見出し画像

ゲウム

今年の春にゲウムという花の苗を買った。

バラ科の植物で和名はダイコンソウというらしい。どういうきっかけで買おうと思ったかは忘れてしまったが、買った時点では葉を元気に茂らせ蕾のついたひょろ長い茎を二本伸ばしていた。

さっそく庭の隅に植えたのだがちょうど翌日、四月にしては珍しく気温が30度近くまで上がる夏日となった。事前の調べでゲウムは寒さには滅法強いが夏場の高温多湿に弱いらしいというのはわかっていたが、まあ大丈夫だろうと何も対策せず特に気にも留めずにその日は過ごし、翌朝ゲウムを見て愕然とした。昨日は元気に立ち上がらせていた葉や茎が、押しつぶされたかのように地面にペタッとへばり付いてたのだ。

「やっちまった」と焦り、手近の鉢をすぐ側に置いたり、柵にかかるハンギングの位置を移動させたりし、ゲウムに直射日光が当たらないようにした。焦りはしたが経験上何らかの理由で萎れてしまっても、環境を整えれば翌日にはだいたい復活するのはわかっていた。このゲウムも明日には元気になるだろうと高を括っていた。だが翌朝確認したがゲウムは萎れたままだった。残念なことにその翌日もそのまた翌日もゲウムが復活すことはなかった。

それからまた数日夏日が続いた。やはりゲウムの状況は変わらず「もうダメかな」と思い始めるとだんだん興味も薄れてくる。5月というのはゲウムに限らず、気にしなきゃいけない植物はいくらでもあるので、先を望めない株は自然と気にとめる頻度も減ってしまう。

ようやく気温も落ち着き、数日続いた雨が上がったある朝、久しぶりにゲウムを見ると少しだけ葉が持ち上がっていた。蕾のついた茎も土から離れ地面とスレスレのところまで体を持ち上げていた。よくみると蕾も決して死んではおらず、むしろやや膨らんでいるようにも思えた。

こうなると俄然興味が湧いてくるのだが、いかんせん天候が安定しなかった。また暑くなったかと思えば、雨が降り、止んだと思えば今度は風が吹き荒れた。「毎年こんなだっけ?」と思い調べてみると走り梅雨と言ってやはり梅雨入り前は天気が不安定なことが多いようだ。鉢植えじゃないので場所を移動させることもできず、天候が安定するよう祈るしかない歯がゆい日々が続いた。

それでもゲウムは枯れることなく、日々変わる天候の中、萎れては戻り、萎れては戻りを繰り返し、二本の茎はその都度湾曲しながらほとんど地面と平行に伸び、しかし確実に成長し蕾を少しずつ膨らませていった。事前に調べていたゲウムの草姿とは程遠く乱れ、正直笑いがこみ上げるくらいへんてこりんなものになってしまったが、もはや見た目の美しさなどどうでもよかった。いつ生き絶えてもおかしくないような風貌で、倒れそうになってはまた身を起こしなんとか花を咲かそうと必死のゲウムに、見た目とは別のところに心を奪われていたのかもしれない。

お互い子供ができてからは行かなくなってしまったが、10年ほど前だろうか、後楽園ホールによく友人とボクシングを見に行く時期があった。

どちらからともなく発せられる「ファイターチキン食いてえわ」というメールをキッカケに仕事終わり後楽園ホールにその友人と落ち合うのだ。ファイターチキンとは後楽園ホールの売店に売られてるフライドチキンだ。チキンを貪りビールを飲み殴り合いを見る、というのが当時の最高に贅沢な息抜きだった。

スーパーフェザー級の日本チャンプ、矢代義光の2度目の防衛戦をその友人と見に行った時のこと。アマチュア出身の矢代はゆくゆくは世界を嘱望されるボクサーで、僕らも当然八代が勝つのを見たくてその日も来ていた。細かい展開は覚えてないが、4R矢代の左ストレートが綺麗に決まった。やはり名前の売れている矢代目当ての客が多い中、その瞬間会場は湧いた。あまりに綺麗に決まったので、それまで互角に攻防していた相手選手は、スイッチが切られたかのようにパッと力が抜けその場に崩れ落ちた。まさに糸の切られたマリオネットのようだった。

カウントが数えられる中、相手選手はふらつきながらも立ち上がろうと両手をついたが、膝がガタついて立ち上がることができない。主審はテンカウント前に試合を止めた。

ボクシングを見はじめてまもない頃だったので目の当たりにする完璧なノックアウトは衝撃だった。膝を震わせ立ち上がろうとする必死の形相は、スポーツというより、生死を換気するものだった。あのダメージではどのみち負けるのは火を見るより明らかだったが、それでも立ち上がろうとしたのはどういうことか?それは勝敗云々でなく本能的なものじゃなかろうか。

周りの客同様僕も興奮し歓声を上げていたが、それは倒した矢代にではなく、立ち上がろうとする相手選手に向けた「立て!」という言葉にならぬ声だった。

なぜ素性も知らない敗者に熱いものがこみ上げたのかと、後楽園ホールを出て人波に揉まれる時も、帰宅し酒を飲み寝るまでの間もずっと、その日はノックアウトされた選手のこと、立ち上がろうとした時のあの生々しい表情が頭から離れなかった。

この日以来それまでより一層ボクシングに魅了された。贔屓にするボクサーの活躍ももちろん醍醐味だが、敗者により意識を向ける様になった。前からわかっていたつもりだが、勝敗だけがボクシングの魅力じゃなく、倒されていかに立ち上がるか、負けてからいかに這い上がるかも同じ様にボクシングの魅力だと、身を以て思う様になった。

瀕死に陥りつつも、なんとか命を踏ん張り花を咲かそうと茎を伸ばすゲウムは、あの日の、膝を震わせ立ち上がろうとするボクサーそのものではないか。勝つことだけがボクシングじゃないとあのボクサーは教えてくれた。同じ様に美しいことだけが花じゃないと目の前のゲウムは教えてくれているのだ。

これから梅雨が始まり、明けると夏だ。首の皮一枚で生きている状態なのに今以上に過酷な日々が待ち受けている。果たして生き延びられるだろうか?花を咲かすことはできるだろうか?絶望的な運命を背負ったゲウムを前にあの日の後楽園ホールでの想いがこみ上げ、拳に力が入る。「生きろ、ゲウム!」

それから依然として乱れまくった草姿のままのゲウム。梅雨入り直前のある日、株元から遠く離れたところでとうとう咲かせたのは、ボクサーの姿を重ねるにはあまりに可憐な山吹色の小さな花だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?