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ひとつの出会いが、本を変える瞬間。

「紙の本はずっと残りますよね」
文庫の仕事をしていると、こんな言葉に遭遇することがあります。こうした時の「ずっと」は、だいたいの場合、良い意味で、出版文化と歴史への肯定的なニュアンスが含まれていて、言われた側としても(それが僕の仕事であるかどうかにかかわらず)なんだか嬉しい気持ちになります。

しかし。
この「ずっと」は、なかなかに曲者です。
noteのようなデジタルのテキストと違い、アナログ媒体である紙の本は、ひとたび出版すると、簡単に訂正や変更ができません。
だから、僕らは本が校了するまでの時間で、誤植が生じないよう、もし何かあれば著者にきちんと疑問を出せるよう、最大限の努力をします。
(「僕ら」と書きましたが、その多くを拾ってくれるのは、校閲者です。毎回、毎作、感謝しかありません。)

こうした「ずっと」問題(?)は、本の中身(本文)だけの話ではなく、カバーなどにも関わってきます。ひとたび出版する以上は「ずっと」手に取ってもらえるカバーを、との気持ちで考え、悩み、相談し、装幀を決めていくわけですが、年月が経ち、環境が変わっていく中で「カバーをリニューアルしよう」と決断するときも、あります。

たとえば、僕がカバー替えを担当した作品、宮部みゆきさんの小説『魔術はささやく』も、その一つです。

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文庫旧版が左、2015年7月からの新版が右です。

ある時期からの新潮文庫の宮部さん作品は、イラストレーターの藤田新策さんに装画をお願いする形となり、新作はもちろん、旧版も順次、藤田さんのイラストへと変更していきました。この『魔術はささやく』も、そうした流れの一環で、物語を知る方には、カバーで描かれている右上の車も、左の影も、「あっ」と声が出そうになるイラストかと思います。(そうやって作品をくみ取ってくださる藤田さん、ほんとに素晴らしい方です。)

さて、こうした流れの中での変更よりも、さらに積極的にカバーデザインを変えるケースもあります。
知念実希人さんの「天久鷹央」シリーズです。

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天才女医・天久鷹央が数々の難事件を解決する本シリーズは、現役の内科医でもある知念さんの知識や経験が生かされた「医療版シャーロック・ホームズ」というべきミステリー作品で、累計120万部を突破する人気作です。

しかし、5年前、2014年10月にシリーズ第1作『天久鷹央の推理カルテ』が刊行されたとき、本作は知念さんにとって初めての文庫作品でした。
文庫読者に最初に届ける作品、ということもあり、装画者を誰にするかは、とても悩みました。あの人はどうだろう、こんな人が合うのではないか、との検討の上に「この方ならば」とたどり着いたのが、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『灼眼のシャナ』のイラストで知られる、いとうのいぢさんです。

のいぢさんの素晴らしさは、挙げればきりがないのですが汗、あえて2点を書くと、主人公・鷹央の描き方と、色使いの巧みさ、になります。
1巻目の装画は、まさにその「のいぢさんの魅力」が凝縮されていて、鷹央の表情、ポーズ、座っているキューブの色使い、などなど、キャラクターも背景も、文庫カバーとして「完璧」なイラストです。
(ぜひ、隅々まで見ていただきたいです。)

こうしてスタートした天久鷹央シリーズは、大変ありがたいことに、たくさんの読者に手に取ってもらえる作品となりました。
「天久鷹央」のヒット要因は、上記の装画の力に加えて、なにより知念さんの執筆ペースにあったと思います。最初の1年で4作を執筆し、読者の「続きを読みたい」気持ちに答えたのが、いちばん大きいです。(この間、他の作品も並行して執筆されていた知念さんの創造力は、途方もないものです。)

そして、読者が広がり、シリーズが大きくなっていく中で、カバーデザインにも、転換点が訪れます。

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2つの書影があります。
左が2015年3月に発売されたシリーズ第2作『天久鷹央の推理カルテⅡ ファントムの病棟』、右が2019年9月刊の最新刊『魔弾の射手 天久鷹央の事件カルテ』です。

この二作、カバーデザインに大きな違いがあります。
具体的に書けば、3つの違いです。
みなさん、いかがでしょうか。


答えは、、、、

①著者名の大きさ
②タイトルの大きさ
③鷹央の大きさ

という3点です。

さて、当然の疑問として「どうして?」があると思います。
4年の間に何が起こったのか。
「成功した本」のはずなのに、なぜカバーデザインを変えたのか。

それは、知念さんがより多くの読者と「出会った」からです。

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天久鷹央シリーズがヒット作になっていく過程で、知念さんは同作以外の話題作を次々と発表されました。
啓文堂文庫大賞を受賞し、後に映画化も決まった『仮面病棟』。
広島本大賞、沖縄書店大賞を受賞した『崩れる脳を抱きしめて』。
2度目の本屋大賞ノミネート作となった『ひとつむぎの手』。
作家としての人気が、ぐんぐんあがっていったのです。

そうなると、何が起こるのか。

「天久鷹央の続きを読みたい」読者がいる一方で、「知念さんの最新作を読みたい」という読者が増えてきました。この2つは、イコールの部分がありつつも、まったく同じというわけではありません。
知念さんが執筆し、のいぢさんがカバーを描き、天久鷹央という作品と読者が出会った。
そして、知念さんが階段を登る中で、「作家」が「読者」と出会った。
この瞬間に、本もまた、変わることになりました。

カバーデザインの変更は、シリーズファンが「鷹央の魅力」を感じ続けるイラストの力を維持しつつ、「知念さんの新作」を求める読者にとって見つやすい形を追求する、いわばハイブリッドな造本を目指した結果です。
ちなみに、連作短編のナンバリング「推理カルテ」が第1作からのデザインを踏襲しているのに対し、長編「事件カルテ」を上記のデザイン意図に変更しているのも、前者がよりシリーズ読者を意識し、後者が「ここから読める」形で知念さんファンに裾野を広げたい、との考えからでした。

編集者が「ずっと」を考えて作ったカバーを、作家と読者の出会いが更新し、進化させる。
そんな体験は、たくさんの読者に作品が届いたからこそ起きることで、だから、とても嬉しく、ほんとに幸せな出来事です。

2つのデザインを、ほくほくした気分で眺めています。

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