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虫とり(1)

 私の小学校の同級に柿平源治(かきたいらげんじ)という子がいた。
 「源治」という古臭い名前のせいか、みんなに「源さん」とか「源じい」と呼ばれていた。私もからかい半分で「源さん」と呼んでいたが、源さんは別に怒るでもなく「うるせーよ」とお決まりのツッコミをするだけだった。
 5年生の時に、源さんと同級生になったので、私はそこそこ親しくしていて、よく山に遊びに行った記憶がある。まだ昭和後期であり、今ほど管理は厳しくなかったので、夏などは学校が終わると、源さんの家が山の入り口に近くにあったこともあり、源さんの家に集まってから、クワガタムシを捕まえに裏の山まで登って行ったものだ。
 源さんはあまり勉強はできる方ではなく、クラスではビリから数えたほうが早いくらいだったと思う。運動神経も勉強よりすこしましなくらいで、ドッジボールをするとすぐにボールを当てられていた。
 源さんの家は裕福だったのか、当時流行ったおもちゃなどはクラスで一番に持ってきていた。たとえば仮面ライダースナックが流行ると、スナックを数十袋も買って、みんなが欲しいカードを持ってきて自慢していた。余ったカードは気前よくくれたので、源さんはクラスの中では意外に人気があった。
 身長は低くて痩せぎすの体型で、野球やドッジボールに代表されるボールを使うスポーツは不器用なのか、てんで駄目だったが、足は速くすばしっこかったので、鬼ごっこなどは捕まえるのに苦労した。
 源さんはことあるごとに「俺のお父さんは会社の社長をしてる」と言って自慢をした。たしかに源さんの家は新興住宅地群にあり、白を配色とした綺麗な家で、まだ新しくて広かった。私の家のほうが広かったが、なにせ私の家は広いだけが取り柄の木造住宅だった。それに比べて源さんの家はまだ建ったばかりだったので、社長邸と言われてもあながち嘘ではないような気がしたので、なんとなくは信じていた。ただ、ことあるごとに源さんが、「僕のお父さんは社長」と言って自慢するのには少し閉口した。
 新しいおもちゃが流行ったときや、夏になると、勉強のできない源さんはクラスの中心人物になった。特に夏が近づくと、源さんは「俺の季節だ」と言うようになった。なぜなら源さんの家はクワガタムシがたくさん捕れる裏山の麓にあって、源さんの家を拠点にしてクワガタムシを捕まえに行くからだ。さらに源さんはクワガタムシを捕まえるのが名人級に上手だった。
 だれも注目しないような木のうろなどを漁っては、大きなヒラタクワガタを見つけられ、私もずいぶんと悔しい思いをしたものだ。
 仮面ライダーカードなどは気前よくみんなに配る源さんだったが、捕まえたクワガタムシは決して人にはあげなかった。そのため夏場になると、源さんの家にはクワガタムシを飼う水槽がいくつもあって、昆虫ショップのように、ミヤマクワガタやらノコギリクワガタやらヒラタクワガタでにぎわっていた。
 源さんのお母さんはすらりと身長の高い上品そうな人で、我々が行くと、必ずジュースを持ってきてくれた。さすが社長の家ともなると、水ではなく、麦茶ではなく、ジュースなのかと思ったものだった。

(続く)

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