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ハナモモ 2

この春、晴れてアスピリンから解放された。検査は定期的にするが薬はもう飲む必要はないといわれたのだ。
ところがその診断を受ける直前に全く別の病気にかかってしまい、これまでと全く別の科に通い、全く別の薬を数ヶ月飲むこととなった。まるで薬、または病気がリレーでもしているようだ。ヒトの体でまったく迷惑な話だ。
虚弱体質というわけではないが、この十年でそれぞれ関連のない病気で三回も入院しているし、同世代の人に比べると病気の多い人生かもしれない。
症状も軽く、先生に仕事はしていいと言われたが、今回の病名を伝えると同僚は心配してくれて、仕事を整理してもらい半分療養の身となった。

今回の病気を発症して間も無くの時、気持ちがとても不安定になり、家でじっとしてられなかったのでひたすら散歩をしていた。
新緑の鮮やかな緑が気持ち良く、鶯の鳴き声なんかも飛び交い、幾分か気持ちは軽くなったが、それでもやはり健全な社会との間の分厚い壁を感じずにはいられなかった。

自宅マンションの裏の公園に、斜面に這うつづら折りの小道があり、その道沿いにウメやミカン、ヒメリンゴやレモンなど、色々な低木が地域のコミュニティによって育てられていた。
そこをぼんやり歩いていると、ふと一本の木に目が止まった。その木にかけられたネームプレートには手書き文字で「ハナモモ」とあった。

ハナモモといえば以前にも投稿したが、お義母さんから鉢を預けられたことでその花の美しさから、それまで全く興味のなかった植物にはまるきっかけになったものだった。

何度も通った道だったがこんなところにハナモモが植わっているとは気がつかなかった。花が咲き終わり、チラホラ葉をつけ始めたところだった。樹高は二メートルほどあり、地植えするとこんなに大きくなるのかと驚いた。

じつは我が家のハナモモは枯らしてしまっていた。
去年の夏、庭に出るとふと違和感を感じた。「なんだこの違和感は」と辺りを見回すと、ハナモモに葉が全くついていないのにすぐ気がついた。それまでは花は咲かずとも毎年夏場は元気に葉は茂らせていた。
「こりゃダメだな」とすぐに悟った。
後から考えると回復の手立てはあったのかもしれないが、その時のぼくには死んだとしか思えず、しばらくしてノコギリで切って処分してしまった。
葉をつけなかった原因は不明だが剪定の仕方が悪かったと自分では結論づけている。
預かり物ではあったが、数年育てて愛着も湧いていたので、お義母さんにというよりハナモモに対し、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
失敗を忘れないよう、幹の一番太い部分は捨てずに壁の隅に立てかけてある。
今ではハナモモを植えていた大きめの鉢にはカシワバアジサイが植わっている。

「暑いですねえ」
ハナモモをじっと見ていると突然話しかけられた。
いつの間にか乳母車を引いたお婆さんが目の前でニッコリ笑っている。
「春が短くなりましたねえ、桜も散ってしまって」
確かにその日は季節外れの初夏の陽気で、このすぐそばの桜の見頃は過ぎていた。
「向こうの〇〇公園の方の桜はさっき見たらまだ残ってましたよ」
実際、ここに来る前その公園を通った時、花見をしている人もちらほら見かけたのだった。
「あーそうですか、見にいってみようかしら」
「明日からまた気温も下がるみたいですし、もうちょっとは桜楽しめますかねえ」
「あーそうですか、しかしまったくこりゃ夏ですよ」
ありがとうございます、なんていいながらお婆さんは笑顔のままゆっくりと去っていった。

ぼくはそのままハナモモの前にいたのだが、フッと肩の力が抜けるのを感じた。それまで緊張で胸や背中がビリビリとこわばっていたのが、幾分和らぎ、なんだかわからないがじんわり込み上げるものがあり、涙目になってしまった。

これはなんだ?と僕は戸惑い、涙を拭いてまた歩き出した。

あの時あそこに立っていたのが僕でなく、若い女子や僕よりもっと年上のおじさんだったとしても、あのお婆さんはきっと全く同じ会話をしていただろう。
ぼくがぼくである必要のない、そんなとりとめのないやりとりが、だからこそなのか、カサカサに乾いた肌に軟膏を塗るように、ぼくに足らない何かを与えてくれたように思えた。
この時のスッと不安が引く感覚は、今でも鮮明に思い出せる。

新たな病気の症状も今では落ち着き、特になんの制限もなく暮らせており、ひとまずことなきを得ている。負担が大きくならないよう調整はしてもらっているが仕事もしているし、酒も飲んでいる。余裕のある時は平日でも花を買いに行ったり、サウナへ行ったり、なるべくストレスを溜めない生活をしている。

小さいことが日々の活力だったり安心につながっている、そんなことをあのお婆さんは教えてくれたのだと今では思っている。
あのやりとりがなくとも結果は同じだったのかもしれないが、辛い時に少しでも助けてくれたという思いは強い。
再会したらぜひお礼を言いたいが、あのお婆さんの顔は覚えていない。

見つけた時は花後だったので、来年あのハナモモの花を見ることが、かくしてこの一年頑張って生きる理由の一つとなった。花を咲かすハナモモの木の前でまたあのお婆さんと会えるんじゃないか、なぜだかそんな気もしている。

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