NiziUの「Step and a step」を聞いて強く不安に思うこと
おはようございます、作家で企画屋で小中学生に勉強を教えつつ、親御さんの教育のお悩みに答えている田中聖斗です。
仕事柄、日々いろんな子どもに接しておりますが、NiziU人気は凄いですね。
紅白出場もそうですが、とにかく、やたら歌って踊りたがる子が多い。
しかし、やたらCMが流れるメジャーデビュー曲(ヒット曲「Make you Happy」はメジャーデビューじゃない)、「Step and a step」を聞いて、
ん?
と思うことがありました。
それは、「Step and a step」で、「a」が入るんだ!
ということではなくて(思いましたけど)、
「私だけのペースで」
というサビのフレーズでした。
ご存じの通りかわかりませんが、NiziUの推され感はハンパないです。
子どもたちの説によると(汗)、紅白にTWICEが出ないのは同じ事務所のNiziUが出るからということらしいですが、真実はどうあれ、韓国の芸能事情と自殺者の多さを考えると、この歌詞にとてつもない違和感を感じるわけです。
というのも、あれだけヒットした「Make you Happy」は、CDで出されたわけではないけれど、「プレデビュー」だったわけです。
この言葉遊び感は好きじゃありませんが、それがYouTubeから発信だったから、というだけならいいのですが、その後のメディアへの過度な露出を考えると、どう考えても「プッシュ」があったと考えるのが普通で、さらに「韓国大手JYPエンターテイメント×ソニーミュージック」の合同プロジェクトで、K-POP人気を支えるプロデューサー、J.Y.Park(パク・ジニョン)氏が作詞作曲をするとなれば、自然とメディアが食らいついてくるのも想像できます。想像できない人たちじゃなかったはずです。
そんな中、完全に、「大人のビジネス」の中に放り込まれたのです。
「NiziU」そのものが。
確かに、NiziUは大人のビジネスがなければ存在しなかったワケですが、それでも、ではなぜNiziUだけ特別だったかというと、特別にしたかったからですよね、大人たちが。
そんな中で、厳しい競争をくぐり抜けてきた彼女たちへのエールとして「Step and a step(=一歩一歩)」という曲を、なかばプレゼントのような形として送っているそうです。
それが、「私だけのペースで」という歌詞なのでしょう。
作詞は三名の連名なので、実際に誰がどこを書いたかはわかりませんし、実の所、それはどうでもいいのですが、私にはこの歌詞が、彼女たちに「自分らしくでいいんだよ」というメッセージであるこの歌詞が、逆に彼女たちを苦しめることになるんではないかという、強い懸念があります。
というのも、
そもそも、
本当に周りを気にせず自分らしく生きられることなどあるのだろうか?
という疑問があるからです。
そんなことは、
地位も名誉も権力もある人じゃないと厳しくないか?
と。
確かに、周りを気にせず自分らしくしている人で、地位も名誉も権力もない人もいるでしょう。私の父はそんな人です。貧乏です。
でも、そういう人は、「自分で」その道を歩んでいるのです。
NiziUのメンバーように、人に「選ばれた」わけではありません。
自分で選んだ人は確かに、「私だけのペースで」生きることは可能です。
そして、自分で自分の道を歩いているので「強い」です。
個性の強いアーティストはそうでしょう。
詳しくは存じ上げないですが、数々のヒット曲とユニットを世に送り出したNiziUのプロデューサー、J.Y.Parkさんもそうでしょう。
でも、NiziUの彼女たちは、まだ全員、10代、未成年です。
一番若い子はなんと、15歳です。
彼女たちの輝かしい未来のために「私らしく」と願いを込めて作詞をしたのでしょうが、実際にそんな彼女たちが考える「私らしく」が、本当に貫けるほど、世の中は甘くないでしょう。
むしろ、
それすらも飲み込んでいくのがエンターテイメント業界であり、目立つことに飛びつくメディアであり、移り気なファンたちであり、「人間」としてそもそも興味を持っていないアンチの人たちです。
たとえば、
先の記事によるとNiziUには、同じ事務所の先輩であるTWICEに憧れて事務所に入った子もいるそうですが、TWICEが選ばれず、メジャーデビューもしていない(ハズの)NiziUだけが紅白に最速で出場することが決まったわけですが、そのことで「TWICEオワコン」みたいなことを言うメディアや人が出てくるわけです。
もしあなたが、憧れの人を追いかけて入った事務所でデビューを果たし、こんなことを書かれたらどう思うでしょうか?
基本的に成功する子というのは、それだけ「人としての魅力」に溢れる場合が多い。それは逆に言うと、人間的に見て、常識人であることでもある。
これが、「他のヤツを押しのけてでも、自分が一番になる」という人なら、こんなことで気に病むこともない。
しかし、必ずしもそんな人ばかりじゃないし、基本的に女性は男性よりも共感能力が高い上、「人間関係」を重視する傾向が強いため、より、自分が悪いのではないか?(事務所の推しを変えて)TWICEを追いやったのは自分ではないか?というようなことを色々考えるようなことが起こりうる。
これが30歳くらいでも病むと思うのに、彼女たちはまだ未成年で、社会経験もほぼなく、大人が敷いたレールの上を走らされているわけです。
善人であれば善人であるほど、悩む。
だからこそ、韓国だけでなく、日本での芸能人の自殺もなくならないのだろうと思う。
事務所やメディアだけでは済まない。
あれだけ大規模にプロモーション展開する以上、いろんな人の目に触れ、いろんな人の声を聴くようになる。
AKB48がイマイチ推してもパッとしないから、秋元康がエールとして作詞した「River」という名曲があるが、それとはずいぶん状況も違う。
彼女たちがとてもピュアな気持ちで「私らしく」と歌ったところで、たとえばTWICEファンでNiziUが嫌いという人、そもそもK-POP全般が嫌いという人、他の「推し」がいる人から、「やめろ」「ウザい」「ズルい」と言われることだってあるだろう。もっとひどいこともおそらく起こる。
それが人間というものでしょう。
アンチじゃない人であっても、彼女たちが真剣に歌えば歌うほど、興味がないだけに「事務所の操り人形じゃん」という扱いをして、彼女たちが自立していないような人間だと突きつけてくる人もいるでしょう。
これが良いか悪いか、ではなく、起こりうるものだと考えて、彼女たちをプッシュしているのだろうか?周りの大人たちは。
私も言葉を大切にしたくて物を書いているだけに、メッセージを込めたくなる気持ちはわかる。それが彼女たちのエールにも実際なるだろう。
でもそれが、こんな大々的に「商品」として送り出されている以上、それはもう、彼女たち“だけ”のものにはならない。
聴いた人たちから、
「この曲を聴いて勇気をもらえました」
「私も○○ちゃんみたいに自分らしく生きたいです」
などと、誰かの応援歌になってしまうことが容易に想像できる。
嵐のデビュー曲「A・RA・SHI」みたいに、「あくまでも自分たちの歌」にはならない。
普遍的であればあるほどヒットはするが、誰かのものにやりやすいということでもあるわけです。
そうしたらどうなるか?
彼女たちは、彼女たちのペースで歌えるはずがない。
そして事務所も、そんなことを「許し」はしないだろう。
だって、ファンが求めているんだからとなるに決まっているのだ。
そうしたら、どうやって「私だけのペースで」歌えるというのだろう?
そんなことを貫ける十代が何人いる?
「選ばれた」側の人間で、それが出来る人はどれだけいる?
大人だって、ブラック企業を辞められないくらいなのに、子どもたちにそれが出来るのだろうか?
本当に彼女たちへのエールにする曲であったら、それこそ「商品」にするべきではなく、それこそ、彼女たちだけに目の前でピアノを弾きながら歌って、彼女たちだけが聞こえるデータにして渡せば良かったはずだ。
しかし現実には、「親心」的な歌という「付加価値」がつけられ、ビジネスの中に放り込まれた恰好になる。あくまでも結果的にではあっても。
意図した物ではなかったかもしれないが、意図しないことが起こることを想像してこそ、子どもを守るということだろう。
私は子どもの親とメールすることが多いが、親が子どもの勉強を不安に思うのは、先行き不安だから、心配するのだ。
なんとか幸せになってもらいたいから、親の方で意図できない未来について、色々なことを考えるからこそ、不安に思うのだ。
その姿を見ていると、NiziUを取り巻く環境は、お世辞にも「本当の親」の姿とはほど遠いように感じる。
むしろ、そことは対極にある感覚すら受ける。
親が子どもに注ぐ愛情は、(まともな親なら)子どもがどんな状態になってもなんとか救い出したいと思うようなものだ。昔の表現なら「母性」とでもいえばわかりやすいだろう。
しかし、ビジネスの世界は基本、マッチョで「父性」的だ。
だから、
成功者たちが、さらなる成功を求め、選ばれた人に成功の道を歩かせる
人への無償の愛がない、成功者たちのプロジェクトには、一種の宗教というのは大げさだけど、そんな考えに取り憑かれているようにすら感じる。
その「成功ロード」を歩ける人だけついてこればいい。
そこからドロップアウトするなら、そこまでだ。
決して彼らがそういう風に考えているとは思わないが、結果的にはそうなっているのが現実ではなかろうか。
そういう「成功論」に対して、夢中になれる人と、そうでない人が世の中にはいて、後者の方が圧倒的に多いのが現実なのだ。
そして、だからこそ、何も知らない小学生以下はNiziUに夢中になれるけど、社会のことを色々知り始めている中学生以上は、小学生ほどNiziUに夢中になっていないようにも思う。
それは私の周りだけかもしれないが、大人がNiziUフィーバーにあまり乗ってこないのも、直感的に「作られたドラマを観させられている」と感じているからかもしれないし、大人になることで、純粋に対象を見られなくなっているのもあるだろう。
それはもちろん、彼女たちの責任ではない。
しかし、もう、NiziUは彼女たちであって、彼女たちではないのだ。
本当にNiziUのことを知らない人からも、NiziUという名前が1つの「窓口」になってしまって、実態とかけ離れた扱いを受けることも起こりうるし実際起きている。
そういうことがたびたびくり返されると、まともであればあるほど病む。
そういうことをこれまでも散々くり返してきたからこそ、「活動休止」した子がいたり、「自殺」する人もいるのではないか。
その事実を厳粛に受けとめ、なんとかしようとするのは、「言葉の力」だけでは絶対ムリだし、そんな「ロマン」を抱いているようだと、同じことが起こりうるという不安しか、ない。
私は別に、音楽に興味があるわけでも、NiziUのファンでも応援もしていないし、「Step and a step」は「Make you Happy」みたいに凄くは感じないよねと思うくらいの、第三者だ。
でも、だからこそ、端から見ていて、ある種異常な、狂気とも言える環境の中に置かれた彼女たちの未来が不安になる。
実際、韓国の芸能事務所なのに、韓国人がいないからデビューが危ういという報道もある。
こうなればもう、少女たちにはどうしようもできない。
むしろ、「嫌韓」の人たちからも、「韓国人●ね」という声を生ませる原因になってしまう。はからずともNiziUという存在のために。
そしてそれは、「韓国大好き」と思っている(人が絶対に多いであろう)NiziUのメンバーの心に、暗い影を落とすことにもなる。
「音楽は世界を越える」「虹の架け橋」なんてロマンチックで安っぽい言葉で、彼女たちの心が救われるわけでもないし、現状が打破できるわけでもない。
今の社会状況から、ファンと直接的に触れあえる機会も少ない彼女たちは、なおさら、こういった外的要因に振り回されていくようになるだろう。
そして、NiziUに対して思い入れが強ければ強いほど、いろんなことを考え、気に病むようになっていくだろう。
そうならないでほしいと思いつつも、それが避けられない未来を「歩かされている」からだ。
だから私は、この歌詞に、とてつもない違和感を感じるのだ。
願わくば、彼女たち自身が、「作る側」になってほしいと思う。
「私だけのペースで」自分の歌を作ってほしい。
創作は人の心を癒やすし、強くするからだ。
そしてそれができれば、
大人の力を借りずとも、本当に人の心に届く物になるはずだ。
それが、本当の強さを身につける方法だと思う。
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