まれる。

 映画「関心領域」が写すのは、関心を払うに値する世界の内側の映像だ。

 第2次世界大戦下のポーランド・オシフィエンチム郊外。アウシュヴィッツ強制収容所を囲む40平方キロメートルは、ナチス親衛隊から関心領域と呼ばれた。収容所と壁を1枚隔てた屋敷に住む所長とその家族の暮らしは、美しい庭と食に恵まれた平和そのもので……

映画ナタリーより引用

 登場人物たちが住む家は良い家だ。真っ白い二階建ての家には十分な広さがあり、子供の部屋が二部屋、夫婦の寝室、客用の寝室、使用人の部屋も確保できる。大きな庭付きで、ガーデニングだけでは飽き足らず、プールも藤棚も作った。近くには美しい川が流れていて、少し歩けばベリーが生っているのが見つかる。高倉がもしも転勤で、こういう家を用意するから引っ越せと言われたら、喜び勇んで引っ越し業者に電話しちゃうだろう。
 おとなりさんがアウシュヴィッツ強制収容所でなければ、の話だが。

 映画の中で、家族はそれはそれは穏やかに暮らしている。事件どころか兄弟喧嘩すら無いような、ともすれば映画になれないくらい退屈でありふれた日常が悠々と続く。もしかしたら彼らは隣で何が起きているか知らないのかもしれない、と頭の端で考えていると、買ってきたわけではない大量の衣服、間断なく聞こえてくる悲鳴、ずっと煙を吐いている煙突、川を流れてくる灰、といった言い逃れのできない地獄の切れ端が覗く。そのたびに、高倉はヒッと息をのむのだが、登場人物たちは気にも留めずに日常を続けている。本当の持ち主が今どこにいるのか分かっている筈の毛皮のコートを、嬉しそうにもせず試着する婦人。

 高倉は世界史の授業をきちんと受けたし、映画「縞模様のパジャマの少年」も「シンドラーのリスト」も観たので、アウシュヴィッツ強制収容所と壁一枚のおとなりさんとして暮らすなんてとんでもないことだと分かる。壁一枚先で毎日何人もの人間が、罪のない人が、大人も子供も区別なく殺されている。人の手によって焼かれている。この世の地獄が、目と鼻の先だ。
 アウシュヴィッツ強制収容所で行われていたのが、どれほど残虐非道な悪行か、無関心ではいられない鬼畜の所業であるか、高倉はこれを歴史として知っているので判断することができる。当時の人は、アウシュヴィッツ強制収容所で行われていたことをどうやって正当化していたのだろう。「シンドラーのリスト」は正当化しなかった。「縞模様のパジャマの少年」では、ユダヤ人を人とみなしていなかった。
 「関心領域」では、関心すら払われていなかった。正当化するとかしないとか、そういう土俵にすら上げない。壁の向こうで何が行われているのか、知っているにはいるが、無関心なのだ。人の断末魔が、カッコウの鳴き声程度にしか聞こえていない。

 無関心は反応ではないのです。無関心はすべての終わりで、常に敵の味方です。

エリ・ヴィーゼルの名言より引用

 無関心は敵の味方、その恐ろしさを知れと、この映画は叫んでいる。

 正論を言うならば、きちんと世界で起こっているありとあらゆるに関心を抱き、目をかっ開いて生きていたいところである。ウクライナで起こっていること、パレスチナはガザ地区で起こっていること、液晶一枚隔てた先のことに関心を持って、その恐ろしさから目を背けず、自分が信じる人道が許さないことを「許さない!」と声高に宣言するべきだ。
 さりとて、高倉は正論で生きられるほど清く正しくなく、自分の限界を心得た堕落の大人なので、正直、そんな生き方は無理だ。そもそも高倉はうっすらとこの世が好きでなく、「愛の反対が無関心」という言葉に則るなら、高倉は世界に対してうっすら無関心でいる。高倉の無関心な領域に死体が積まれていることを、この映画で自覚したところで、そうですよね、そうであることは重々承知です、と階段の踊り場で吐き気を催しながら、しかし高倉の関心領域を出ることはしない。関心を払う価値を、世界に見出していない。
 そしていつか、自分が世界の無関心領域に取り込まれた時、この映画を思い出して銷魂し、自分が払ってきた無関心を顧みて因果応報を噛み締めるのだろう。

 今のこの無関心も、歴史の教科書で愚行と記される日が来るかもしれない。ホロコーストの歴史を知りながら、そこから何も学べず、同じ轍を踏んでいることが、きっと忌むべき歴史として書かれる。きっと人の心がないロボットくんに「どうして同じことを繰り返すのかな?」とか言われてしまう。
 愛を知らないロボットにこの遣る瀬なさは分かるまい、と拗ねたことを吐き捨てて、ぐっと瞼を閉じる。

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