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信長公記


リアリティのある信長を知る1冊。

1)信長の一生は、大河ドラマや漫画だと、矢継早にエピソードが展開されるので、実際に当時の人が体感した「時間の流れ」とズレがあると思える。

13歳 元服(19歳)
14歳 初陣
15歳 濃姫と結婚
20歳 斉藤道三と会見
24歳 弟の信行謀殺
26歳 尾張統一(39歳)
27歳 桶狭間の戦い(41歳)
34歳 美濃平定
35歳 上洛(52歳)
36歳 伊勢平定
37歳 姉川の戦い
38歳 比叡山焼き討ち(58歳)
40歳 浅井・朝倉氏滅亡
41歳 長島一向一揆制圧
42歳 長篠の戦い(63歳)
43歳 安土城築城、毛利水軍に負ける
44歳 松永久秀裏切る
45歳 荒木村重裏切る、毛利水軍に勝つ
47歳 石山本願寺平定
48歳 京都で盛大に馬揃え、伊賀平定
49歳 武田氏滅亡、本能寺の変
*括弧内は仮に一生を75歳に換算した場合

例えば、信長の一生、49歳を100%とすると、上洛して天下布武に乗り出す35歳までに、すでに人生の35歳/49歳=70%を過ごしている。信長の有名なエピソードの殆どは、信長の人生の後半の30%で濃密に発生している。仮に現代の75歳まで生きる男性に置き換えると、75歳×70%=52歳以降のエピソードになる。

信長というと、颯爽とした早熟の天才児というイメージがあるが、実際は、人生の26歳/49歳=53%、つまり半分以上を、尾張統一のための親族同士の内紛に費やし、上洛時点で、人生の35歳/49歳=70%を費やしており、泥臭く過ごしている。

現代人でいうと、50歳位まで、泥臭く過ごして、残りの25年で世に出たということか。

その他、

・濃姫と結婚して、義父の斉藤道三と会見するまでに5年も経っている。大河ドラマだと、結婚して、数ヶ月か、1-2年後に会見しているみたいだが、実際は、5年も会っていない。

・桶狭間の戦いの後、美濃を平定するまで7年かかっている。大河ドラマだと、「桶狭間の戦い」の後、あっという間に、「美濃も」平定して、「天下布武」に乗り出すかのように描かれるが、実際は、泥臭く7年間も勝ったり負けたりの、一進一退の攻防を繰り返して、戦っている。7年間も戦っていれば、それだけで、一つの映画やドラマが創れるほどの、エピソードがあるはずだ。

・信長というと、人を使い捨てにして裏切られたイメージがあるが、松永久秀や荒木村重の裏切りは、最晩年に起きている。尾張統一から上洛までの信長、つまり、一生の35歳/49歳=70%は、生え抜きを、ちゃんと大事にしている。桶狭間で今川義元を討った2人の武将について、その後、大した功績をあげずとも大事にしている。

2)人物像についても、信長公記の研究によると、傍若無人な覇王信長像はゲームやドラマの嘘であり、実際の信長は、

・4歳下の主君足利義昭の顔を立てながら、
・堺・大津・草津の軍資金を抑えて、
・軍事力(実行力)を備えた、
・伝統的権威との交渉力もある

リアリストの軍人政治家といったところ。

3)軍事面においても、信長公記の研究によると、

・桶狭間の戦いは奇襲戦ではなく正面突破戦だった、
・秀吉の墨俣一夜城は実在しない、
・武田相手の長篠の戦いで鉄砲の三段撃ちはなかった、

とされている。

4)信長公記には、ちょっとしたエピソードも出ていておもしろい。天正7年の信長46歳の時の危険な気晴らし。

乗馬組と徒歩組に分けて、乗馬組を徒歩組めがけて突っ込ませて、徒歩組は反復横跳びよろしく、突っ込んでくる馬を左右にかわすというゲーム。

信長自身も徒歩組に交じり、馬をかわして気晴らししたと書いてる。

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