喜志武弘

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信長公記

リアリティのある信長を知る1冊。 1)信長の一生は、大河ドラマや漫画だと、矢継早にエピソードが展開されるので、実際に当時の人が体感した「時間の流れ」とズレがあると思える。 13歳 元服(19歳) 14歳 初陣 15歳 濃姫と結婚 20歳 斉藤道三と会見 24歳 弟の信行謀殺 26歳 尾張統一(39歳) 27歳 桶狭間の戦い(41歳) 34歳 美濃平定 35歳 上洛(52歳) 36歳 伊勢平定 37歳 姉川の戦い 38歳 比叡山焼き討ち(58歳) 40歳 浅井・朝倉氏滅亡

    • ガリア戦記

      カエサルが、南北約965km、東西約935km、ガリア地方を、2000年前に、7年かけて、3万前後の軍で、征服した記録。 東京から九州までが、約950kmであるから、わかりやすくイメージし直すと、一辺が東京-九州間の距離の正方形の中を、2000年前に、7年間、3万人で動き回って、征服したという事になる。 2000年前のローマ兵の健脚ぶりに驚かされる。 950km四方の面を征服するのに、カエサルは、何を実行したか。 先ず、敵部族のガリア人が団結して向かってこられては、勝

      • ナポレオン言行録

        15歳の時から30年以上読んでいる。 ・私は二年後をおもんばかってしか、かつて生きたことがない。 ・戦争においては、天才とは事実の中で思索することである。 ・時としてはよい作戦計画も偶然の事情によって失敗し、時としては悪い作戦計画も運命の気まぐれによって成功する。 ・戦争においては、一つの大きな失敗があると、常に誰かが大きな罪ありとされる。 ・百に六十の成功のチャンスをかぞえることができない限り、戦闘を交えるべきではない。 ・指揮の統一は戦争において最も重要なもの

        • 桶狭間

          桶狭間に関する本を読んでみると、選択肢(複数の作戦)は次のように、分岐していた。 1)義元の尾張進行目的は、上洛か、否か。 2)信長は、当初から義元本陣を狙っていたか、当初は鷲津砦・丸根砦を攻める今川軍後方を狙い途中で義元本陣に狙いを変更したか。 3)佐々隼人正、千秋四郎らが攻撃したのは、鳴海城か、義元の前衛隊か。 4)義元本陣の場所は、漆山か、高根山か、より後方か。 5)信長の攻撃は、迂回奇襲か、正面突破か。 6)中島峠から山際までの信長の移動が、義元から見えていたか、否

        信長公記

          ナポレオンの戦略・戦術のまとめ

          ◼︎実行力 ナポレオンが敵軍の動きを予め全て計算の上で戦争したというのは作り話。戦場での現実の展開に即興で対応できたから強かった。 ナポレオンは、大変な読書家で戦略書を読みあさったが、行動の人であり戦略思想家ではなかった。無名将校時代に勉強したサックス「わが瞑想」、ブールセ「山地戦の原則」、ギベール「戦術概論」、デュ・テイユ「野戦における新砲兵の運用」の理論を実行したにすぎない。軍事的天才たる所以は不確実性の支配する実戦で常に勝利した実行力にある。 ナポレオンは「戦争術と

          ナポレオンの戦略・戦術のまとめ

          自己紹介

          モトヤフ(元ヤフー社員の組織)がインタビュー記事を作成してくれました。

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