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職業の道楽化について

私は「働くとは何か」ということをよく考えます。

最近読んだ中で「働くこと」「仕事」について論じている本で、面白いと思った本を紹介します。夏目漱石の「私の個人主義」という書籍に収録されている「道楽と職業」です。

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この本には、夏目漱石が晩年の45歳の時に全国で行ったの講演会の内容が収録されています。

夏目漱石という文豪が「職業」について論じているので、どのような職業観が描かれているのかと思うと、意外にも俗っぽく、現実的な内容でした。

「要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でも全て一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である」
「人のためにというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短に述べれば人の御機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。人にお世辞を使えばといい変えても差し支えないくらいものです」

要するに、人の御機嫌を伺え、まずは他人の求めることをしろという事です。もっと高尚な内容を言われるのかなとも思いましたが、自分も独立して、「お金を稼ぐということ」を実感として持ち始めていたので、その通りだなと感じました。

夏目漱石はこうも釘を刺します。「人のためにするという意味を間違えてはいけませんよ。人を教育するとか導くとか精神的にまた道義的に働きかけてその人のためになるという事だと解釈されるとちょっと困るのです」

でも、同時に「例外がある」と夏目漱石は論じます。それが科学者や哲学者、芸術家です。文学もこれに近いと話しています。これはすぐに人の役に立つというわけではないので、職業の性質を失っており、それはもはや道楽と言って差し支えがないといいます。

彼らのような道楽者は、世の求めに応じて何かをすることはなく、先に彼らが行ったことに対して、世が飛びつくという構図になっていると説明します。確かにマーケティング的な考えも芸術の間では普通となってはきていますが、それでもまずは作品や考えができた上で世間から求められるということになります。そして、彼らにとっては道楽こそが本職なのだといいます。夏目漱石は道楽的職業は一種の変態であると説明しますが、結局最後には道楽と職業が同時に成立することも認めています。道楽的職業は餓死する、禅僧くらいの暮らししかできないかもしれないとはいっていますが、これはこれでいい職業観だなとも思いました。

人の役に立つことは前提としつつ、自分が思うままに活動し、それで暮らしていけるというのが理想ですね。なかなか難しいかもしれませんが。できれば飯を食う仕事が、実際に自分にとって道楽となるというのを目指したいです。

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