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桶狭間

桶狭間に関する本を読んでみると、選択肢(複数の作戦)は次のように、分岐していた。

2018年10月18日桶狭間周辺訪問

1)義元の尾張進行目的は、上洛か、否か。
2)信長は、当初から義元本陣を狙っていたか、当初は鷲津砦・丸根砦を攻める今川軍後方を狙い途中で義元本陣に狙いを変更したか。
3)佐々隼人正、千秋四郎らが攻撃したのは、鳴海城か、義元の前衛隊か。
4)義元本陣の場所は、漆山か、高根山か、より後方か。
5)信長の攻撃は、迂回奇襲か、正面突破か。
6)中島峠から山際までの信長の移動が、義元から見えていたか、否か。
7)義元本陣は、山頂にいたか、盆地にいたか。
8)信長軍の正面突破の突撃路は、山頂にいた義元本陣に向けて漆山ないし高根山を駆け上がったのか、平地にいた義元本陣への東海道沿いか。
9)正面突破が成功したのは、今川軍前衛が非戦闘員多数だったからか、今川軍前衛が乱取りを行なっていたからか、正面突破ルートが狭路の一本道で今川軍の数的優位を相殺できたからか。
10)義元の逃走ルートは、東海道沿いの東方か、近崎道沿いの南方か、漆山ないし高根山山頂から東方か。

歴史家は、どの作戦が事実だったか、一つの歴史的事実を探し出してくれる、参謀は、勝てそうな作戦を、一つに絞り込んでいってくれる、実行者は、状況の変化に応じて、柔軟に適用可能な、複数の作戦を事前にいくつ考えておけるか。

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