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日本には夏休みの宿題があって海外にはない理由と、日本の生産性が高まらないワケ

いよいよ夏休みですね。

私が地域のコミュニティセンターでやっている学習支援である鳥羽見寺子屋でも、毎年、夏休みならではの体験授業のほか、夏休みの宿題(工作とかも)のサポートなどをしているせいか、「夏休みといえば宿題」ですよね。

しかし、いったん海外に目を向けると、小中学生の夏休みには宿題がないというところが圧倒的に多いようです。

夏休みの宿題がないなんて大丈夫?

その理由はいろいろあるかと思いますが、海外では、「休みは休みだから勉強はしない」という考えが根本にあるのが一番の理由のようです。
(昔は農家の収穫期だったから、という経緯もあるため)

かたや日本の夏はどうかというと、「勉強の夏」。

「夏休みなんだから休ませろよ」と思う子どもの気持ちはさておき、ちびまる子ちゃんに登場する「夏休みの友」をはじめとする、自治体オリジナルの夏の宿題が全国各地にあるように、さらにそれ以上の宿題があるのが普通です。

大人たちは、子どもたちに夏休みも勉強させようと躍起です。
(気持ちはとてもよくわかります笑)

塾業界の方も、かつては大学受験の勝負の夏、だったのが、近年は、中学生だけでなく小学生にまで「夏期講習」を猛プッシュ。
少子化のさなか夏期講習で人を集め、秋以降の通塾につなげたいからですね。不安を煽るCMを上手に作ってきます。

こうして、「夏休みをダラダラさせず、勉強させたい!」という親御さんのニーズに応えたサービスが提供されています。

また、学校でも、夏の宿題を少なめに出すと、保護者から「もっと宿題を出してください」と言われることもあるとか。

とにかく、夏は勉強をさせたい。

私もそう思います。
特に上位校を目指す子と、明らかに進度が遅い子は。

しかし、日本ではそんななのに、海外は夏休みの宿題がなくて大丈夫?

と思う人も多いかもしれません。

海外では、なぜ夏休みに勉強させなくても学校教育が成立させて(なんなら日本より大学ランキングが高い)のでしょうか?

海外で夏の宿題がない理由

そもそも、海外の夏休みに宿題がないのは、前述したように「休みは休み」という考え方もありますが、宿題を出す必要がないから、というのも少なからずあると思います。

それはどういうことかというと、欧米の国を中心に、世界では9月入学というところが多く、そもそも夏休みは「年度替わり」なのです。

日本でも、年度替わりである春休みには、学校からほぼ宿題が出ないのと同様、海外の学校でも、夏休みといえど年度替わりだから宿題を出さない、というのは自然と言えば自然なことです。
(あっても読書しよう、くらいとか)

たまたまそれが、休みが日本より長かったりするだけで、単純に日本の夏休みと海外の夏休みを比較するのはナンセンスと言えばナンセンス。日本の春休みが超長い、という風にとらえましょう。

それではなぜ、年度替わりに宿題が出ないか?
疑問に思ったことはないでしょうか。

その説明をするためには、学校の仕組みを理解しておく必要があります。

日本の学校も海外の学校も、基本的には、あるカリキュラム(課程)を1年間で終わらせ(修了)、問題なければ進級する、というプロセスを小学校なら6年間、と決めてくり返すようになっています。

学年が終わる=教えるべきことは教えてできるようになった=修了している(なので3学期だけ修了式)となるので、さらに宿題をさせるのは矛盾する、というわけですね。

年度替わりは先生も替わるという理由もありますが、仕組み上はそうなっているわけです。

だから、宿題がなくても何の問題もないというわけです。

実は制度の違いも宿題がない理由?

この、課程を修了、という概念は、日本だと特に意識することなく暮らしている人がほとんどですが、それは、日本の小中学校では、勉強がまったく出来なくても自動的に進級できるからですね。

実は、日本の小中学校でも制度上、留年(正確には原級留置と言う)は存在するのですが、留年させる方があとあと(クラス運営や授業、行事、進学、保護者のクレーム、子どものメンタルなどで)大変なので、日本の小中学生で留年させることはありません。
どんな生徒でも、なんとかして進級や卒業をさせてしまいます。

また、日本は、上下関係を重視する儒教的精神を重視し、「恥の文化」もありますので、「留年」というのはかなりネガティブなもの、いわば「落第=罰」と捉えられがちです。
(高校で留年し、居づらくて中退する子もいました)

ですが海外では、小中学生でもカリキュラムを修了できなければ留年、逆に進みするのなら飛び級、というように、その子その子の進度に合わせた教育が行われています。

というかむしろ、日本がかなり特殊で、OECDの調査した78カ国中、中学三年生で「同級生=全員同い年」という国は日本だけだったそうです。
(ソースは下記。PISA2018resultより)

ドイツなどは40%以上が飛び級をしていたのに、アイスランドだと40%が留年しているなど、国によって違いはありますが、日本のようにカリキュラムが「建前」じゃなく厳格に運用されているから、というのもあるでしょう。

「留年」と「飛び級」に対しての考え方が、日本と根本的に異なるのです。

日本の学校にはアレがないから、一律の宿題がある!

また、国によっては、留年させないようにフォローする仕組みがあったり、万が一留年しても、補習を行うことで元の学年に戻れる、というセーフティーネットがある所もあり、あくまでも留年は、学びの進度に合わせた「措置」であって「罰」ではないという考えですね

もちろん、留年にならないために、普段の勉強は結構厳しく、特に大学なんかは有名で、入学は日本より比較的簡単ですが、卒業が大変といわれているのも、カリキュラム(課程)にしっかり合格する必要があるからです。
(日本でも理系の大学なら同じといえば同じ)

そういう「課程主義」の文化があるため、海外の学校では、課程を修了した人に宿題を課すことはできない、となるわけです。

逆に言うと、日本ではこの辺が非常にあいまいにされていて、建前上は課程を修了しているけど、実はついていけていない、という子がよくいます。

いわゆる、最近口にすることが許されなくなった「落ちこぼれ」です。

でも本来、学びの進度は人それぞれですから、ついていけない子が出るのが当たり前なのです。なのに日本では、できないのに進級させて「できている」ことにしてしまう。「落ちこぼれ」とも言わない。

別に「落ちこぼれ」という言葉を使えということではなく、落ちこぼれたときのフォロー「体制*」がないので、当たり前の事実にフタをして見ないようにしているのです(*先生の想いはあります)。

そうすると、できない子はできないままで、なのに危機感を持たずにのほほんとしている。「通知表でマルがなかった~」と笑って言うかも知れませんが、海外なら確実に留年でしょう。

そこで「このままではマズい」と思った親御さんが、学習塾なりを頼る必要が出てくるのです。とても自然な行為です。

世界的に珍しい日本の学習塾は、そういった背景から存在しています。

なぜなら、日本には学校の「学びのセーフティーネット」がないから。

だから学校にできることは、「せめてここまではできててほしい」という想いを込めた、一律の「宿題」を出すことになるのです。

日本の生産性が低い元凶は学校にある!?

かたや学びのセーフティーネットがある海外の学校では、課程を修了しているのにさらに宿題を出すなんて、「実は修了させられていない」ということを宣誓しているようなものですから、それはそれで問題となるわけです。

そもそも日本社会では、学校に限らず、「建前」や「見かけ」を揃えがちです(政治家の実績も…!?)。

だから、勤務時間通りに終わらない量の仕事を振りますし、部活指導も時間に見合わない謝礼しか出ず、学校でも、本来「休み」なのに宿題を出すわけです。

かたや、海外の夏休みは塾にも行かないし、勉強もしない、というのは、学校でキッチリ勉強を終わらせているからです。

そこへ行くと日本の学校は、夏休みは「年度(課程)の途中」だし、二学期制なら夏休みと言いつつ「前期の途中」なので、宿題出しても何の問題もない、むしろやらせないと切れちゃう、という不安に駆られて先生は宿題を出す、親も出されることを望むわけです。

厳格な「エンド」がないんですね。

エンドを守らなくてよいので、残業(宿題)するのが当たり前になり、ズルズルダラダラ仕事なり勉強なりをやらなきゃいけなくなるのです。

これをやっている以上、日本の生産性は上がらないのではないのでしょうか??

海外の子は、夏休みに何してる?

それだけ「オンとオフ」をハッキリ分けた海外で生産性が高い理由もわかったところで、それでは、宿題も塾もなかったら、海外の子は夏休みに何をしているのでしょうか?

本当にそんなんで人として大丈夫か?とか笑。

海外では夏休みはバカンスをする人もいますが、なにせ2~3ヶ月休みの国もあります。

さすがに大人もそこまで休めないということもあるので、子どもだけの夏休みの過ごし方というのがあります。

もちろん、ただただ遊んで過ごす子もいるでしょうが、海外では「サマースクール」「サマーキャンプ」というものに参加する子も多いようです。

サマースクールというのは、語学や他の大学の講義を受けられたりするもので、先日、noteでも取り上げたryuchellさんの自殺事件は、息子さんがグアムのサマースクールに参加している真っ最中でした。
サマーキャンプというのは、実際のキャンプもありますが屋外アクティビティなどさまざまな課外活動を行うものもあるそうです。

期間も日帰りから何日もになるものなど幅広くあり、プログラムも多数あるようです。

利用にはお金がかかるものの、海外には教育系NPO団体がいくつかあり、学生が主体のところだとお値打ちに参加できたりするそうで、高校生や大学生と接しながら色々な経験をする事ができるそうです(入試制度上、高校生のこういう活動が大学進学に有利に働くようになっている)。

日本でも、ボーイスカウトのほかに、花まる学習会さんのような塾とか企業がサマースクールを実施していますが、社会の仕組みとして存在しているわけではないので、まだまだ選択肢として一般的ではないかもしれません。

(花まるさんはクオリティが凄すぎる……)

それでもサマースクールでは、学校の勉強で学べない、協調性や自主性、思考力、判断力などを学んでもらうことができる、貴重な経験として、今後も増えていくことが想定されます。

いずれにせよ、それはさながら、日本の学校行事のようです。

これは、海外と日本では、学校で学ぶ内容に違いがあることも大きいでしょう。

サマースクールと学校の課外活動との大きな違い

そもそも、日本の学校と海外の学校で大きく違う所は、海外の学校は「勉強するところ」であるのに対して、日本の学校は「人として成長するところ」と考えているというところでしょう。

だから、海外の人から見ると、子どもたちが協力して給食の配膳をしたり、掃除をするのはとても奇異に写るようです。

サッカーのワールドカップのたびに、日本人が掃除をして帰る姿が話題になりますが、これは、日本の学校が「みんなで掃除する」ことを当たり前だと教えているからですよね。

その結果として国民一人一人の清潔意識が高いので、日本ほど清潔な国はなかなかありませんし、災害時に暴動が起きず、助け合うのも当たり前のことになります。

最近はこういう美点を参考にしたいという国が、あえて日本式の学校教育を取り入れたりもしているようです。

しかしそうではない海外の学校では、掃除は元より、特活も、学校行事も学校ごとに違う「イベント」感の強いものがいくつかあるだけということも。

日本では、こういった学校行事は文科省が指定した教育活動とされているもので、学習指導要領にも以下の5種類があるとされています。

儀式的行事:入学式、卒業式、終業式
文化的行事:文化祭、発表会
健康安全・体育的行事:運動会・体育祭、健康診断
遠足・集団宿泊的行事:遠足、宿泊訓練、修学旅行
勤労生産・奉仕的行事:地域清掃活動、職場体験

日本で「式」は当たり前のことですが、海外では入学式とか「式」そのものをやらないこともあります。日本ではやらなきゃいけないからやっているわけですね。

そのため、日本の学校の先生は、勉強だけじゃなくこういった特別活動・課外活動の指導、人間関係の指導、人によっては部活の指導までやらなければいけないから、働きすぎというわけです。
これは海外の先生と比べても圧倒的に負担が大きいと言われています。

やや脱線しましたが、日本では当たり前のこういった課外活動で得られる経験を、海外ではサマースクールで代替している側面も少なからずあるわけですね。

なのでやみくもに、海外のサマースクールを日本で導入するのがいいというわけでもありませんが、それでも、学校以外の場所で、学校でできない経験をするというのはとてもよいことなので、日本の子どもたちにも、夏休みは勉強だけでなく、何かしらの経験をさせてほしいとは思います。

なにせ、学校の課外授業は、サマースクールのように「選択制」ではなく「強制」ですからね。

学校とは異なる、子どもたちが「学びたい学び」を応援してあげてほしいです。

「夏の宿題」がなくなる日は来るのか?

ここまで、「海外」とひとくくりにしてしまっていますが、実際はそれぞれ事情は違います。

ですが、日本と海外では、学校の仕組みが根本的に違うので、日本では夏休みの宿題が出て、海外では出ない、ということがわかってもらえたと思います。

なにせ、日本の学校はどんな子でも進級させてしまうわけですから、「一人でも勉強に遅れることがないようにしてほしい」という、先生のやさしさで考えているので、一律の夏の宿題がなくなりません。

しかし、本来、学びの進度は子どもによって違います。

だから、最近よく言われるようになった、「学びの最適化」というのが欠かせない。

なのに、個別の進度ではなく、全員が同じ課程を同じタイミングで修了するためのペースとして「ここまでは出来ていてほしい」という宿題を一律に出すわけです。

本来、勉強が出来る子には宿題はいらない。なのに、一律でさせる。
「飛び級」制度もないので、進めさせることもできない。「落第」とも「落ちこぼれ」ともできないので、最低限やってほしいことを宿題に込めるしかない。

その辺、塾だったら出来る子にはハイレベルなテキストをやらせるといったこともできますが、少なくとも公立の学校では中々難しい。

これは、日本の教育が、すべて全体主義に基づいているからです。
いや、教育だけでなく、税制とか働き方、産業構造などもすべてそうなのです。

しかし、今求められているのは、学びの最適化。
それをやりさえすれば、夏の宿題はもちろん、普段の宿題も出さなくてよくなります。仕組みさえ整えれば。

実際になくしている学校もありますからね。

ですが、その仕組みが整っている学校や、学びのセーフティーネットを導入している学校もありますが、まだまだ多数派といえるほどではない。

ですから、今後もところどころで「ウチはないよ」という学校が増えて行くと思いますが、日本の夏の風物詩としての「夏の宿題」は、まだまだなくならないのかな、という気はします。


あとはもう、日本も9月始まりにするとか?

そうすれば宿題はなくなりますからね笑。
建前上課程を修了した子にも「条件付き進級」として、補習を受けさせてもいいですしね。

とはいえ、個人的には9月賛成派ですけど、あっちこっちの顔を立てるアクションしかとれない日本では、それこそ実現できないだろうな~と。

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