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14.家族の旅行はいつも怒声で始まるため嫌いだった

-1- 我が家の旅行の方針

家計管理を担う母親の方針によって、宿泊を伴う家族旅行は禁止、あっても最小限とすることとなっていたため、家族全員で宿泊旅行をしたのは(法事などの娯楽ではない目的の場合を除けば)人生で一度きりでした。

旅先を決める段階から子供側の要望を聞き入れてもらえる雰囲気に乏しく、周りの家で頻繁にしているような国内外への宿泊旅行は敬遠されていたものの、母親は子供たちのために金銭的負担の少ない日帰り旅行を増やしてやろうと最大限の努力をしてくれていました。
山へ行って川遊び、海へ行って浜遊び、磯遊びなど、全て入場料や使用料の発生しない場所を選び、手作り弁当を用意して飲食物は全て持参、徹底してお金の掛からない日帰り旅行を実行していました。
厳しい倹約家の母親のおかげで、子供の数が多かった我が家の家計が正常に保たれていた側面は確かにあったとは思います。

学校の同級生たちが、毎年夏休みなどの長期休みに入ると家族で国内や国外の宿泊旅行をしており、休み明けに毎回律儀にお土産の品を渡してくれることに羨ましさやら申し訳なさやら[※別記1]で複雑な感情を抱いていましたが、だからといって他の家と同様に土産物が購入できるような地への家族旅行を増やしてもらいたいとは率直に思えませんでした。

正直な気持ちとしては、同級生たちが羨ましい、宿泊旅行が一切できない自分の家が恥ずかしいと思っていましたが、母親が工夫して練り出してくれた日帰り旅行そのものに対しては、そこまで大きな不満はありませんでした。

例によって、旅行の中身そのものが問題ではなくなるほど、父親の問題が大き過ぎたのです。

-2- 外出時の父親の問題

前述のような条件から、旅行の際の移動手段は自家用車に限られます。
車の運転が可能なのは父親一人しかいません。母親は運転ができないため、移動距離が短かろうが長かろうが交代要員なしで往路も復路も父親のみが運転し続けることになります。父親からしてみれば、子供のような長期休暇も存在しない中で、本来ならば体を休めるためにある休日を、望まぬ肉体労働に費やさなくてはならない感覚だったのだと思います。

旅行の日は必ず出発前から父親の怒号を聞かなくてはなりませんでした。

以前記載したように、車の運転を父親へ頼む際には最大限の注意を払わなくてはなりません。
何日も前から了承を得ていたとしても、最終的に父親が許諾してくれるか否かは当日の気分に左右されるため、恐る恐る慎重なお伺いを立てる必要があり、これに失敗すれば車を出してもらえませんでした。

実際、出発直前に父親の機嫌を損ねてしまい、幾度も旅行が頓挫しました。
家族全員の身支度が全て完了し、後は出発するばかりとなった状態であっても、気分を害した父親から一言「中止だ」と言われれば、そこで全て終わりです。

何とか父親の機嫌を急落させずに、車の運転をしてもらえるところまで持って行けたとしても、それは問題の解決を意味しませんでした。

父親の良しとする円滑さで旅行の準備が進まなかったり、父親が出ても良いと思った瞬間に出発ができなければ、父親の怒りが爆発してしまうからです。

-3- 外出前の母親の大仕事

家族の人数が多ければ全員の足並みを揃えるのは容易な話ではありません。
毎回用意しなければならない荷物は宿泊旅行並みに多く、衣服だけ詰めて完了という荷造りではなかったため、数分で済ませられるような内容量ではありませんでした。
予定していた時刻ちょうどに出発できる時の方が珍しかったと思います。

この家族旅行の準備という大仕事を行っていたのは、全て母親でした。

母親は父親と同じように平日フルタイム勤務の勤め人でしたが、家では休日も平日も関係なく家事と育児の全てを背負わされており、当然のように旅行の準備といった雑事も母親が対応していました。幼児以下の年齢の子供がいようと関係ありません。旅行当日に家族全員分の弁当を作り、出発前の家事を済ませ、子供全員分の(行き先によっては大人分も含む)着替え、救急用品の備え、事前に収集しておいた旅先の情報、地図の用意といった何から何まで外出に必要な全てを母親一人で準備しなくてはならないのです。

旅行当日に子供がぐずって準備が滞ったり、突発的な問題が発生したり、その他の用事の優先度が高くなってしまって対処の必要が出たり、子供がいれば物事は大人の計画した通りに進まないですし、不測の事態は避けられないものだと思います。我が家の旅行の出発前も何かしらの支障が出てばかりでした。

-4- 母親へ向かう父親の怒り

これら旅行の準備の滞りを、父親は母親の落ち度と定め、決して許しませんでした。
父親自身はあらゆる準備作業の全てに手を貸しませんでした(父親の分の準備も母親が行う)が、母親の準備が円滑に進まなければ烈火のごとく怒り出すのです。

子供だった私は、この母親の置かれた状況を正確に理解できておらず、父親の怒り狂う様を日常的な癇癪の風景と受け取っていましたが、ただの日帰り旅行に対する母親の辛労はそれに見合わぬ異常な重さだったと思います。

父親は出発前には必ず
「何でまだ準備ができないんだ!」
「さっさとしろ!」
「もっと早くできないのか!」
「時間が掛かることぐらい最初から計算しておけ!」
と怒鳴り散らしていました。

父親から何度も罵倒される母親が反駁もせず必死に準備の手を進めていた姿が、強く印象に残っています。

母親だって言いたいことはたくさんあったでしょうが、従順ではない態度を見せた瞬間に父親から「じゃあ今日の旅行は中止だな」と言われてしまいますから、黙るしかなかったのでしょう。
母親の泣きそうな顔、怒りをぐっと堪えた顔、無表情な顔、様々な顔を見ました。
私たち子供のために自分を殺して頑張ってくれていたのです。

今でも父親から詰られる母親の姿を思い出すと胸がざわつきます。

私に何かできることはなかったのだろうか、なぜ私は母親を助けられなかったのだろうか、邪魔になるから準備は手伝えなかったとしても他にできることがあったんじゃないだろうか、父親へ口答えはできなくても母親を庇うような発言はできなかったのか、せめて陰で「お母さんありがとう」と言うことはできたんじゃないか、母親は孤独に苦しんでいたんじゃないだろうか、私はあの時なぜ何もしなかったのか、父親を恐れて縮こまっている場合じゃなかっただろう、母親は私よりももっと辛かっただろう、悲しかっただろう、でもそれをわかっていたとして、子供の私はどうすれば良かったのか。
そういった思いが渦巻きます。

-5- 外出直前のご機嫌伺い

父親の扱いの難しさは、出発の準備を早く終えさえすれば問題ない「わけではなかった」という点でした。
珍しく全員の準備が出発予定時刻ちょうどに完了していても、父親が機嫌良く動き出してくれるかどうかは別の問題だったのです。

既に述べた通り、出発の声掛けをする際に父親の気分を害してしまえば全てが終わります。
母親が父親に「催促されている」と受け取られないよう、慎重に優しい言葉を選んで父親へ出発可能である旨を伝え、これに腹を立てられなければ、ようやく車に乗り込むことができます。

-6- 道中の苦しい時間

無事に自宅を出るところまで漕ぎ着けたとして、ここからが私にとっては旅路の中で最も苦しい時間でした。

行き先に関する情報は母親が持っており父親が運転をする関係上、母親が道案内役となりますが、これが必ずと言って良いほど噛み合いませんでした。
地図を読むことが苦手だった母親は、父親が求める情報を即座に出せず、頻繁に父親の怒りを買っていたのです。
車にカーナビが搭載されてからは軽減されましたが、それまでは母親が情報量の少ない紙の地図を頼りにたどたどしく道案内をしていたものですから、迅速で厳密な情報を要求する父親の怒りはすぐに頂点へ達してしまいます。

「ちゃんと調べとけって言っただろ!」
「地図を見ろ!地図を!」
「何号線かって聞いてるんだよ!」
「いい加減にしろ!」

両親の様子を後ろから見守る私たち子供は、これが家の中であれば、別室へ逃げ込んで布団の中に頭を突っ込み、耳を押さえて父親の叫び声が聞こえないように遮断することができましたが、車の中ではそうはいきません。
できることは、後部座席で体を小さくして下を向き、目をぎゅっと閉じて両手で両耳を強く押さえつけて、なるべく怒鳴り声の衝撃が届かないようにし、早くこの嵐が過ぎ去ってくれるよう祈るだけです。

車内という狭い密閉空間で成人男性が響かせる大音量の怒号の恐怖は、生半可なものではありませんでした。

これが、目的地へ到着するまで延々と続くのです。
例えば片道に2時間掛かったとしても、その道中ずっと母親の不備を咎める説教が止まらず、低く静かに母親を詰る言葉が続いていたかと思うと急に大声で怒鳴り出すといった具合に、緩急をつけた怒りに精神が休まる暇がありません。断続的な罵声と怒号にびくびくしながら息苦しい時間を過ごすことになります。

-7- 父親の怒りが増幅する問題

父親にとって、ただでさえ母親の完璧ではない道案内に対して不満が溢れているところに、次の3点が加わると怒りは更に激化します。

<1> 忘れ物の発覚
<2> 完全な道迷い
<3> 渋滞

例えば財布のような、自宅へ引き返さざるを得ない類の忘れ物が発覚してしまった場合の父親の激昂ぶりは凄まじいものでした。
長時間車を走らせてしまってから引き返すのであれば怒りたくなる気持ちもわかるのですが、父親の場合は、自宅から数メートル走り出した時点で忘れ物が発覚しただけでも、怒りが爆発してしまうところが怖いところでした。

また、地図を見ても道が全くわからないような道迷いをしてしまった場合は(場所が相当な山奥でもない限り)、父親から「わからないんだったら道をさっさと聞いてこい!」と怒鳴りつけられた母親が通りすがりの人に道を聞いてきて解決できていたため、父親の怒りの激化も最短で済みましたが、渋滞の場合は解決の手立てがありません。
連休などの混み合う時期に車を出すことはほとんどなかったのですが、事故渋滞などの予期せぬ渋滞もありますし、全ての渋滞を回避できるはずもなく、何度も大規模な渋滞に巻き込まれ、最高潮に不機嫌となった父親が喚き散らす苦しい時間を過ごしました。

-8- 父親の様子の変化

意外なことに、目的地へ到着した以降の父親は憑き物が落ちたかのように怒りが鎮まっていた、そういう場合が多かったように私には見えていました(ただし移動が「自宅→目的地→自宅」と最小限に抑えられた時に限る)。

行きの道中の激昂ぶりが嘘のように落ち着き、母親と協力して子供の面倒を見始めるのです。
それは人の目があってもなくても同様だったため、周囲を気にしての行動ではなかったように思います。

帰りの車の中でも、行きと同程度かそれを上回る運転時間が見込まれたとしても、怒鳴り出さないどころか声を荒げることもなく、説教も文句も出ず、機嫌良く母親と談笑を始めることすらありました。

子供が皆疲れて眠ってしまっているために、それを気遣っての行動だった可能性もなくはないと思いますが、父親は行きの車内で寝ている子供がいても構わず怒号を響かせる人間だったので、その可能性はほぼないと思います。

-9- 父親の心理

当時は意味不明だった、この父親の短時間内での急激な心境の変化ですが、今振り返ってみると、おおよその推測ができます。

前述したように、父親にとって休日は平日の仕事の疲れを癒すために必要となる貴重な時間です。
本来ならば自分が好きなように使えるはずのこの時間を、全て、自分が行きたくもない場所へ赴くために浪費しなくてはならず、更には移動の足として運転手までさせられ、疲れを解消するどころか積み増されてしまうなんて言語道断で「あってはならない」、といった考えだったのでしょう。

普段から子供に対して「何でお父さんがお前のために車を運転する必要があるんだ?言ってみろ」と凄んでいた様子から、おそらく家族旅行(つまりは子供)のためだけに運転を強要されている状況に腹が立って腹が立って仕方がなかったのだと思います。

しかし腹は立つものの、父親の役割を全て放り出してしまえるほど無責任にもなれず、頭のどこかで妻や子供たちのために手を貸さなくてはならないという良心もあり、嫌々ながら協力の姿勢を見せる、それでも心の底から賛同できないから反発心が出てきてしまう、そういった心理が父親にああいう言動をさせていたのではないかと思います。

不承不承、運転手を引き受けたけれど本当は嫌だった、これを計画した妻に腹が立つし根本原因である子供の存在にも腹が立つ、しかしその不満をそのまま言葉にするわけにもいかないから、別の口実を見つけて怒りをぶつける、行きの道中でずっと怒り続け、なかなか腹の虫が治まらず何度も怒りを暴発させるが、目的地へ到着する頃にはもう引き返せないという諦めもつき、この事実(貴重な休日の浪費)をある程度「仕方がない」と受け入れられるようになっており、気分が落ち着いてきた、という流れで態度の急変が見られたのではないかと推測しました。

実際のところ父親の内情がどのようなものだったのかは不明です。
ただ、この件に関しては過去の私が父親の心理を正確に理解していたところで、例えば父親の不興を買わずに済むなどの何かの役に立てられたようには思えません。



[※別記1]
当時の我が家はお小遣い制度もなく子供の現金所持が許されていなかったこと、お土産品のような名目での物品購入は禁止されていたことから、お土産をわざわざ買ってきてくれた同級生へのお返しができませんでした。母親としては、その同級生たちが自宅へ遊びに来た時に飲食をさせてあげるのだから、お返しの代わりになっているだろうという考えだったのかもしれませんが、逆に私が他家へお邪魔することもあったわけで、お土産品をお返しに買わなくて良い理由にはなっていなかったのではないかと思います。
ただ、見返りを期待して渡すような性質のものでもないでしょうから、これは飽くまで私が当時「自分からはみんなに何も渡せない」と肩身の狭い思いをしていただけの思い出です。

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