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【雑記】35年ぶりの母校

先日は久しぶりに母校を散歩した。

新しくなっている建物もあったが、構内はそんなに変わっていなかった。ただ、周りの街並みが驚くほど変わっていて、昔住んでいたところに辿り着くのにも一苦労だった。

そのときに「紫熊祭」という看板を見かけた。
11月3日~5日のあいだに開催するらしい。
「しゆうさい?」ってなんなんだろうと思ったところ、「熊粋祭」から名前が変わったとのこと。これは「ゆうすいさい」と読むのだろうけど、どちらも聞き覚えのない名前。
雰囲気から学園祭ではないかと思うのだが、我々の時代には学園祭の名前は「黒髪祭」だったはず。

家に帰って調べたらわかった。
やはり「紫熊祭」とは学園祭の名前だったらしい。
「黒髪祭」から「熊粋祭」と名前を変え、去年から「紫熊祭」と名前を変えたそう。しかも呼び名は「しぐまさい」とのこと。
なんとも不細工な読み方をさせるものだと思ったら、意味があるらしい。

「紫熊祭」というネーミングはギリシア文字の「Σ(シグマ)」に由来しており、「Σ」の「総和」という意味から、「学内の総和。ひいては地域全体の総和を創造しよう」というコンセプトがあったらしい。
なるほど、だから「しぐま」だったわけか。

我々の時代は「黒髪祭」だったわけだが、これは大学周辺の地名が「黒髪(くろかみ)」だったからだ。
読み方は「くろかみさい」ではなく「こくはつさい」。
これには「告発」という意味も込められていて、これは社会に対する反発の意味もあったらしい。

このあたりの地名の「黒髪(くろかみ)」。
なんともおどろおどろしいような地名がついてある。
しかも大学近くには「子飼商店街」という商店街があり「子飼(こかい)」などというこれまた不気味なネーミングの地名が存在する。

オカルト好きな私だから、どうしても禍々しいイメージを持ってしまうのだろうけど、この「黒髪」という地名の由来はきっと「美しい髪の女性が多かった」とか「髪結床があった」とかの理由だろうと、学生時代にはぼんやりと思っていた。

せっかくの機会なのでついでに調べたところ、想像以上に不気味な由来だった。
大学裏手にある立田山という山。以前は「黒髪山」と呼ばれていたそう。なぜ「黒髪山」と呼ばれていたのかというと、合戦で討ち死にした死体がこの地域に流れ着きやすかったそうで、川が黒く見えるほど死体が多かったからだとか。
その他には、黒髪近くに処刑場があり、その首がこの地域で腐って髪だけ残っていたからという説もあるらしい。
立田山と名称変更されたのは、平安時代だと言われているので、「黒髪」という名前はかなり古くから使われていたそうだ。

それならば「子飼」の地名も恐ろしいものでは、と思って調べてみた。
「子飼」という地名の由来は、奈良・平安時代に遡り、この地域には蚕を養う長者が多く住んでいた。そこから「蚕養」という地名が生まれ、そして「子養」と変化し、現在の「子飼」という名前になったそう。
なんとなく期待外れ感があって、若干残念な気持ちになってしまった。

さて、大学周辺だが、懐かしい店もすべてなくなっていて、昔住んでいた名残を残すのは大学のみとなった。考えてみれば、35年も経っているわけで、当然と言えば当然だろう。
活気にあふれたあの懐かしい街並みも、自分の頭の中にしかないのかと思うと、寂しいものがある。

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