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人間に向いてない
※数年前の下書きに眠っていた思い
小学生の頃、お前は(地元イチの国立大)某大に行くんだよと母親に言われていた。小学生には早くない?と子供ながらに思った記憶がある。
某事件に感化されて昔のことを思い出していたが、(自称)進学校の空気というものは独特なものだったなぁと思う。生徒も教師もノイローゼ気味で、ピリピリしていて、純粋にとても嫌だった。得意不得意関係なく、成績が低ければ努力不足という烙印を押され、教師の態度は露骨に冷たくなる。それが顕著な教師の事を私はとても嫌いだったが、彼女は数々の生徒を有名校に送り出しており、実力は確かなので、ほとんどの生徒は彼女を憧れの眼差しで見ていた。その風潮も嫌いだった。勉強が全て、成績が全て。友人関係も恋愛も部活動も受験の前のお遊びに過ぎない。部活の友達とカラオケに行って甘いものを食べて、勉強の事なんか気にせず、好きなだけテレビも漫画も見て好きな時間に寝たかった。それでも、他の子と比べれば好きにしていた方ではあったが。
私は結局親に言われた大学に進学できたし、行きたかった学部にも行けた。でも、全く向いてはいなかった。頭も足りていなかった。大学では友達も出来ず、サークルでも仲良くなりたい一心で積極的に話しかけては、1歩引かれてちぐはぐなコミュニケーションしかとれなかった。元々話すのが苦手で、避けてきたせいだろう。昔から人と話したくないなと思っていたが、それには理由がある。
人と話していると、私って変なのかなと思う瞬間がある。自分の言うことに相手がキョトンとしているのを見ると、またやってしまった〜!!!死にます😇という一心で「ア,スイマセン……」と返してしまう。それがあまりにも嫌すぎた。私にとって会話とは、相手の望む答えを探し出す時間にすぎないのだ。それはあまりにも辛く、苦痛な時間だ。「気を使う」という相手を思う行為ではなく、「傷付きたくない」という自分本位な考えでは、元々出来ないものが更に出来なくなってしまう。
最近思ったこと
最初の小見出しにもあったように、以上は下書きに眠っていた数年前の私の思いだ。今になって見ると、よく分かったような気になってるだけでこいつ全然分かってねぇな〜と思ったので、今の思いを書いてみる。最近自分がポンコツだと思うことが増えた。
これは先週の話。お風呂の電球が切れたので、型番の部分を写真に撮って買い物に出かけた。それっぽいもの(ワット数が一緒だった)を2つ見つけて、それぞれ手に取ってみる。小さい方(こちらが正解)と、大きいもの。小さい方が値段も安く、2つセットになっている。ケチな私はいつもならこちらを選んでいるのだが、今回はいやいや違うぞと。いつもケチって失敗しているから大きい方を選ぼう!と、よせばいいのにあえてハズレの方を選んでいる。こういうシンプルに2分の1で当たりを引くような場面で、余計なことを考えて失敗しまくっている。自分を信じていないから、ファーストインプレッションと逆の方を選んでしまう。我ながら救いようのないアホである。他にも、
何も無いところで躓く
2日に1度くらい、思い切り体のどこかをぶつけてアザができている
材料の分量を間違えて度々メシマズになっている
ガス代を払い忘れてガスを止められる
などなど、枚挙にいとまがない。数年前より酷くなっているのか、それとも(自分が思っているよりも)ポンコツだと思えるようになったのか、それは分からない。こんなに酷いのに、よくもまぁ普通の人を気取っていたものだ。
結局何年経っても、私は人間に向いていないと心底思うのだった。
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