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「シン図書館」について

居るのはつらいよ。

今日は私がなぜ所沢で建築家として独立することになったかを書こうと思ったが、思った以上に色々書きたいことがあり、考えがまとまらず、それについて書くことを今回は諦めた。申し訳ない。

シン図書館

代わりに自分が運営する予定の図書館について書きたいと思う。私が設計事務所を構える先は西武池袋線「西所沢」駅から徒歩3分程度に位置する木造二階建ての「吉祥荘」という建物の二階だ。部屋は二部屋借りる予定で、一部屋を設計事務所、もう一部屋を私設図書館にする予定だ。図書館の名前は「シン図書館」だ。

二部屋借りるというと凄そうに聞こえるが、一部屋の広さはそれぞれ四畳半というとても小ぢんまりとした部屋だ。四畳半に作業するデスクや模型を作るスペースを設けてしまうと、もうそれ以上物を置くことが難しい。

私は今「吉祥荘」に引っ越すまでの間、賃貸のワンルームを自宅兼事務所としている。ワンルームの部屋にしては些か量の多い本をどうにかしたいと考えている。実家にも本がある。置く場所が無いので、本棚の隙間があれば無理やり本を差し込んんだり、本の前に本を置いたりして、どこに何の本があるか分からず、とても不便だ。できれば新しく設ける事務所には一列に本を並べたい。

しかし、四畳半の部屋に今持っている本を移動してしまうと、それ以上物を置けなくなってしまう。そういうわけで、部屋は二部屋借りて、一部屋は事務所としての作業スペース、もう一部屋は本を置くスペースにして、そこは打ち合わせスペースにすればいいと考えた。

二部屋とも設計事務所として構え、一部屋は作業スペース、もう一部屋は打ち合わせスペース。別にこれで終わりで何の問題も無い。しかし、それだけだとつまらない。

「所沢で設計事務所を構え、その隣に私設図書館を設ける予定です。図書館は地域の人が集えるコミュニティスペースにしたいと考えています」

自分が「吉祥荘」の二階に設計事務所を設けることを説明するときは、簡単にこんな感じで説明している。この説明に嘘はないが、まるきりその通りというわけでもない。地域の人や、口コミで知った人が飛び込みで図書館に来て貰えたら楽しそうだなと思っているのも本当である。二部屋とも設計事務所として設けるよりも、一部屋を設計事務所、もう一部屋をコミュニティスペースという方が周りの人に面白がって貰えそうと思っているのも本当である。

しかし、他にも思惑がある。その一つに「居るだけでいい」場所を作りたかったからだ。それは誰かのためでもあるが、同時に自分のためでもある。

一年無職だった私

前回の記事HPを作ってみたの中にも少し記載したが、私は前職の長谷川豪さんの設計事務所をやめて、すぐに事務所を構えることはせずに一年ほど休養した。自分的には一年から一年半ぐらいは休んでいいかなと思っていたので、休養のつもりだったが、世間的には「無職」である。

いざ、「無職」になってみると世間(というか主に行政)は冷たかった。自分から事務所を退職したので、私は自己都合退職である。会社を転職したり、辞めた経験のある人は分かると思うが、すぐに失業給付は貰えない。謎の待機期間3ヶ月というものがある。しかも、いざ失業給付を貰えるとなっても、バイトや内職、果ては給料を貰わないボランティアであったとしても職業安定所に報告せねばならない。給料を稼ぎすぎるとその分給付金が減る。

バイトや内職は百歩譲って報告義務があるにしても、ボランティアの報告までしなければならないというのは随分個人の活動に踏み込み過ぎな気がする。更に、私はもともと転職するつもりはなかったので、いずれは自分の事務所を構えようとしていた。しかし、自営を始めたその瞬間に失業給付は打ち切られるという決まりになっている。

自営を始めたその瞬間というといつを思い浮かべるだろうか?「開業届」を出したその瞬間ぐらいであれば文句はないが、よくよく確認すると「よし、自営をしよう」を思ったその瞬間が自営を始めた瞬間に該当するらしく、心のうちで決心をしたその瞬間に失業給付は打ち切られる。

おかしくないだろうか?

更に付け加えると、私のようにもともと休養をするつもりの人も失業給付は貰えない。失業給付はあくまで「働きたくて働きたくて仕方がなくて、求職活動も懸命にしているけど致し方なく就職できていない人」のためのものだ。

という訳なので、私は失業給付期間は一応「働きたくて働きたくて仕方がない」ように心がけた。具体的には求職活動をする必要がある。月に3回、求職相談を職安でしたり、求職セミナーに参加する必要がある。しかし、折しも私が失業給付を貰う時期にコロナとなり、求職活動がままならない状況となったため、行政側も特例措置として、「求職活動はしたかったけど、コロナの危険を感じるため、活動が思うようにできない」という書面を提出すれば、求職活動ができなくても給付を貰えることとなった。

私は致し方なく、求職活動ができなかったため、その書面を給付期間の間提出し、給付を貰うことができた。

無職と言えど、衣食住をそれなりに確保するにはお金がかかる。更にはなかなかの額の住民税や国民年金、健康保険費などを支払う必要がある。あっという間にお金はなくなっていく。更に私は無職の期間に一級建築士の資格学校にも通ったため、こちらもなかなかの額を支払う羽目になる。退職時にボーナスや退職金を貰えなかったので、結局今までの貯金や給付金で細々と食いつなぐこととなる。

私は前職で最後の数年はそこそこの給料を貰っていた(ちなみにそこそこ貰えていたというのは同年代の女性の平均年収よりは貰っていた程度だ。年によっては同年代の男性平均年収程度が貰えた年もあった。大体女性と男性の平均は100万近く開きがある。信じられない)。そのため、貯金も少しはあったし(まあ、少しだが)、給付金の額も同世代の平均ぐらいは貰えていた。実家にも一時的に身を寄せたので、なんとかそんな感じで生きていくことができた。

しかし、身を寄せるような家もなく、給付金の額も少ないとなれば、バイトなどをする必要がある人も出てくるだろう。でも、前述の通りバイトをし過ぎると給付金の額が減らされる。この社会保険制度は本当に失業者を支えるものなのだろうか?

まさに「私はダニエル・ブレイク」状態

こうした行政の歪みを描いた映画がある。ケン・ローチ監督の「私はダニエル・ブレイク」だ。

主人公のダニエル・ブレイクは59歳の大工で心臓病を患い、医者からは仕事を止められている。ダニエルは仕事ができないため、国の援助を受けようとする。しかし、医者に仕事を止められているのに行政の窓口はダニエルを「問題なく働ける人」と判断し、求職活動を報告しないと支援できないと説明する。ダニエルは何度も窓口で「医者に仕事を止められているから、仕事はできない。そのため求職活動をしても、働くことができない」と説明するが、窓口では「求職活動をしろ」としか言われない。

ダニエルは仕方なく、手書きの履歴書を持って直接工場などに出向いて履歴書を渡して求職活動をする。ダニエルは職人としてのキャリアをきちんと築いていたので、町工場を営む若い経営者はダニエルの経歴を見込んで是非採用したいと後日連絡をする。しかし、あくまで形式上の求職活動であったため、ダニエルは「病気で働くことができない」と説明する。雇おうとした若者は冷やかしだったのかとダニエルを罵倒する。

ダニエルは落ち込む。とは言え形式的な求職活動は行えたのでそれを窓口に報告しにいくが、窓口のスタッフは手書きの履歴書だけでは求職活動が証明されない、パソコンで求職活動をしてくれと言い、そのダニエルの求職活動を無効にする。

ダニエルは言われた通りパソコンで求職活動をしようとするが、パソコンの使い方が分からない。親切なスタッフに使い方を教えてもらうが、そのスタッフは上司と思われる男性から注意を受け、結局ダニエル一人でパソコンの入力作業をしようとするが、パソコンを使いこなせず、申請できずに終わる。

その中でダニエルは2人の子供を持つ若いシングルマザーのケイティと出会う。ケイティもダニエルと同じように求職者手当を必要としていた。ダニエルとケイティ、そして2人の子供はお互い支えあいながら交流していくという話しである。

気になった方には是非見て欲しいので敢えて結末までは説明しない。なるべく気分が落ち込んでいない時に見た方がいいかもしれない。見ると心が抉られる。

ダニエルもケイティも懸命に生きようとしているだけなのに、なかなか援助を受けることができない。その原因は複雑で官僚的な福祉制度である。ダニエルは映画の中で「尊厳を失ったら終わりだ」と口にする。思想家の内田樹も福祉制度の重要なポイントは福祉を受けるものの尊厳を維持することと指摘している。

ダニエルもケイティも援助を受ける際に悉く尊厳を蔑ろにされ、自尊心を削られる。私も退職後給付金を受ける際に自尊心を削られた。私の場合、ダニエルほどの理不尽には遭遇しなかったが、制度の内容を調べれば調べるほど、自分が無職のレッテルを貼られ、「働くものは食うべからず」を超え、「働くものは社会に存在するべからず」と言われている気分になった。この映画は私が退職する以前に見ていたため、自分も給付金を受ける際に「あ、私今ダニエル・ブレイクなのでは」を思った。とても人ごととは思えなかった。

ただ世の中に「居る」だけを維持することができない

私の場合はそんなに自尊心を削られる状態であれば、さっさと開業すればよかったのでは?と思われる方も居るかもしれない。確かに思い返せばそんな気もするが、まあ、これも人生経験の一つとして、去年はほぼ無職状態で過ごし、給付期間を過ぎてから開業届を提出した。

去年一年で私は世の中にただ生きる、存在して「居る」だけで過ごすことがいかに難しいかを実感した。私の場合は退職だったが、去年はコロナ渦で住まいを失くした人の報道が多くあった。その報道を見て、私は人ごとのように思えなかった。今も生活保護を受ける際のハードルの一つとなって居る「扶養紹介」が問題となっている。

今私は32歳で、働く上での心身の問題も特にないように思われる。一応、建築設計の技術や資格などを保有している。でも、いざ自分の心身に異常をきたして働けないことになったり、私の持つ技術が必要とされなくなったりしたら、私はこの世の中に存在してはいけないのだろうかとたまに考える。悲観的だろうか。村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる笠原メイはこう言う。

私はまだ一六だし、世の中のことをあまりよくは知らないけれど、でもこれだけは確信をもって断言できるわよ。もし私がペシミスティックだとしたら、ペシミスティックじゃない世の中の大人はみんな馬鹿よ

居るのはつらいよ

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東畑開人の『居るのはつらいよ』を参照したい。東畑開人は京大で「臨床心理学」で学部4年、大学院5年と長い研究生活を過ごした。その末東畑は大学に残らず、現場に行くことを決める。そしてその現場というのが沖縄の精神科クリニックだった。

精神科クリニックで求められる人材とはどういうのをイメージするだろうか。なんとなくカウンセラーなるものをイメージするだろうか。

優しいカウンセラー、が「うんうん」と親切に話を聴いてくれて、心が癒される、というイメージがあるかもしれない。

東畑自身はセラビーの訓練を受けていた。セラピーというのは「心の深いところに、自分ではどうにも制御しにくい何かがある、だからそういう自分の深いところとしっかりと向き合うためにセラピーが行われる」と説明する。しかし、セラピーは心理士の仕事のうちそんなに大部分を占めないらしい。

心理士の仕事の多くはセラピーではなく、ケアだという。

ケア。それは日常とか生活に密着した援助のあり方だ。セラピーが非日常的な空間をしつらえて、心の深層に取り組みものだとするならば、ケアは日常のなかで様々な困りごとに対処していく。深層を掘り下げるというよりは、表層を整えるといってもいいかもしれない。

東畑も元々はセラピーをやりたくて沖縄の精神科クリニックに勤めることになるが、セラピーは「する」という能動的なアクションだ。人間は「いる」ことだけではすぐに辛くなるから、「する」ことに意識を向けてしまう。でも、クリニックでは「する」ことよりも「いる」ことの方が必要だということに東畑は気づく。

ケアは傷つけない。ニーズを満たし、支え、依存を引き受ける。そうすることで、安全を確保し、生存を可能にする。平衡を取り戻し、日常を支える。

セラピーは傷つきに向き合う。ニーズの変更のために、介入し、自立を目指す。すると、人は非日常のなかで葛藤し、成長する。

人間は「いる」ことができないと、「する」こともできない。

中立地帯、安全地帯としての図書館

私が整備する図書館は私が持っている本を閲覧できる空間として提供する予定だが、正直本を読まなくてもなんとなく「いる」ことができる場所にしたいと考えている。もちろん、「やったータダで場所が使えるぜー」みたいな人はお断りしたい。本が読みたくてくる、なんとなく設計事務所が気になるからその下見にくる、同じ吉祥荘内のサタダーブックスに来たついでにくる、なんとなく家にいたくないからくる、学校に行きたくないからくる、そんなふわっとした感じで来てもらって構わないと思っている。

とはいえ、なんとなく建前上の機能があった方がみんな(私も含め)「いる」口実ができていいように思っている。

うまく図書館が機能できるかは分からない。オープンしてから色々運営上、問題が出てくることもあるかもしれない。吉祥荘の2階に「古本屋」「設計室」「図書館」を設けることで、所沢のささやかな文化施設、文化拠点にしたいという思いももちろんある。

でも、そうした大義名分がなくても誰でもが「いる」ことができる場所にしたいと思っている。是非見守ってほしい。

こういう話しで終わるととても私がいい人っぽい感じを押し出していて居心地が悪いので、①ただ「いる」だけが維持できる状態にしたい、②文化拠点にしたいという理由に加えて③図書館に来た人が興味を持って「シン設計室」に仕事を依頼してくれるということももちろん意識しているということも付け加えておく。

この文章を読んで、私のことをとても不活性な人間のように思えて、仕事を依頼することを躊躇される方もいるかもしれない。本質的に不活性な人間であることは否めないかもしれないが、仕事に対しては懸命に提案したいと思うので、何かご相談があれば是非。

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