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【雑記】唐津旅行(4)


城に入って、唐津城の歴史について学ぶ。

ふむふむ、築城したのは寺沢広高と。ん? 寺沢?
ああ、やっぱり寺沢堅高の父親か。
「ほら、島原の乱で下手売って、自殺した寺沢堅高の父親だって」
よくよく読んでみると、島原の乱は1637年。自殺したのは1647年。この人、10年近く生きているのか。すぐ自殺したのかと勝手に思い込んでいた。
しかしこのあいだ天草に行って、天草四郎ミュージアムでいろいろ見ただけに、今度は逆の立場からとは、なんとも感慨深いものがある。

その後、土井氏、水野氏と城主が変わっていったらしい。
「水野って、水野忠邦の水野?」
「たぶん」
説明を読んでいくと、水野忠任は水野忠邦の曽祖父に当たるようだ。
忠任は新領地唐津での増税政策を行ったが、虹の松原一揆を引き起こしている。
息子が呟く。
「天保の改革と言い、なんか水野一族はイマイチだね」
そもそも増税とか緊縮財政で成功した事例は、あまり聞かないしね。
「やっぱり、水野は叩くに(忠邦)、だね」
ひとしきりの水野ディスりのあと
「そのあとは小笠原氏だって。たしか小倉藩も小笠原氏だよね。関係あるの?」
「いやあ、ないと思うけど……」
こういうときに教養がないと、非常に困ると痛感した。
後で調べると、小倉の小笠原忠真は信濃国松本藩の元藩主。
唐津の小笠原長昌は、陸奥国棚倉藩3代藩主なので、無関係ではないだろうかと思う。
いろいろ紛らわしいので同じ名字はやめて欲しい。「松平」って姓もね。

ちなみに唐津藩は、明治になってから、アメリカ帰りの当時17歳の東太郎(高橋是清)を英語教師として高額の給料で招いたそう。
「なんで名前が東太郎なの?」
「さあ、アメリカで奴隷になってたんで、やけくそになって名前もテキトーにつけたのかね」
と自分のほうこそテキトーな返事をする。
こういうときに教養がないと(以下同文)。
あとで調べると、高橋是清さん、東家という芸者屋に抱え妓がいたらしい。それで東太郎ね。是清さん、あなたも相当テキトーですね。
しかも17歳。結構DQNな香りがしますけど。
近代日本を代表する財政家で、お札までになった高橋是清と、財政政策が厳しすぎて民衆に嫌われた水野忠邦の水野家が同じ唐津だとは、なんとも皮肉なものだと思った。

2階をじっくり見ると、次は3階に。
唐津藩の歴史については粘着的までに資料を読みまくる我々親子だったが、3階の唐津焼などの文化になると、あっさり通り過ぎて妻を怒らせていた。
「もっとゆっくり見てよ」
と苦情を言われた。

最上階の展望室は気持ちがよかった。
あたり一面を見渡すことができ、虹の松原も遠くに見えた。
まさに絶景。ここに住みたい気分。
ここに住んで、景色を眺めながら仕事をする妄想に浸る。

ちょっと気になったのが、マスコットキャラの「唐ワンくん」。
これだいぶ「ひこにゃん」と似ているような気がするのですが、私の気のせいでしょうか?

唐ワンくん

ところが着ぐるみになると全然違う。

ひこにゃんと唐ワンくん

もう別物。
でも可愛さが全然違う。パ○リではないと思うけど、クオリティが……。
(それ以上は、自主規制)

帰りにお土産屋で松露饅頭を買う。小城羊羹も買おうとしたが、妻に制止された。
息子は記念メダルを作って、ご満悦。
ところが家に帰り着いて、「メダルがない」と大騒ぎ。
一時間探しても見つからず、妻に「もう二度と買ってやらないからね」と叱られ、しょんぼりしていたが、自分の脱ぎ捨てた服の下にあることがわかり、ほっとしていた。

君は服を脱ぎ捨てる癖をやめなさい。


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