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『つけびの村』刊行イベント 「ノンフィクション万歳!」前編

『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社) 刊行記念
「ノンフィクション万歳!」
高橋ユキ × 水谷竹秀 × 広野真嗣 × 江坂祐輔 × 藤野眞功 トークイベント
が、2019年10月15日、青山ブックセンターにて開催されました。
この日の模様を、前後編に分け、公開いたします。

http://www.aoyamabc.jp/event/nonfiction/
上記イベントページのリンクにもあります通り、
ーー本イベントでは、新世代〈調査ノンフィクション〉としても話題の本書を中心に、ノンフィクション作家の水谷竹秀さんと広野真嗣さんをお招きして、登壇者5人それぞれによる「いま語るべき10冊のノンフィクション」をテーマごとに紹介しながら、ノンフィクションの新しい扉を切り拓いていけたらと考えております。ーー
ということで、登壇者それぞれが選んだ〈お薦めノンフィクション10冊〉をブックリストにして、当日は会場の皆様にお配りしました。
このブックリストについては、司会を予定していた『つけびの村』外部編集者・藤野さんが登壇者らにテーマを伝え、各自、それに沿った書籍をピックアップしていたのですが……当日彼は、台風の影響で、海外取材から戻ることができず、イベントも欠席に。ゲストとしてお招きした広野真嗣さんに進行をお願いする格好となりました。ありがとうございます。

【登壇者】水谷竹秀、広野真嗣(ノンフィクション作家)、高橋ユキ(フリーライター)、江坂祐輔(『つけびの村』版元編集者)
【欠席】藤野眞功(『つけびの村』外部編集者)(敬称略)

高橋 ではお二人のゲストをお呼びいたします。水谷竹秀さん、広野真嗣さん、どうぞ。

江坂 よろしくお願い致します。

水谷竹秀(みずたに・たけひで)ノンフィクション作家
1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者やカメラマンを経てフリーに。現在、東京とアジアを中心に活動している。2011年、『日本を捨てた男たち』(集英社)で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。他に『脱出老人』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。』(集英社)など。

広野真嗣(ひろの・しんじ)ノンフィクション作家
1975年、東京都生まれ。1998年に慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神戸新聞記者を経て2002年に猪瀬直樹事務所にスタッフとして入所。2007年より石原都政、猪瀬都政で東京都専門委員。2015年10月よりフリーランスとして独立。2017年、『消された信仰』(小学館)で第24回小学館ノンフィクション大賞受賞。

〈さっそく、ゲストのお二人に『つけびの村』のご感想を伺いました〉

水谷 ノンフィクションってやっぱ著者である自分をどこまで出すかって、結構難しいじゃないですか。『つけびの村』については、高橋さんのキャラがすごく引き立ってるから、魅力かなと僕は思いました。

高橋 普段は割と隠す方向で行くんですけど、今回は読者も一緒に取材をしてるみたいな感じを出したほうがいいのかなと思い、自分を出したんです。

広野 そう思うようになったのは、どの辺りからなんですか?

高橋 もともとは保見光成を主人公にして、彼の語る話を中心とした普通のノンフィクションにしようと考えてたんですけど、彼が妄想性障害の影響を強く受けてるということを2017年の面会時に感じてから、村を主人公にする構成にして、自分はそれを見ていくというスタイルにしようと。

広野 これは本でも最初に紹介がありますけど、『つけびして、煙り喜ぶ田舎者』。たぶん皆さんもすごく印象的な、普通の民放の昼のニュースで『つけびして』ってアナウンサーが読み上げているのを聞いて、八つ墓村かよってみんなが思うような――。

おそらくそれは普通こういうものを本にしたいってライターさんが思えば、この不思議な怪しい歌の秘密、その奥にあるものは何なのかっていう謎解きをしたくなりますよね。

高橋 確かに、最初は私も謎解きをしようと思っていました。そもそも本当は『戦時中に夜這いがあったかどうかを取材してきて』って頼まれて取材に行ったのがきっかけだったんですけど、やっぱり『つけびして』って気になるじゃないですか。

広野 思いつかないもんね、あんな怪しい言葉。

高橋 しかもやっぱり犯行声明とか、不穏な張り紙だって報道されてたから、絶対事件と関係あるんだろうなと思ってたんですけど、村の人から実はそうじゃないってふうに聞いて。そこからちょっと興味が湧いたっていう。

広野 水谷さんも、かなり事件取材をされていますよね。

水谷 そうですね。高橋さんとは新潮45で戦友でした。

広野 事件取材といえば、一番先に乗り込んだ人が有利っていうふうに、新聞記者だって雑誌記者だって、みんなやっぱり思うわけですよね。目撃者や当事者もいなくなっちゃうし。

水谷 時間がたつと、取材がだんだん難しくなるんですよね。

広野 ところが高橋さんはずいぶん後になってこの前線に入ってる。

高橋 事件が起こったのが2013年で、村に初めて行ったのは2017年1月の、もう3年半ぐらい経ったときですね。

広野 そこで僕聞きたかったんだけど、取材ってずいぶん遅れてから行くと、話を聞けるかどうか、あと自分なりに盛り上がれるかどうかっていうのも難しいですよね。

高橋 私も本当は話は聞けないだろうと思っていたんです。戻ってすいませんって謝ろうっていうふうに思ってはいたんですよね。人口もすごい少ないじゃないですか。事件のあった集落で話が聞けるかどうかってのは、全く分かんなかったし、周辺で聞いてもそんなに大した話が聞けるかどうか、全然不透明だったから、諦めモードで行きましたね。

広野 さっきちょっとグーグルマップで調べたら、高橋さんの家のある東京から山口まで新幹線で行けば5時間はかかかります。そこから車でまた1時間半くらいかかるのかな。

高橋 いや、40~50分くらいですね。

広野 それでも6時間。行って帰ると1日終わっちゃうっていう。経費もかかりますし、そこのモチベーション高く持つというのは、難儀でしょうね。

高橋 そうですねえ。でも一応行くからには泊まりで取材したほうが効率がいいじゃないですか。だから激安ホテル東横INNを私はいつも使ってました。何度か徳山に行き、そこである一定の期間設けて、ずっとそこに泊まって村に通うっていうような取材を繰り返しました。

水谷 お金かかってますね、結構。

広野 後で、ちょっとじっくりお話ししたいと思うんですけど、ノンフィクションの作品がブログみたいなところで書いて、爆発的に売れるなんてこと、僕らは考えたこともなくて。

高橋 そうですよね。

広野 この現象だけで、僕らは多分3時間ぐらい飲んで――。

水谷 話せるんですよね。

広野 多分答えがないままに、それでも満足できるぐらい夢のような現象でした。今日、会場にいらしている皆さんは読まれているということなので、最初にnoteでも読まれた方はいらっしゃいますか(会場から手があがる)。

高橋 ありがとうございます。

広野 もし差し支えなかったら、どこで知ったかどうかということをお聞きしてもよいですか。

(会場) Twitterです。

広野 自分の見てるタイムラインで普通に出てきたっていう感じなのかしら。これは僕、忘れもしない、僕がたまたま高橋さんの友達で、お互いが、成功するのを恨めしい顔で見てるっていう。

高橋 私、広野さんの記事読むと、いちいち嫉妬を覚えて茶化しに行くので嫌がられてましたよね。

広野 いえいえ。あれは今年3月でしたっけ。土曜日の二日酔いの朝にTwitterのタイムラインでざーっと見たら、高橋さんが言葉にならない言葉をツイートしておられまして、「あ、あ、あ、あ」みたいなね。どうしたんだろうって。

高橋 本当にびっくりしました。

広野 それぐらい、つまりnoteに載っけてからずいぶん時間がかかって、半年?

高橋 2018年7月にウェブに掲載して、翌年3月なので、半年以上経ってるのか。

広野 何がきっかけかは分からないんだけど、今まで私たちが思ってたのと違う入り口で、こういう作品の面白さを皆さんが味わってくださって、しかもそれを出版社のノンフィクション賞が推すとか、新聞の書評が推すっていうことと違う形で評価をされるっていう現象があるっていう新発見ですよね。

高橋 それには驚きましたね。やっぱりノンフィクションって、書く人のネームバリューとか、バックグラウンドとか、経歴とか、プラスどんな出版社がこの人をどれだけプッシュしてるかというところが読む人によってすごい大きく左右すると思うんです。だからnoteにアップした時点では、そんなにたくさんの方が読んでくれるとは思ってなかったんです。事件が好きな人、事件に興味のある人が調べてたどり着いて、読んでくれたらいいなぐらいの感じでいたので、普段事件にそんなに興味を持って本を読んでない人がもしかして読んでくれたのかなっていうぐらい反応があったので、びっくりですね。

広野 水谷さんは事件の本とかたくさん読まれてると思うんですが、どういうふうにあの現象を見ましたか。

水谷 いや、やっぱちょっとびっくりしますよね。同じ書き手として、こんなにネットというか、Twitterでフィーバーするのが、まず驚きですね。ご本人も本の中で書かれていますけど、諦めてたものだったじゃないですか。それをnoteでアップしてみようと思って爆発して、今回紙の本として出版するようになったっていうのは、多分ノンフィクション史上初めてなんじゃないですか? そんなことは聞いたことないし、今後も起きるかどうかもちょっと。で、あの現象が起きて、他のノンフィクションライターの中でも、結構noteで無料公開とかやってるじゃないですか。

高橋 そうですね。広野さんも。

広野 一瞬やってみて、やっぱりちょっと難しいんですよ、これね。雑誌で書いてるものってのは、基本的にはネットに出てないものが多いので。だけど仮に、高橋さんのnoteのような試みを見よう見まねでやってみても、それを読んでくれるお客さんがいない。誰もいない荒野に稲を植えるような孤独な挑戦になってしまう。

高橋 自分でも植えたこと忘れるぐらい。そんなもんなんですよね、本当に。

水谷 講談社のG2っていう雑誌がなくなっちゃったじゃないですか? 休刊のラストのときに、今広野さんがおっしゃったような表現と同じような、なんか「ノンフィクションは人通りのいない所に建つ高級料理店」みたいなことを書いていて。それに結構ずしんと来てね。いまだにノンフィクションってやっぱそういうふうにとらえられているんだっていうのは感じますよね。

広野 おそらく高橋さん自身も書かれているとおり、最初はノンフィクション賞でもあまり評価されなかった。その後そのnoteの課金購読のビッグウェーブが来たら世間の評価が180度変わったわけですけど。

高橋 そうですね。怖かったです。今も怖いですけど。

水谷 最初はそんなに評価してくれなかった人がnoteで爆発したのを機に、やっぱり高橋さんに書いて欲しいと近づいてきた人とかいらっしゃったんですか?

高橋 いました。原稿送った編集者から、それも忘れてるような感じでメールが来たりしたんで、なんかそれはちょっとムカつきましたね。

広野 この作品の体裁について、二つ聞きたいんですけど、一つはこの本って多くの証言者が仮名なんですよね。高橋さんが普段ネットで裁判の記事書いてるときは、裁判で出てくる情報もある種すべて裏取りが出来ているので全部書けちゃうから、基本実名でしょう。

高橋 そうですね。

広野 仮名にする必要があるとしたら子どもとか、被害者とか、そういうことに限る話で、ことこの本に関しては、結構快く取材にも応じてくれている中で、仮名にすることを選んでいる。それはどうしてですか?

高橋 こういう話は、この村だけじゃなくて、いろんな所であるだろう、きっとあると思っているんですよね。なので、ことさらに誰が誰の悪口を言ってるかっていったことは、この本ではそんなに重要視してはいない。むしろこういう話がこの地域、またはいろんな地域でこういう話はされているっていうのを伝えたい。そっちが主だったので、全員仮名にしました。また、証言者は全員が直接の事件関係者や当事者というわけではなく、なおかつ集落の人口が極端に少ないという事情を考慮し、プライバシーの観点からも、そのほうがよいと判断しました。

広野 なるほどね。多分この本の面白さの一つはうわさがこの村の中でたくさん発生してる、そのうわさが保見光成に対して影響しているっていうその不可視の作用を、、見えないながら高橋さん自身が一生懸命、見ようとして、追いかけて、つかもうとしてるわけですよね。

高橋 そういう気持ちもありました。

広野 本の中では、そのうわさが怪しいように見えるかもしれないけれども、僕と水谷さんと2人で飲みに行けば、やっぱり同業者がああでもないこうでもないと話して盛り上がったりするわけですよ。『高橋さん、売れちゃったら一緒に飲みに行かないなあ』なんて。そういう、うわさがやっぱり人間関係を作ったり。

水谷 それが逆に共通項だったりするわけですよね。

高橋 そう。仲間になるんですよね、秘密の。

広野 読み進めていくうちに面白いなと思ったのは、この本で明らかにしようとしてるのは、実は事件の謎じゃなくて、事件の起きた現場の風景なんじゃないかっていうことを思ったりしたんですよね。

水谷 それは面白いですね。あと限界集落に、1人でやっぱり突破していったっていうところがすごい作品の魅力ですよ。

高橋 ありがとうございます。

水谷 あんな村のかなり詳細に渡って、すごい本当細かい家の細部まで書かれてたじゃないですか。

高橋 そこまでいらんっていうぐらいですよね、すいませんってこと、書いてしまってね、本当。そうですよね。

広野 ノンフィクション作品を作るときは、やっぱりこの作品の謎は何なんだろう、この企画の謎は何なんだろう、その謎を解いてこいっていうことが問われます。おそらく高橋さんはこの『つけびして』っていう謎のメッセージを解きに行ったはずだったんです。

高橋 そうなんですよ。そこから彼の動機を解き明かしに行くはずだったんですけどね。

広野 探偵ユキはそっちに向かったはずだったのに、探索を続けるうちにいつの間にか怪しい村の空気に何かの匂いを嗅ぎつけて、その原因であるうわさの出元を追いかけるようになっていく。

水谷 僕はなんか、それこそがノンフィクションの魅力かなとも思っていて。自分が最初に想定する現実って、取材を進める中で裏切られるじゃないですか。そのときに書き手がどういうふうに感じて、その現象をどういうふうに捉えるのかっていう迷いや葛藤みたいなものが出てる作品が、僕は好きなんです。それが、すごい出てる感じがしたんです。

高橋 なるほど。確かに水谷さんの作品にもそういう感じありますよね。自分の悩みみたいなこと、ちょこちょこ文章に入ってて、人柄が表れてるみたいな、面白いなと。

広野 そうですね。人生悩みを抱えたまま歩んできた姿が見え隠れするからこそ、多分読む人がこの人の文章を読むに足る、要するに信頼できるっていうふうに思ってもらえる要素の一つになったりします。

水谷 そう思いますね。

広野 二つ目にお聞きしたかったのは、この本を読んでくと後半に『古老の巻』と題された章があって。僕はこの章が抜群に面白かった。後のほうまで読んで、あちゃーっと思ったんだけど、つまりこの物語、保見光成はなぜ5人を殺したのか、でもそのサブタイトルであるように、実は保見光成自体もやはり“うわさ”が充満した得体の知れない空気の中で心を狂わせていって、追い詰められていった。その軌跡をたどるわけですけども、じゃあ何でうわさの充満するこの村ができたのか――村そのものという、「もう1人の登場人物」の素顔を明かそうとする試みだと思うんですよね。

高橋 そうですね。これは外部編集者の藤野さん、きょういらっしゃらない人が「飛び道具だけど」と言って提案してくれて作ったんですけど、ノンフィクションって普通、起こったことを実名が分かるようにありのまま書くっていうのがスタイルだと思うんですね。だからちょっとこれは禁じ手っちゃあ、禁じ手。だけど、そこに書かれてるのは全部本当なので。

広野 それは、たとえば話を聞いた人が十何人か分かりませんけれども、それぞれのAさん、Bさん仮名で地の文にコメントを入れる形でも書けたと思うんですけど、1人の語りにしたのはどうしてなんですか。

高橋 そのほうが村の姿が伝わりやすいと思ったんですよね。

江坂 より抽象化したって感じですね、1人の人間に仮託して。

高橋 それから人口の少ない村なんで、誰がしゃべったかって犯人探しにならないようにと心配はしました。それも大きいです。

江坂 やっぱり村の栄枯盛衰ではないですけど、良かったときのこともちゃんと語らないと、この本は伝えきれないよねって話をしてて。だからその過程で一つ、よく音楽とかで使われると思うんですけど、マッシュアップっていって、ボーカルと音と全部ぐちゃぐちゃにして、混ぜて一つの曲にしたっていうところは手法としてはありますね。

広野 おしゃれですよね。僕そんなこと思いつかなかった。いや、僕も実は去年、初めて出させていただいた、現代のかくれキリシタンを追ったルポルタージュの書籍があるんですが、そこもやっぱり人口が急減している過疎の島のお話なんです。その島には歌い継がれてきたかくれキリシタンの歌があって、つまりなぜその歌の意味が理解されないまま伝誦されてきたののか、なぜ分からなくなっていったのかという謎をたどっていった。実は大きな意味でいえば、人口減少だったんです。ただその過疎化が進むのは60年代、70年代に起きているというよりは、90年代まではずっと人が残ってて、90年代から突然下がってたんです。その原因は、魚が取れなくなったこと。つまり真犯人は魚だった――。

高橋 そんな事情があったんですか。

広野 うん。おそらくこのつけびの村のもう1人の犯人が金峰という村そのものみたいなことだとすると、その出来上がりと、その追い方、村の追い方みたいなことが一番の読み応えなのかなっていう。

高橋 山間部って昔、どこもまだ人口多かっただろうなとは思うんですよね。だから本当に住み続けてたんだって思うんですよ。ですので、『怖い村の話』で終わったら、ちょっと違うなと、そういう気持ちもあって、村のいい所とか歴史とかを探りたいなっていうふうに思いましたね。

水谷 で、お祭りも。あれは、僕はすごくよかったですね。お祭りにお忍びで。実は、僕も同じような状況に遭遇したことがありました。それを思い出してしまいまして。

高橋 本当ですか。

水谷 神主さんの奥さんからすごくいろいろ聞かれているじゃないですか?それで、ばれそうになったけど高橋さんがその場を何とか切り抜ける。僕は3年前のことを思い出しました。僕は三重県出身なんですけど、そこにある渡鹿野島っていう売春島に、潜入取材に行ったんです。

広野 そんな島があるんですか。

水谷 はい。そこにいる女の子たちが売春婦っていう島があって、三重県に。その島は普通、団体のお客さんが行くんですよ。僕が行ったときは平日だったんですよね。平日に僕みたいなおっさんが1人で行くってのは、どう考えたっておかしいじゃないですか。

高橋 そうですね。取材か自殺か何だろうって感じですよね。

水谷 て思いますよね。で、そのおかみさんからいろいろ聞かれました。「どういうご事情で来られたんですか?」って。「観光です」って答えたんですけど、観光でこんな所来ないだろう、みたいなものがあるわけですよ。

高橋 観光ですって言っちゃったんですね。

水谷 それで旅館のカードを書くときに、自分の住所を書かなくちゃいけなくて。渡鹿野島は三重県で、僕も三重県出身だから取材ってのが後でばれたらちょっと嫌だなと思って。それが新潮45の取材だったんです。で、東京の新潮社の住所を書こうかなと思ったんですけど、住所がすぐに出てこなくて……。

高橋 えっ? どういうことなんですか?

水谷 「すいません、住所忘れました」って。

高橋 ますます怪しまれますよね。

水谷 それを思い出したんですよ、でも高橋さんが偉いのは、終わってからちゃんと電話をしてますよね。その場から逃げ切ろうっていうふうには思わなかったんですか。

高橋 思いましたね、すごいそれは。

水谷 思いますよね。だからそれがすごい偉いなって思って、正直で。

高橋 いやでも、それはなんとなくこのまま出したらなんか、ちょっとあの2人のテンションの高さから怒られそうだなって、そのことを意識してましたね。ちょっと話つけて、「書くと思います」ぐらい。小心者ゆえですよね。

江坂 電話するまではちょっと。

高橋 だいぶ時間がかかりました。

水谷 怖いと思います、あれは。それで何か言われて取材が駄目になっちゃったりすると、それが一番嫌じゃないですか。

高橋 そうなんですよ。だから駄目って言われないようにどうやって言おうかってこと1週間ぐらい考えたりとか、それでもそのまま答えが見つからず普通に正体を明かしたんですけど。

広野 でもなんか結果的に神主さんご夫妻が、あの怪しい村の近辺にいる唯一の普通の家みたいな。他の人、もしかしたら次のときに行ったらいないかもしれないみたいな……。少し神話の世界の裾野に足を踏み入れちゃったのかなと思わせるような独特の位置づけがありました。

先ほどの二つの質問で知りたかったのは、要は事件のノンフィクションっていうか、今までと違うスタイルもあっていいんじゃないのかっていうことを彼女自身も書いてるんだけど、やっぱり出発点は「謎」だったと思うんですよね。

おそらくその謎の在りかが、普通は被疑者、容疑者の生い立ちであるとか、動機、実は大事な人を失っていたとか、そういうところに謎の解き明かしがある。それはそれで、謎を解いたことによる快感を得られるエンターテイメントになるわけですけど、本当はそこに行き着くはずが行き着かないうちに、別の“もう1人の犯人”と巡り合うというか、そういうプロセスが描かれていたのかなというふうに、今聞きながら思いました。

高橋 そうですね。ノンフィクションって、それ自体、書かれてることは事実ですけど、結論づけるのってやっぱり筆者、作品書いてる人じゃないですか。その結論っていうのはかなり主観を込めてると個人的には思ってるんですね。

水谷 主観ですよ。

高橋 だから事件ノンフィクションは客観的であるっていう常識みたいなものは、ちょっとどうなんだろうって、そういう意味で思っていて。だから自分の変なこじつけみたいなところで着地させないようにしようってのはすごい考えました。

水谷 そもそも、僕は客観的な報道はなかなか難しいと思ってるんですよ。新聞だって主観だと思ってるし。どの見出しを取るのかって、やっぱり新聞社の色によって違うわけだから。それは違って当然だし。そうすると主観だと。僕はそれでいいのかなと思ってますね。

広野 それでいうと、数日前に台風19号に関連する台東区のホームレスの話があったけど。

高橋 そうでした。水谷さんの。

広野 ちょっと横に脱線しますけど、つまり今、お話のあったように、書き手は結論づけることができるという意味で、その瞬間、その作品世界の「神様」の目線を獲得するんです。かつては作品づくりをする人だけの特権だったけれど、現代は違います。インターネットの空間、とりわけSNSは多くの人にその特権を与えてくれていて、投稿してる瞬間は自分は神様になれる。何でも言えてしまうから。

高橋 そうですよね。リツイートしてるときも。

水谷 本当そうですよね。

広野 炎上しちゃうと追放されちゃったりするわけですけども。

水谷 怖いですよね、だから。

広野 先日、台東区で台風19号が到来したときに、本来避難所に入れたはずのホームレスの人が拒否されたってことがニュースになりましたが、あれは水谷さんなりの見方があると思って。

水谷 そうですね、僕今その避難したホームレスっていうか、野宿者がいる山谷っていう地域でずっと取材をしてて、去年住んでたんですね。4カ月ぐらいなんですけど。で、今回の話、事件というか拒否されたって問題を受けて、台東区が非難されたわけじゃないですか。要するにホームレスだからっていうので差別をしたとか、人権問題だとかっていう。台東区が拒否したのはけしからんっていうような、そういう構図だと思うんですけど、実際現場に行くとそんなに単純じゃないんですよね。

例えば僕はきょうの朝、台風の被害の取材で山谷に行ってたんですけど、朝、長靴履いて、すごい泥だらけになってたんですね。

高橋 今、着替えてこられたんですか?

水谷 そうです。

広野 臨場感重視で「長靴のまま来てよー」って言ったのに……来てないですね(笑)。

水谷 いや、ちょっとすいませんこれ場所的にとか、電車に乗るときとか、泥だらけの長靴で来たら、やっぱ距離を取りたがる人がいると思うんですよね。それと同じで、例えば台東区は、一般の人がいる中で野宿者を本当に受け入れたら、迷惑がられてそれでいいのかっていう話になるかもしれない。だとすると台東区はあのときどうすればよかったのか。別の避難所を、例えば野宿者専用の避難所を作ればよかったのか。そうするとこれまた差別してるのかって批判されそうだから、なかなか難しいと思います。

高橋 確かに。

広野 そういう意味で言うと、やっぱりノンフィクションっていうか、これだけ尺を使って、人の人生の物語を突き詰めるっていうことって、インターネットで「台東区は悪だ」というふうに140字で書くこととは“全く逆の行為”っていうんですかね。そういう意味でその方法論っていうのもいろんな形があるし、今の水谷さん、せっかくだからそれやったらいいと思うけど。

水谷 そうですね。

広野 やっぱり私はこういう所に来て、本を手に取ってくださる方々というのは、おそらくそういう構造についてよく分かってらして、やっぱり140字では世の中はの矛盾を語り切ることはできないし、正義で語れることほど、自分の身の回りで起きているもろもろの出来事は簡単じゃないってことをよくご存じだと思います。

水谷 本当そうですよね。

〈『後編』につづく〉


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