廃墟好きとマチ歩きに共通する心理 僕らは生きてる廃墟に暮らしてる

また来る時には失われてる可能性のある空間は「生きてる廃墟」なのかもしれない。


このように思ったきっかけは、アルバイト探しだった。


無職になったことで夜の仕事から解放され穏やかな生活を送っていたりもするが、お金のこと等等を考えるとラブホテルとかどうなんだろう。そう思って2号線でよく目にしてたお店を調べると…

閉店していた。

廃墟のサイトに建物の歴史とともに紹介されていた。ラブホテルなんて入る当てがないし1人で覗く勇気もないけど、なぜか寂しい気持ちになったりもする。ああーあそこのお店は潰れてしまったのか、と。

引っ越してから行こうと思っていたら無くなってしまったお店が去年だけでも既に5件あって悔しい想いをしている、この気持ちはnoteを始めるにあたって地域情報を選んだきっかけにもなっていたりもする。


話を廃墟に戻そう。

大学生の頃から心惹かれるようになった、といっても実際に侵入した経験はあんましなくて写真を見て行ってみたいなあワクワクするなあと思うのが大半なんだけど。

しかしこちらに引っ越してからは廃墟熱も冷めてしまい、まだ行ったことのないお店を開拓する楽しみに変わっていた。第一、廃墟が好きって陰気なんだよなあ…

(…心惹かれるのは確かだけど不法侵入だし、注目を集めれば近隣の人が不安に思うかも知らないし、その結果解体されたりしたら何も知らずにその場所を訪れた人が得る代えがたい感動!そう見てはいけないものや存在しないものを目にしてしまったような興奮は退屈な人生を一瞬だけ色付かせてくれる神様からの贈り物のようだ。むしろ廃墟の価値は歴史的文化的なことよりも退屈な人生与えてくれる刺激にあるのではないか…など)

と思いながら、懐かしい気持ちで写真を眺めていたが、やはりどうも自分の中で心惹かれることに変わりはないらしい。時間を忘れて見入ってしまった、もしかするとこれは深層にある動機が同じなのかもしれない。


廃墟好きとマチ歩きに共通する深層心理。かつてここにあったもの/今ここにあって無くなってしまうかもしれないものを愛おしみたいという欲求!

建物に限らず、道も草花も風や日光のあたり具合を含めた雰囲気まで含めた空間全て。次に来た時には失われてる可能性のあるものは廃墟の体現している儚さと過去にもっていた栄華の記憶を共有しているんだ!


廃墟の写真を見ていると、中には、外観が古いだけで今もやってるお店も畳んでしまえばサイトに載ってるただの「廃墟」になってしまうのかなと悲しい想像を膨らませてしまうこともあった。逆に今も営業してるってことが何よりも尊く、全力で応援したい気持ちになる。

でも別にこれは田舎の鄙びた店に限ったことじゃない。僕らは毎日「生きてる廃墟」の中で暮らしてるんだ!

いつ何時変わってしまうか分からない世の中で、自分自身の身さえいつまでも同じとは限らないのだから。だからこそ一期一会の出会いを大切に色んなことに気付きながら町の中を歩きたい、そう「生きてる廃墟」だと思って愛おしみながら刺激を受けながら。

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