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「あなたはいま幸せですか?」
 ここは大学構内、教養学部の近く。遅刻しそうになったので、急いで歩いていたら、突然同じ大学生とおぼしき女性に話しかけられた。
 見ると「便利教」の勧誘らしい。この便利教は、大学内でよく宗教活動をやっているのを見かける。
 ぶしつけに話しかけてきた彼女の顔を、おれはつくづくと眺めた。目は大きめ、鼻筋が通っていて、いわゆる美人だ。しかも聡明そうだ。だが、少しプライドが高く冷たそうな感じがした。相手が質問に答えて当然とでも言いたげな顔をして、おれをまっすぐに見つめている。
 幸せと答えても、不幸せと答えても、それはどうしてですか、とすかさず訊ね、最終的には、あなたのために一分間だけお祈りさせて下さい、とお願いしてくるに違いない。がつんと断れない輩が多いので、この女性のように尊大な態度を取れるのであろう。
 昔なら、名乗らずにこのような失礼な質問をすれば、「無礼者」とばかりに斬りつけられても、斬り捨て御免で終わっていたところだ。まったく失礼な奴だ。おれは少々へそを曲げた。
「うーん……」
 おれは首をかしげて、深刻に考え込むようなふりをした。
「それは、極めて、難しい、問題ですな……」
 彼女は少し眉をひそめた。おれがのんびりした調子で答えるのが気に入らないのだ。おれは彼女を無視して続けた。
「それは、まあ、じっくり、検討しなければ、答えは、出てこないでしょうね……」
 さらに一言一句噛み締めるように答えてから、彼女の顔をちらりと見た。
 明らかにおれの言い方が気に障ったようだ。不愉快な気持ちを隠そうともせずに冷たい声で言った。
「そうですか。では」
 彼女はおれの傍らをすり抜け、別の通行人に話しかけようとした。
「待ちなさい」
 おれは彼女の肩をぐっと掴んだ。
「な、なんですか?」
 彼女は一瞬ぎくりとしたようで、顔をしかめた。
「君はおれに質問したんだろう。おれが一所懸命考えている最中に、どこに行くというのかね?」
「だってじっくり検討しなければ答えられないんでしょ?」
 彼女の興味は他の大学生に移ったようだ。通りすがる大学生をちらちらと見ながら物色している。そんなことさせてたまるか。おれは絡みつくような口調で言った。
「だから、いまそれをじっくり検討してから答える、と言ってるんだがね」
「もう結構です。それでは」
 彼女は肩の手を振り払うと、おれに背を向けようとした。おれは彼女の肩をさらにぐいっと強く掴んだ。
「なにをするんですか。放してください」
「駄目だ。放さない」
「人を呼びますよ」
 彼女は痴漢にでも遭ったかのように露骨に嫌な顔をして、声を上げた。
「失礼なのは君のほうだろう。重大かつ難解な問題をぶしつけに質問しておいて、相手が熟考すると、もう結構ですという。これを失礼じゃなくて、なんと言うのだ。君にはおれの話を聞く義務があるはずだぞ」
 彼女はやれやれと言わんばかりに、吐息をつき、諦めておれの方に向き直った。だがせわしなくあたりをきょろきょろと見回し続けた。
「なぜ周りを見るのかね。いま君はおれと話しているのだろう」
 彼女は大きく溜息をついて、やたらと大きな声で、なおかつ投げやりな調子で訊ねた。
「わかりました。もう一度言います。あなたはいま幸せですか?」
 そう言うと、ぷいっと顔をそむけた。
「だからいま、それを考えているところじゃないか」
「どうしてそんなに長くかかるのよ」
 彼女は強くかぶりを振った。早くこの場を去りたいと思っているのは一目瞭然だった。
 おれは一呼吸おいてから、教師が生徒に質問するかのように訊ねた。
「じゃあ君に聞くが、いま自分が幸せかどうかを簡単に答えられる人間が、この日本中に何人いると思うのかね?」
「えっ?」
「自分がいま幸せかどうかなんて、いままでの人生をじっくり考えてみなきゃ、答えられない問題じゃないのかね?」
「いったい、あなたはなにを言ってるの?」
 徐々に彼女の顔がこわばってきたが、おれは構わずに続けた。
「君の質問はおれの人生を左右する非常に難解な問題なんだぞ」
「じゃあ、いつになったら答えが出るんです?」
 おれはじらすように意地悪そうな眼をして、腕を組んだ。
「うーん、そうだな……」
 おれがしばらくの間沈黙していると、彼女は開き直ったように大きく息を吸い込んだ。それから嫌がらせをするように、嘲笑を浮かべながら再度おれに訊ねた。
「あ、な、た、は、い、ま、幸、せ、で、す、かぁ?」
「多分、不幸せだろうね」
 彼女はぱっと顔を輝かせ、待ってましたとばかり、おれに訊ねた。
「それはどうしてですか?」
「君みたいな馬鹿な女が、大学内を馬鹿面下げてうろついて、大学生に馬鹿な質問をし続け、そんな馬鹿な質問をされたおれは不幸せに決まっている。うん。間違いない。馬鹿な君に関わったせいで、たったいまおれは不幸になった」
「頭おかしいんじゃないの!」
 彼女はきっとなって叫んだ。次第におれたちの周りに人だかりができていく。
「さんざんもったいつけて嫌味を言うなんて、あなたは最低の人間ね」
「おや? 最低の人間は、君のほうじゃないのかね?」
「私は訊ねただけでしょ。それのなにが最低なのよ?」
「以前、君たちの仲間に同じ質問をされたことがある。不幸せだと答えたら、じゃあ、あなたのために一分間お祈りさせてくださいと言われた。それで、一分間祈ってもらったんだ」
「それがどうしたのよ?」
「翌日、おれの可愛がっていたミドリガメのヘナ吉が死んでしまった」
「そ、それはたまたまでしょ」
「いや、たまたまじゃないね。前日までヘナ吉はピンピンしてたんだ。それが、君たちに祈ってもらったら、翌日には死んでた」
「だからあ、そんなの偶然に決まってるでしょ」
「偶然じゃないね。どう考えても、君らの祈りとヘナ吉の死との間には明らかに相関関係がある」
 それからおれは、彼女の顔を見つめて語気を強めた。
「おい、どうしてくれるんだ。この野郎!」
 おれの剣幕に気おされて、彼女はたじたじとなった。
「いいか、よく聞きたまえ……」
 おれはさも迷惑そうにしかめっ面をした。
「おれは君たちのせいで、大切なミドリガメの友人を失ったんだぞ。このおれの精神的苦痛を、君たちはどう考えているんだ?」
「そ、それは私のせいじゃないわ」
「君のせいじゃないというなら、誰のせいなのかね?」
「だから……」
「それは、君らの仲間が、変な祈りをしたからだ」
 決めつけるようにそう言うと、彼女を睨みつけた。
「すべて君らの集団のせい。ひいては君のせいにもなるんだぞ!」
 彼女は泣きそうな表情をした。
「そんな、ひどい……」
 おれは眉間に皺を寄せて小難しい顔をした。
「見ず知らずの君にいきなり質問されて、一所懸命考えて答えたら、最低人間呼ばわりをする。これはひどくないのかね?」
 さらにおれはたたみかけるように言った。
「ミドリガメを殺した君たちは最低じゃないのかね? そもそもおれに対する無礼な発言について、君はどう謝罪するつもりなんだね?」
「ですから私たちの祈りとカメの死には関係なんてないんです。そんな力があるのなら、私が使いたいくらいだわ」
 おれはぱっと身を引いて、意外そうな表情をした。
「だったら聞くが、なんで君たちはお祈りをしてるんだ?」
「ですから、皆様の幸せのために……」
「たったいま君は、そんな力なんてないって言っただろ。なんの力もないんだったら、祈る必要なんてないだろ」
 彼女は痛いところを衝かれたような表情をした。
「もう一度聞こう。君たちはなぜ、なんの意味もないお祈りをしたがるんだね?」
 彼女はすべてを観念したようにうなだれた。やがて彼女の眼からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
「わ、私だって……本当はこんなことやりたくなかったんです……便利教になんか、入信したくなかったんです……」
 そう呟くと、彼女は人目を憚らずに、おいおい泣き出してしまった。
 おれは内心でほくそえんだ。
 これが、勧誘のこつだ。まず始めに相手を怒らせる。そうすると、いまのように本音が出る。そのあとに、おれの信仰している「しあわせ教」に勧誘すればいい。
 おれは彼女に優しく微笑んだ。
「あなたはいま幸せですか?」

(了)


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