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先生を責めてはいけない。苦しんでいるのは学校の先生

"現代の学校では、年齢が同じという理由だけで、同じことを、同じペースで同じようにやらせる、それをいじめと言わずしてなんという"

"教員は忙しすぎる。絶望的に忙しいと報告書に書きました。"

"苦しんでいるのは学校の先生です。
先生を責める以上に、この体制を責めるべきです。
先生方がまともだから先生方が鬱になるんです。"

"だから公立学校の先生の悪口をいうことをしては絶対にいけない。"

考えさせられることがたくさん。心に響き渡りました。そんな時間でした。

つい先日、学校の先生方と自治体の議会関係者とを繋いで、学校現場のことを伝える機会を作りました。そのとき聞いた学校の実情、先生方の苦労には絶句でした。先生方が生徒のためにといろんな工夫をされているものの、様々なルールに縛られてここまで身動きしづらいのかと。インターネットが自由にアクセスできないから、家で仕事して、また、そのファイルを持ち出し、持ち込み、そのためには、これまた手続きがあって、、。そして、これを引き起こしたのは、何でも完璧を求め、リスクを避け、いろんな要求をしてきた私たちによるものなんだろうなとも思いました。

さておき、昨日、体験型学習中心の自由学校(きのくに子どもの村学園の小中・高専)の卒業生、またその保護者から、会場・オンラインからお話される冬の教育講座「私と子どもの村」が子どもが通う学校でありました。なんとオンラインで視聴、とっても嬉しい。

【1月23日(土)南アルプス子どもの村 冬の教育講座が開かれます】 学園の卒業生とその親御さん、学園の映画を撮影しているオオタヴィン監督を招き「わたしと子どもの村」について語っていただきます。 今回の教育講座は学園の保護者向けに開かれま...

Posted by 南アルプス子どもの村小中学校 on Thursday, January 14, 2021

ちょうど2年前、妻が学校の保護者会で卒業生保護者にお話していただく企画を開催し、その内容にとても感動させられてたんですが、やはり生々しい話はイキイキとしてて心に染み入ります。

以下あくまでもメモレベルなので、引用してご利用いただくには不正確になります。ご了承ください。

進学について

会場からの卒業生への質疑で進学の話になりました。そう、保護者としては進学について気になってしまいますよね。
でも、卒業生の話を聞いてわかったのは、
学校は目的じゃない、学校は手段でしかない。さらに、それ以上のことを本人は考えるということ。
進路についてきのくにの子どもは考えている。もしかすると今この瞬間、考えてなくても、本人なりのタイミングで、とてもよく考える。
保護者がどうこういう話じゃないんだなと思いました。

学校を選ぶことよりもその先のことを

中学校卒業後、都立高校を経て、ロンドンオリンピック開会式で踊るなど英国でプロのダンサーとして活躍される卒業生R・Sさんのお話。
会場からの質問に対して、

「学校を選ぶことよりもその先のことを考えたほうがいいよ。」
「高校、どこ行っても同じだと思うよ。」
「それよりもその先何をしたいのか。それが分からなければ、それが見つけられそうなところへ。」
「学校は目的じゃない、手段。
都立の学校に進学しました。ダンスをやっていくことが目的で。」

「都立の学校はどうでしたか?」という質問には、
「ああ、これが日本の社会かと日本の社会の縮図のようなものをみました。友達を下の名前で呼ばないなど。馴れ馴れしい自分には違和感ありました。今も日本の社会が正しいと思っているわけじゃないですけど」と。

他の卒業生も進学について

「そこの高校に行って将来を一緒に考えられるのかな、など考えると、、。それで他の学校ではなく、きのくにに進学。」

入試でわざと白紙で回答をだし、免許を取得できる定時制を選択

また、老舗店の経営者になられている卒業生からは、

「今子どもは子どもの村でお世話になっております。」
「子どもの村に入ったのは小学校5年生のとき。1期生で。
工務店で、噴水付きの池を作らせてもらった。こういう授業の進め方なんだと当時衝撃を受けたのを覚えています。
あと離れを作るというのがありまして、基礎工事から。これ、今とても自信になっています。今でも体に染みついているんです。大工仕事するときに忘れていないんです。

そして中学ができて進学。松戸さんのところで電子工作。経緯を込めて松戸さんと言っています。
その後、車の仕組みを学びたくて高校に。

きのくにで学んでいることと、工業専門学校の学びの違いがあります。
実際に触るのかの違いです。

それで車の免許が必要だと考え、1番早く車の免許を取るには、昼間の学校では不可能なので、定時制に進学を考えました。
結局、触れないと意味がない。さらに定時制だと社会経験も得られる。昼間に働いて購入資金も貯められる。それで定時制に。
定時制は4年もあり、学校に行きにくい子が行く、働きながらでないといけない子が行くなどのイメージが世間からありますが、とにかく最速で免許が欲しかった自分には気にならなかった(笑)
親からは昼間の高校でいいよと言われましたが、自分としては嫌なので、そこの入試は白紙で出しました。
進学後、16歳になったらすぐスクーターの免許とり、自分で分解。
また、18歳になったら車の免許をとって。そして自動車専門短期大学に。それでさらに詳しく勉強し、国家整備士をとりました。

そのままその道の予定だったんですが、家業のほうの父の容態の変化があり家業に。

きのくにで得たのは、いろいろな見方。せんべい焼く機械において役立っています。こういう見方、こういう活用の仕方があると見えるんです。」
「アインシュタインも体験を通しての学びが大切と言っています。」
「小学校途中までは一般の学校だったので、その子のペースで学んでいったらいいよね、ということを子どもを見ながら学ばせてもらっています。」

きのくに卒業後、定時制に進学しました、ということだけではわからない、その人の考えを聞いて、なんていうんでしょう、表面的にしか見れていなかったことに気付かされました。
こういうことを中学生が考えて進路を決めていると思うと、、、あぁ子どもを子どもという枠に閉じ込めてしまっているんだなと思わされました。

以下のようなコメントもありました。もちろん、英国での経験もあってなのでしょうし、誰しも英語が得意になっているわけじゃないのでしょうが。ご自身にとって必要なものは自分で身につけるんだよということだと思います。

堀さんの授業のおかげで、英語には困りませんでした。ニューホライズンのような英語とは違って。
TOEICは970点でした。

卒業生の保護者

子どもの深いところまで見てくれているのはきのくにしかないと思いました。

南アルプス卒業生保護者

高校入試で、不合格になったとき、落ち込んだ?って聞いたら、そうでもないと。そもそも行きたいところでもないから。
そこからこどもはいきたいところを見つけ一生懸命に。

南アルプス卒業生保護者

息子は、大学まで進学できる私立小学校で、優等生でした。でも、それをやっていることで、本人らしさが出せず、家でケンカになっていました。そしてこの学校を見つけて体験入学に。
まったく興味を持っていなかったのですが、体験入学後、子どもはここに転校すると。
「お母さん、この高校は、きのくにみたいなところなんだよ。と息子は私に高校について説明してくれました。本人の成績からしたらその学校を選んでくることにびっくりしたのですが。
大学進学では、何の学問かよくわからない、幅広いことができるところを選んできました。そのときは、
「お母さん、この大学はきのくにをもっとスケール大きくしたようなところなんだよ。」と

体験、実践を通じて学ぶ、ほんものの活動をすることにこだわっている姿が見えてきました。

大正自由教育の流れを汲んでいる学校は、自由で、きのくにの子の進学先には一定人気があるように思います。
ただ、それ以上に、その先を見据えている人が多いようにも思いました。だから、学校という枠で捉えるのは難しいように思います。
あと、自由な高校も経験すると、大学行ったときに、周りの人が大人びてなくてビックリしていることも感じました。自分で考えることを何度もしてきたことと、そうでないことの違いを感じるようです。

大切なやんちゃな経験。怒らなくていい、だれよりもツライのは本人

卒業生からは子どもの村での思い出を話されました。
いろんなやんちゃをしたときのお話。とても楽しそう。
で、誰しも、卒業生同士が言うのは、あんなやんちゃだった彼が、、と。
聞いていると、やんちゃであればあるほど安心できそうな気がしました。

で、問題が起こっても、それを怒ったりすることよりも、そんなとき子どもの複雑な気持ちを一緒に抱きしめて過ごしてくれる大人がそばにいることの有難さ、それを感じました。
聞いていて、映像のように感じました。
とりあえず、状況だけ聞くと、処罰だ、怒らなきゃと思ってしまいますが、まずは理解しようとすること、そして、何よりもつらいのは本人だということ。そういうことを様々なトラブルから学んでいることを感じました。

いじめについて

いじめについて、元教師の方からは、こどもたちの世界があって、なかなかわからないところがある。
そんなお話から、いじめの問題について、卒業生

「一緒に生活しているので、黙っていることはできないし、話さないととなる。隠してられない。」
「同級生というより兄弟、親戚のおじいちゃん、おじさん、家族というイメージ。それを家族会議で話し合っていた感覚。」

些細なことでも、ミーティングで話し合うこと。この文化や関係性が土台にあるんだって感じました。

堀さん

ある自殺に至ったいじめ問題の調査委員をしました。実際先生たちには見えていない世界があります。感度のいいアンテナをはっていても。校長先生が「あんなに朗らかで明るい子が、、」と驚かれます。

「大丈夫か?」って聞いても、中学生くらいなら「大丈夫」って答えます。
でも、子どもの村では、本当のことを話せます。

学校の先生が気が付かない、学校、教育委員会は謝ってもらいたいと報告書に書きました、そしたら、謝りにいってくれました。

教員は忙しすぎる。絶望的に忙しい。

保護者の方が、公立の学校でのお子さんへの対応で傷つかれたお話をされました。
そして、堀さん

教員は忙しすぎる。「絶望的に忙しい」と報告書に書きました。
それを読んで首長は対応されました。それで1学年40人から35人に。そして予算を増やしてくれました。

苦しんでいるのは学校の先生です。
先生を責める以上に、この体制を責めるべき。
先生方がまともだから先生方が鬱になるんです。

現代の学校では、年齢が同じという理由だけで、同じことを、同じペースで同じようにやらせる、それをいじめと言わずしてなんという

私は報告書にこういういことも書きました。
「現代の学校では、年齢が同じという理由だけで、同じことを、同じペースで同じようにやらせる、それをいじめと言わずしてなんという」。
そう報告書に書きました。

公立学校は変わるのか?という質問から堀さん

こうしたほうがいいんじゃないかというのは高まっています。
今まで文科省が細かく決めていました。1年生に教える漢字、80程度。それはリストにあるもので80と決まっている。どの漢字を教えてもいいというわけではない。
「大きな太った犬」、太ったは2年生の漢字なのでその表現は使えない。とっても不自由。

でも今では、教科にまたがる学習やアクティブラーニングというようになりました。

構造改革で、教育改革特例校というのができて、100個ほどプランが申請が出できました。
それで、私どもも、17年前から一週間の授業の半分が体験学習、これをやっている、これは申請しないといけませんか?と文科省に尋ねたら、これまで通りにやってくださいと。ある意味認められたわけです。
また、教科にとらわれないでやっている学校としてカリキュラム学会に呼ばれたお話もしています。

学校の先生はまともだからこそ苦しんで鬱になっていく

堀さん

学校の先生はまともだからこそ、苦しんでウツになっていく

アドバイスを下さいって、で、先生が何を教えるのか自由に決めれるようにしたら、先生は喜びますよ、とアドバイスしたら喜んでくれた。


だから公立学校の先生の悪口をいうことをしては絶対にいけない。公立学校の先生と仲良くすること。

そう、学校の先生が悪いわけじゃない。
文科省が悪い?
そういうわけでもない。
じゃ、政治家が悪い。
そういうわけではないと思います。

私たちが、
こうしなければいけない、ねばならない、というのを理由に、自分の責任を放棄して何かをしてしまうとき、
相手のことを理解せず、対立、分断するとき、怒りで対応してしまうとき、
そんなありとあらゆる瞬間の積み重ねで今の社会の問題を作っているように思いました。

ケース:成績をつけるのが嫌でたまらない。生徒のためになるとは思えない

『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・ローゼンバーグ)に、先生が成績をつけることについての葛藤が紹介されています。

「成績をつけるのが嫌でたまらない。生徒のためになるとは思えないし、かえって生徒の不安を煽るばかりのような気がします。でも、成績をつけなくてはなりません。それがこの地区の方針ですから」という先生の悩みです。

そんなときは、「私が生徒の評価をつけることを選択するのは、・・・・・・を望むから」言い換える。

マーシャル・ローゼンバーグは次のように言い換えることを提案します。「地区の方針なので評価をつけなければならないではなく、「私が生徒の評価をつけることを選択するのは、・・・・・・を望むから」と。

すると、先生はこう答えました
「わたしが生徒の評価をつけることを選択するのは、自分の仕事を失いたくないからです」。そして、先生は急いで付け加えた。
「でも、そういう言い方をしたくありません。自分がしていることに大きな責任を感じてしまいますから」。
マーシャル・ローゼンバーグは言います
「それを感じてほしくて、言い換えてもらったんです」

出典:『NVC 人と人との関係にいのちを吹き込む法』(マーシャル・ローゼンバーグ)

誰かが変えてくれるわけではない。

「~ねばならない」という表現を使うことで、責任を回避していることに気付かされます。

話を戻しまして、こうった学校教育にしていこうという動きはどんどん進んでいます。
改めて思います。誰かがやってくれるのを待ってて変わるものではないんだと。誰かが変えてくれる、政治家の責任や文科省の責任だと、自分を無力にする、人のせいにする、その発想自体に気付くことが必要なんだと。

学校が統合されることで校舎が余る、そこで学校をつくりたいと。もう20くらいお話しもらっています。
2年前の秋から、ある県からは3つ来ている。他にもたくさん。

こういったことがうまくいくためには、私たち失敗できない。日本でははじめてのケースなので失敗しないでくださいねって。

長崎東そのぎでは、3つの学校を統合し廃校が。略 その町長さんの熱心さに負けました。そして、そのとき、(廃校になり、民間に貸与するということで)補助金を返しなさいということがなくなった。かつやまが返さなくていいとなったことで。このように変わっています。

だから、後ろ向きになっていることはない。ちょっとずつ進んでいる。
そのためには、我々ががんばらないとと思う。
この学校がいいと証明するのはみんなだよと子どもたちにいっています。

素晴らしい時間をありがとうございました。

今、きのくに子どもの村学園が舞台のドキュメンタリー映画、上映に向けてのクラウド・ファンディングが行われています。

今朝、21世紀型教育を支える「Authenticな学び」について、Authentic Intellectual Work (AIW)のフレームワークを開発し、AIW Instituteのディレクターを務め、長年アメリカの小中高の現場の教育改善にコンサルタントとして貢献してきた、Bruce King 名誉教授のお話を聞いていたのですが、最初にこんなことを紹介されました。

https://fb.me/e/2olxwshLx

テストで測るようなことを僕らが求めてきた結果、とても申し訳ない事態を引き起こしてるし、学びをつまらないものにさせてしまってるんだなぁと。

昨年、きのくに子どもの村の卒業生と対談がしました。こちら参考までに記載します。
この辺りも感動が多くてもっと紹介したい。

ここで少しだけ紹介しているのでご覧ください。

以上、最後までお読み頂きありがとうございました。
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