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【雑記】文京シビックセンター

この写真、自分が撮影した写真なのだが、どこで撮影したのか、忘れてしまった。

しばらく写真を見ていて、やっと文京シビックセンターの25階の展望ラウンジから撮影したものだと思い出した。
すると、左下は小石川後楽園。その左に見えるのは丸の内線の線路。
奥には、よく行っていたブックファーストのビルも小さく見える。
その左には富士山もある。天気の良い日には富士山も見えていたことを思い出した。
NTTに勤めていた妻が、イマイチのデザインと言っていたNTTドコモ代々木ビルも見える。

この展望ラウンジ、私の大好きな場所で、しょっちゅう25階に行って、窓の外の景色を見て癒されていた。
休日は人が多いが、平日は人がおらず、静謐な空間だった。
飲み物の自動販売機は置いてあるので、飲むことはできるが食べることはできない。もちろん酒も厳禁だった。

立ちテーブルはあったので、夕方あたりにノンアルコールビールを持っていって、景色を見ながら、同僚とよくくつろいでいた。

この写真はラウンジから西側を撮影したものだが、私は北側や東側を見るのも好きだった。
北側(北西)を見ると、小石川植物園があって、その一角だけ、緑に覆われていた。小石川植物園は家の裏にあって、あたかも庭のように、よく行っていた。
東側を見ると東京スカイツリーが目立って見えた。

このシビックセンター、5階には「ぴよぴよひろば」という施設があって、妻が息子をよく連れて行っていた。
施設の中の人はとても優しかったそうだが、常連のママの中にはヤバそうなのもたくさんいたとのこと。
五、六人で一人のママを詰ったり、マウンティング合戦をしたりと、あまりお近づきになりたくないママもたくさんいたらしい。
このころから息子の偏食はひどかったので、スティックパンを持って食べさせていたら、「そんなもの食べさせて」と言いたげな視線で、しょっちゅう見られたそう。
私も何度か妻について行ったことはあるが、独特の雰囲気だったことを思い出した。

小石川植物園は私の住んでいた白山の家の裏にあり、ここは昔綱吉の別荘地だったらしく、いまでも小石川台地辺りを御殿町というらしい。
吉宗の時代には、ここに小石川養生所が開設された。小石川養生所の井戸は未だに残っていて、関東大震災の時にも被災者の飲料水として役立ったらしい。
ちなみにこの小石川台地、地盤が固く、東日本大震災の時に、さほど揺れず、我が家の被害はゼロだったと妻が言っている。

小石川台地から白山通りを挟んであるのが本郷台地。東京大学は本郷台地の上にあるが、ここの地盤もきっと固いだろう。

息子は白山での生活をすごく気に入っており、いまだに戻りたいと言う。
そのため、第一志望から第三志望まではすべて関東の中学。
息子が合格すれば東京に引っ越すことになると思うが、さてどうなることか。

小説が面白いと思ったら、スキしてもらえれば嬉しいです。 講談社から「虫とりのうた」、「赤い蟷螂」、「幼虫旅館」が出版されているので、もしよろしければ! (怖い話です)