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ハセガワの歴代キット定点観測で眺める「零戦」の変遷《後編》

飛行機プラモの回顧シリーズ。前回、盛大に盛り過ぎてしまった「零戦」キット紹介の続きになります。泣いても笑ってもこれで終わり。紹介済んだキットから泣きながら燃えないゴミに出しています。


「4機を同時並行で作りながら違いを知る」ということで製作した「零戦」の残り2機について、今回も同じアングルの完成写真を使って紹介していきます! 今回は謎の番号若返り機体二二型から。(前編を未見の方は、そちらから見ていただくと嬉しいです!)

◉二二型(A6M3)・・・1942年(昭和17年)11月~

ハセガワ1/72「日本海軍零式艦上戦闘機22型」
(昭和18年 空母「瑞鶴」所属 ブーゲンビル島・ブイン基地駐屯機カラーリング)

目下の最前線ガダルカナルでの戦いに、航続距離不足で使えないことが判明した三二型。これじゃいかんということで急遽、主翼内の燃料タンク容量をアップさせて、その分重くなるデメリットを低減させるために、一度短くした主翼をもとの長さに戻すというアップデートを施したのが二二型なのです。キット画像を見てもらえれば、主翼形状が二一型に逆戻りしているのが解ると思います。逆に言うと外見的な変更はそれぐらいなので、型式記号は三二型と変わらずA6M3のままでよし!となったようです。ややこしい! せっかく改良した二二型ですが、これが量産できるようになった頃には肝心なガダルカナル戦は終結しており、いったい何のために作ったのか・・・みたいなことに。その後、ソロモン諸島の戦いなどで運用されるものの、米軍戦闘機のスペック向上への対応も急務だったこともあって、結局560機ほどで生産終了となりました。

カラーリングですが今こうやって眺めると「なんだか汚いなー」と思う仕上がりなんですが、これ説明書に「上面⓯⓰のまだら塗装」という指示がありうまして《塗装について》の解説中にも「昭和17年頃からは濃緑色のマダラ状、しま状の迷彩が多くなりました。」との記載があったので、いろいろ調べてみたものの、結局自分なりの解釈でこういうふうに塗ったんですよね。使ったのはクレオスさんのMr.COLORです。

使った色はこの2色。「この2色で"まだら"ってどういうこと?」と随分苦しみました

結局いまだに正解はわかりませんが、迷彩というよりは、なんか灼けて塗膜が劣化した感じにも見えるので、ブイン島のような劣悪な場所に配備された機体はこんなんになっていたという解釈も出来そうです(笑)

話はやや脱線しますが、日本軍は陸軍・海軍で塗装くらい統一すればいいのにと当時は思ってました。それが各軍やメーカーの自己主張だったのかもしれませんが、なんで微妙に違う色にしてたのか。発注先との兼ね合いなのか事情は調べたことはないですが、毎回毎回、この単純な緑と灰色の選択に苦慮してました。これはきっと解る人にしか解らない世界ですね。

大変さを解って欲しくて画像一覧にしてみました。
こうしてみると⓰は「濃緑色(三菱系)」ということなんでしょうか?

ついでに紹介しておくと、1943年(昭和18年)中ごろに海軍は基本的にすべての機体の塗装を、上面:暗緑色、下面:明灰白色に統一する基準を設けたのですが、それでもメーカーを区別するために塗り分けをしていたのです。

矢印部分に注目。左:三菱製は直線、右:中島製は後方斜め上がり

同じ機種でもこんなめんどくさい塗り分けをしていた理由は、もっぱらメンテナンスする際の混乱を回避するため。主にコクピット内の装備や仕様などがメーカーで統一されていなかったんですね。こういう陸・海で運用や規格を統一しなかったこともまた、戦争に負けた理由だという人もいます。

◉五二丙型(A6M5c)・・・1944年(昭和19年)10月~

ハセガワ1/72「日本海軍零式艦上戦闘機52型丙」
(昭和19年2月~9月 第203航空隊所属 谷水竹雄上飛曹機カラーリング)
↑と説明書にはありますが2月~9月だと、まだ丙型の生産はされていないはず

五二丙型は実際に活躍した「零戦」の最終バージョンというべき機体で、これ以降に登場するもの(A6M6~A6M8)は、この五二丙型のエンジンをパワーアップしたものや、爆撃機に転換したものになります。外見の大きな違いはエンジンの排気設計の変更。これまでは集合排気管で機体下部に流していたのですが、これを推力式単排気管にし、排気で推進力向上を図っています。空気の流れを考えて緻密に設計された排気管は、それぞれ少しずつ形や角度を変えてカウリングの前に突き出しています。これにあわせてエアインテークの形状も微妙に変更されています。車やバイクのように燃焼ガスをただ排出するのではなく、F1マシンのバージボードようにスピードアップに役立てよう!という開発者の熱量が垣間見える部分です。

左:二二型、右:五二型丙の比較。カウリングを取り巻くような排気管が見えますか?
左右非対称なところに開発陣のこだわりを感じますね

上の写真でもわかりますが、もうひとつの見た目上の大きな変化は、主翼から突き出している機関銃です。従来の20mm機関砲の外側に、新たに13mm機関砲が増設されました。その他、主翼端の折り畳みが復活するなどの変更もありましたが、総じて重量もアップしてしまい「零戦」の持ち味だった、軽快で小回りが利くという特性はすっかり失われてしまっています。

そもそも、この五二型がリリースされた頃は「零戦」の優位性はすっかり無くなってしまっていました。1942年(昭和17年)7月にアクタン島で不時着した二一型を米軍が見付け鹵獲。これを元に復元し徹底的に解析したことで「零戦」のウィークポイントを発見。そこから米軍は"サッチウィーブ"という2機ペアで1機の「零戦」を挟撃する対零戦戦術を編み出しました。その結果ガダルカナル、ソロモンでの戦いを境に「ゼロファイター」は恐れる敵ではなくなったのでした。もちろん日本もそれに対抗しようと機体の開発を行ったわけですが、機体スペックの差を技量で埋めていた熟練パイロットたちが次々と戦場に散り、訓練もまともに受けられていない未熟なパイロットでは、もはや米軍に太刀打ちするのは難しかったのです。五二丙型に13mm機関砲が追加されたのも、防弾対策が強化されたのも、そうした技量の差を少しでも埋めるための「とにかく武器増やしとけ、装甲を厚くしとけ」といった苦しいアップデートだったというわけです。

戦局を変えた価値ある鹵獲物として「アクタン・ゼロ」と名付けられた二一型。
搭乗者の名をとって「古賀ゼロ」とも呼ばれています。米軍カラーに塗り直されています。
これを見て、また作りたくなっている僕がいます・・・

カラーリングにおいて、この時期の海軍機には特筆すべきものはないのですが、敢えて触れるとすれば機体側面の撃墜マークでしょうか。搭乗者・谷水上飛曹のセンスが伺えるデザインですね。

キット側面から撮影
キットにも忠実に再現されている谷水上飛曹のオリジナル撃墜マーク。
青地に白い★型を赤い矢が射抜いているもの。本人のチャリンコにも書いてたらしいです。
海軍は陸軍のように専用機では無かったことが多いと聞いていますが
エースパイロットともなればそうじゃなかったんでしょうね
(なにかの雑誌に掲載された写真のようです。出典不明、すみません)

個人的にはこの機体の番号が「03-09」になっているのもお気に入りです。僕の誕生日でもあり、こよなくリスペクトする韓国のボーカリスト・テヨンの誕生日でもあります。シンガー愛車のナンバーもこれにしています(笑)

◉「零戦」の変遷は技術の進化、そして敗戦へのカウントダウン

というわけで、ようやく4機の「零戦」とそのキットの紹介が終わりました。マニアックな内容にお付き合いいただけた方はどれくらいおられるかわかりませんが、改めて自分の作った(汚れちまった)キットを片手に振り返ると、いろいろと興味深い発見もありました。

軍部の無理難題をどう実現させるのか? という技術者たちの挑戦が形となっていく様は、これが戦争のための道具だったとはいえ、やはり魅了されるものがあります。逆に戦争という事態でなければ、そこまで開発への圧も無かったのかもしれません。いつの時代も戦争は技術革新の場だと言われますが、やっぱりできればそうでないところで、テクノロジーは進化していって欲しいと思います。もはや太平洋戦争当時から見れば、今の戦場はまったく違う形になりました。戦うのは人からロボットに代わりつつありますが、犠牲となる人々がいることには変わりなく・・・。人の命が奪われる以上、どういう形であろうと戦争は避けるべき選択肢です。「零戦」の変遷を負いかけて技術の進化以上に、なぜ「零戦」が力を失ったのか、日本が何故負けてしまったのか、その一端を見たように思います。

今回紹介したキットは全て燃えるゴミ行きなんですが・・・

それにしても「アクタン・ゼロ」とかの存在を知って、あのカラーリングでまた作ってみたくなっています(笑) サイパンで鹵獲された五二型「TAIC-11」なんて、銀ピカの「零戦」もあるんです。これが今めっちゃ作ってみたいです。ダメじゃん。

英軍に譲渡されたのでラウンデルが描かれています。

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